#002 SLE(全身性エリテマトーデス)闘病記録②
いかがお過ごしでしょうか!ももぴです。
前回の記事では、わたしの自己紹介から始まり、わたしが分かっている範囲での病気についての説明や発症するまでの生活、発症するきっかけを書きました。
最初は、わたしがわたしのことを忘れないように記録しておこう…という軽い気持ちで執筆したのですが、公開してから、想像以上の反響をいただいているようでとても嬉しいです…!ありがとうございます!
同じ病気の方からはもちろんのこと、実際に医療の現場に携わっている方や、この病気を全く知らなかった方からも「貴重な声だ」と言っていただけたりして…🙇♀️
嬉しい気持ちでいっぱいです!本当にありがとうございます。
まだまだ拙い記事だと思いますが、マイペースで執筆している記事たちが少しでもどなたかのお役に立てたら幸いです…!
本日も、よろしければどうぞお付き合いください。
🧸今回の記事は…
1.人生で初めての入院に至るまで
わたしにしては珍しく、とっても体調が悪かった日がありました。上京して4年目にして初めてのことでしたので、相当驚いたのを今でも覚えています。
偶然にもお仕事を退職したあとだったため、ゆっくり治療には専念できるかもな〜なんて思いながら熱を測ってみると…37.9℃。普段のわたしからは考えられないくらいの高熱でした。
わたしは学生の時いつも、体調が悪いと訴えて保健室に駆け込んでもせいぜい37.2℃ぐらいまでしか上がらず、なかなか早退もさせてもらえないような体温でした(多分、平均体温も元々低めだったのだろうと思います)。だから、最初は馴染みのない数字にテンションが上がり、ついついInstagramに投稿してしまうほどでした…(今考えると、だいぶイタい人ですね…!?)。笑
是非共感してくださる方がいらっしゃればとっても嬉しいのですが、わたしは逆に熱が上がりきってしまうと、高熱であることと反比例してむしろテンションが上がってしまい元気になることがあります。過去に、片手で数えられる回数ぐらいは37.5℃以上の熱を出したことがあるのですが、その時は毎回高めのテンションで過ごしておりました。しかし、発症した当時の発熱でテンションが上がったのは一瞬だけ。激しい関節痛に苦しみ、上がるテンションすら無かったです。
関東に住んでいる友人たちに「体調を崩してとてもじゃないけどご飯を作る気力すらない、助けてくれ」とSOSを出し、同じ一人暮らしの仲間を家に招き入れ料理を作ってもらったりしました。また、医療に携わったことのある友人に相談し「熱があって関節が痛いならインフルエンザなんじゃない…?」と回答をもらいました。
上京してからこんなに体調を崩したことが初めてだったわたしですが、家の近くに頼れる病院が1つもありませんでした(今思うと、体調がまぁまぁな時に行きつけの病院を見つけておけば良かったなぁと思います…)。なんとなく、この状況ではじめましての病院に伺うのが心細くて、咄嗟に思ったことは、「そうだ、実家へ帰ろう」でした。
ここから片道3時間弱で着く実家には、医療職に携わっていたことのある母がいるし、きっとその母が家族でお世話になっている大きな病院へ連れて行ってくれるだろうと思ったのです。わたしは激しい関節痛に襲われながら半泣きの状態で準備をし、家を出て、そのまま実家まで帰省しました。
今思うとすごい行動力だな…でも、こういうとき結局家族に頼りたくなってしまうんですよね。💦
今までの人生の中でこんなに体調を崩したのは初めてだったので、逆に母は「どうせそんなこと言って、今回も言うほどそんなに大変なことになってないよ」と言いました。それでもなんとか説得し、帰省した翌日に病院へ連れていってもらうことに。
…実はわたしも、体調がつらい割には「案外病院で注射とか打ってもらって半日ぐらい横になってれば、この高熱も関節痛もどうにかなるんじゃないのかな?」なんて呑気に考えておりました。病気だと思わなかっただけで、実際わたしにとって関節痛は日常茶飯事だったので、自分が我慢するだけでどうにかなるだろうとすら思っておりました。
そして実は、病院へ連れていってもらった日のその2日後、なんと地元で日本酒のイベントがあったのです…!🍶
「本来ならこのイベントに合わせて帰省する予定だったけれど、体調が思いのほか悪くなってしまったので早めに帰ってきた。まぁ病院で診てもらって応急処置とかしてもらえたらあとは自力でどうにかして、日本酒のイベントまでに間に合わせていっぱい飲むぞ〜〜〜!」なんて、馬鹿なことをずっと考えながら病院で診察してもらいました。
「ん〜このまま入院してもらいますね〜」
入院。生涯無縁だと思っていた単語でした。母もわたしも目を丸くさせて固まってしまいました。入院…?
