ここに、わたしは note3

 note3
 何を書くか。なぜ書くか。選ぶ前に、理由を探す前に。言葉が書かれたら、書かれたことを受け止めなければいけない。
 あなたは書くことで次に行く道を決めようとしている。けれども書かれた言葉はもうあなたのものではない。ましてや、選んだ、なんて言えるほど、確かな自信を持って生まれたものではない。
 だから鏡を見て、そこに映るものが自分だと思うのは間違っている。そこに映るものが何なのか、あなたは知らないはずだ。だから鏡を見て、確かめるのだ。もし、わたしがわたしであるのなら、鏡なんていらないはず。
 眠い。昨日はよく寝てないからだ。夕食を食べたらすぐ寝てしまおうか。わたしはどうして書いているのだろう。机に座って言葉を探しているんだろう。初めて自分で文章を書きはじめた日から、もうずいぶん日が経っている。白い空間を行く方法はいまだによくわからない。
 昨日からこの空漠とした空間にまず線を引いてみた。もちろん、空間は無限に続いている。物理的に線を引くのは無理だ。そもそも掃除係のわたしが、線を引いて、空間を汚すなんてありえない。髪の毛だって落としたくない。線を引くのは空間にじゃなくて、自分の目の中にだ。
 いつもサングラスを掛けていたから、眼鏡型のデバイスを掛けることに違和感はなかった。それによって、目の前の空間が四角い方眼に仕切られた。つるのダイアルを回して粗い方眼を、細い方眼へと調節できる。五十掛ける五十センチの方眼にして、それをひとマスずつ掃くことにした。
 白い空間は、赤い糸を直行に引いたように、数えられるマスで埋め尽くされた。わたしはそれをひとつひとつ掃いていくだけで、無限の広さについては、考える必要がなくなった。
 あなたは今の仕事に期待しすぎている。そして難しく考えすぎている。そのせいでストレスがかかり、日々の繰り返しによって慢性的になっている。いっそ根本から仕事に対する考え方を変えたほうが良い。
 診療所で言われたことを頭の中で思い返した。白い空間を分節するグラスを処方された時、大丈夫です、この街でこの仕事をしている人は、むしろこのグラスが必要なんです、と言われた。
 理由ってなんだろう。いやもっと前に、どうして理由なんてものを持ち出して、わたしたちは何かをしようとするのだろう。今していることはただの作業だ。何も負うことはない。ただひとつひとつ、同じ動きを疲れるまで、していればいいだけ。
 一本の線を描くのに一週間かかったり。色を決めるのに決めきれず、混ぜているうちにどんな色を作りたかったのか忘れたり。実際に絵を描きはじめてから、絵を描く時間より絵を描いていない時間の方が長くなることを知った。これじゃあ自分は絵を描いていると堂々と言えたものではない。
 けれども、絵は描こうとしなければ生まれない。困ったものだ。描くことができない時間を引きつれて、焦りを不安をなだめてやっと、カンバスの前に座れる。絵は動かないが、自分は飽きっぽく動き回る。縄で椅子に縛るぐらいの気持ちでいないと、すぐに散歩したり昼寝したりする。天才ならばよいが凡人は机の上じゃないと書くことができない。歩いているうちに良いアイデアが浮かぶというのは通用しない。
 手を動かさなければ。
 本当に夢中になってた時は、絵の具のチューブを歯みがき粉と間違えて、歯ブラシと共に口に入れたことがある。口の中が青くなった。
 学校にいて、作ることだけを考えていた頃はよかった。卒業制作をしていたのだと思う。間に合わせようとしていたわけじゃない。終わらなかったら、あと一年、学生を続けるつもりだった。きっと手が急いでいるとか、自信があるとか、不安で進めないとかは関係ない。終りが見えていた。学生のように作ることができるのはこれで最後だとわかっていた。その壁の向こうに、途方もない世界が広がっていることなど知らなかったから、夢中だった。
 指にいつも、ブルーブラックの万年筆のインクを付けたあなたの手が好きだった。まるで細工のように儚くて、ペンを持つ以外は、わたしの手をポケットの中で温めてくれるぐらいしかできなかった。
 そういえば右手をよく覚えているのは、右手でペンを持っているから、右手をつないでほしい、とあなたが言ったからだった。
 初めて手を見たのは、街の中を歩いているとき。道に落ちていたなにかを、あなたが拾いあげたのだった。それは赤黒く錆びた細長い糸のようなものだった。セーターを編む毛糸よりも太い。臍の緒のようだった。
 あなたはそれをつまみ上げてじっと見た。自転車のチェーンだ。そう言ってわたしにほほえんだ。
 自転車に乗っていた人は、ここから漕ぐのをやめて降りて、自分の足で歩きはじめたんだ。あなたは落とし物の謎に、回答になっていないような回答を付けた。チェーンを持った指先は黒く汚れ、ペンの重みを、ペンの先の一番近いところで支える中指が、青くほのかに染まっていた。
 小説を書きはじめてから小説を読むようになった。正確にはあなたの小説を。原稿用紙のマスのひとつひとつには、日常で行き場のなかった言葉たちがちゃんとそこで腰を休めていた。
 細長いカウンターテーブルを買って、両端に座って、中心に一冊、古本屋で買った分厚い辞書を置いて、ふたりで一緒に書いた。集中するとペンの、紙を擦る音が聞こえなくなる、とあなたは言っていた。わたしは逆で、言葉の世界に潜り込むほど、小さな音が大きく聞こえる。あなたが息をする音や、髪をかく音、ペンを置く音、また書きはじめる音。それらが、わたしが書いているまさにその時に、わたしの文章の中に入り込んだ。小さな音たちを逃さないようにわたしは、半分だけわたしになってそっと書いた。文章と文章のあいだから、あなたが透けて見えるように。
 書くことが孤独だと気付いたのは、そうやって書いていたから。わたしの文章の続きは、わたしにしか書けない。手が止まった時、わたしは自分の胸に何度も、まだ書けるのかどうか問いかける。問われた自分は、言葉に詰まって、ただ部屋の中央に立ち尽くしている。疲れることも、諦めて眠ることのできないこの気持ちを、あなたはちゃんと黙って味わうことができていた。書いていて椅子に座れなくなったとき、しずかに言葉が通り去ったあとの空間をみつめるあなた。その背中にふれてみたかった。書いているあいだだけは、体にふれるのを抑えた。でも一度ぐらい、試してもよかったのかもしれない。そうしたら、わたしにはいくらかあなたの秘密をもっと知れたかもしれない。
 あなたは、右腕だけ残して世界から消えた。あるいは、あなたは右腕を失ってどこかの世界で生きている。そこにはわたしはいない。わたしは、あなたの手とここに残されている。あちら側でもきっと、物語を書いている。
 光がいくらかあると眠