どうしても日本酒のイベントに出たかったわたしは「2日後に日本酒のイベントが…」と言いかけたのですが、先生に「そんなのダメに決まってるでしょ!😡」と言葉を遮られました。本当に具合が悪い時は、感情も思考回路も優先順位もガバガバです。日本酒飲めないんだ…と涙を流しながら(なぜか泣いてました。ガチです)、たまたま空いていた個室に通されました。
2.「あなたは難病です」
入院する事実を何となく受け入れられないままぼーっとしてしまうわたし。そんなわたしとは正反対に、てきぱきとわたしの身の回りの支度をしてくれる看護師さん数名。そしてその看護師さんの説明をしっかりと聞く母。どうやら母は元々の仕事の経験も生かしていくつか専門的なことを質問していたようですが、はっきりとは覚えていません。よく分からなかったのだと思うし、聞きたくもなかったのだろうなと思います。
当時は流行病の前でしたので、いつでも面会が可能でさらに通された部屋が個室であったため、しばらくは母が毎日通い続けてくれました。関節痛がひどかったので自力でご飯を食べることもできなかったわたしは、恥ずかしながら毎回食べさせてもらっていました。😇
あまりに関節痛がひどくて、ずっと横になっても良くならず、看護師さんに車椅子でお手洗いに連れていってもらったりもしました。自分の足で歩かず移動するのは車や交通機関以外では初めてだったので、何となく恥ずかしい気持ちになったことを覚えています。
自分ひとりでは何もできない、という事実が情けなくて申し訳なくて、隠れて涙を流す日もあったりしました…!当初は3日間ぐらいの帰省の予定だったので、携帯以外に暇を潰せるものもなく、かといって携帯を覗き込む気にもならず、当時はぼーっと外を眺めて毎日を過ごしていました。
最初、内科の先生から診断された病名は「マイコプラズマ肺炎」でした。高熱と関節痛(マイコプラズマ肺炎の場合は頭痛だそうですが)が、初期症状と似ていたからだそうです。マイコプラズマ肺炎の場合は、この数日後に激しい咳に襲われますが、わたしの場合はいつまで経っても咳が出ず、先生も「おかしいねぇ」と言いながら頭を抱えていました。
入院してから1週間ぐらいが経った時でしょうか…内科の先生に呼び出され、その日も様子を見にきてくれていた母が車椅子で外来の診察室へ連れていってくれました。
2人で診察室へ入ると、いつも病室へ来てくださる先生とは違う先生がそこに。そこで初めて「あなたは、SLE(全身性エリテマトーデス)という難病です」と告げられました。当時22歳のときでした。
病気のことについてある程度知識をつけた今だからこそ冷静になることができていますが(それでもつらいことは今でも沢山ありますけどね…!)、当時の第一印象は「死ぬんだ」でした。
病名を告げた後に先生が病気について詳しく説明をしてくださり、その内容に母が質問しているようでしたが、わたしの中で難病=死ぬという固定概念があったので、難病という単語にずっと頭を殴られっぱなしで何も耳に入ってきませんでした。
翌日になって漸く冷静な思考回路に戻ってきたので、自分なりに病気について調べてみたところ、どうやら、病気によって死ぬ確率は今ではだいぶ下がってきているらしいということが何となく理解できました。「治らないけど、死なない」。と頭の中で繰り返しながら、何とか死にたくなる気持ちを抑えるので必死でした…!笑
3.入院中のチャレンジ
相変わらず体調はあまり良くなりませんでしたが、入院生活にもだんだん慣れてきて、病院食美味しい〜!と考えられるぐらいには気持ちの余裕がちょっと出てきた頃。わたしには一つ引っ掛かっていることがありました。
それは、「ライブのチケットどうしよう…!」ということ。
「え、そんなこと…!?」と思われるかもしれませんが、当時アイドルオタクとして本気でアイドルを追いかけ応援していたわたしにとっては、大事な大事な問題でした。
応援しているアイドルのライブに空席を作りたくない!せっかく当たったチケットを無駄にしたくない!チケットの代金はもう戻ってこないんだから損してしまう!と思ったわたしは、ライブを1週間後に控えたぐらいの時、その日もわたしの様子を見にきてくれていた母に軽い気持ちで相談しました。
わたしがどれだけアイドルが好きだったのかは母もよく知ってくれていたので、「とりあえずダメ元で先生に相談してみれば?断られたらまた次の方法を考えよう、お母さんも一緒に頭下げるから」と言ってくれました。
思い切って先生に相談。最初はもちろん嫌な顔をされましたが「絶対にダメなんて言わせない…!」という気持ちがあり、先生の言葉を遮るように説得の言葉を重ね(多分無理やりな理論で押し切った気がします。笑)、半ば強制的に外出許可をもぎ取りました。😉💕
普段から全国ツアーをやっている推しのアイドルたち。しかしわたしの地元に来るのはなかなか珍しいことでした。だからどうしても行きたかったし、伝わらないかもしれないけれど、わたしの地元にわざわざ来てくれてありがとうという気持ちを伝えたかったのです。そのため、渋々でも外出をOKしてくれた先生には今でも感謝しきれません。
「会場に着いたらまず連絡してください!それから会場を出る時も!基本的には車椅子で移動してください!!!少しでもヤバいと感じたら絶対に帰ってきてくださいね!!!!!😡」と念を押され、病院から車で1時間ぐらいのところにあるライブ会場へ両親に連れていってもらいました。
わたしはいつもライブへ行くとき、同じアイドルオタクの高校時代からの親友を誘っていました。今回のライブへ誘った時も二つ返事で「いいよ〜一緒に行こう〜!」と言ってくれていたのですが、その話は入院する前に既に決まっていたことだったので、わたしが病気になってしまったことはまだ告げていませんでした。
会場で親友と落ち合ったときに、母がわたしの病気に関する説明をしてくれました。親友はびっくりしておりましたが、だんだん不安そうな表情から呆れた表情に変わり、終いには「体調しんどいのにライブ参戦するとか頭おかしいんじゃないの…」と笑われてしまいました。その親友の優しさに救われた瞬間でした…ありがとう😭
5分おきぐらいに「大丈夫!?」「無理してない!?」「もう、体調悪くなったらそのときに言うんだよ!?」「本当に無理してない!?」と、過保護なぐらいに親友に見守られながら約2時間半のライブに参戦したわたしは、両親と親友の愛を感じながら22時ぐらいに病院へ帰ってきました。
しあわせな余韻に浸りながら体温を測ると、何と、今まで下がらなかった熱が下がっていたのです…!先生も看護師さんもびっくりしていました。
「今回はたまたま熱も下がって何もなかったから良かったけど、本来ならばとんでもないことしてるんだからね…」と頭を抱えられましたが、ライブに参戦してしまえばこっちのものだ、と何も話を聞きませんでした。笑
病は気から、なんてよく言ったものですが、本当にそうなんじゃないかと思えるくらいにその翌日から体調がよくなりはじめました。だんだんと関節の痛みも軽くなり、車椅子を使わずに移動することも簡単になっていきました!😊
今でも、あのライブに参戦してなかったらどうなってたのだろう…と考えるときがあります。チケット当選しておいて良かった…!
入院して、およそ1ヶ月ぐらい経った時のお話でした。
…今回も、長々と書いてしまいました!🙇♀️
4年前の話でしたが、意外としっかり覚えているものですね…思い出すことに苦労しませんでした。それだけ自分の中では大きな出来事として残っているのかな…?
まだまだ過去のお話が続きます!
次回は、初めての入院で苦労したこと、それらを乗り越えて退院したところまでお話をします。よろしければ、また次回もお付き合いくださいませ!
ももぴでした!🧸
お互い無理せず、自分のペースで歩いていきましょうね🐾💓
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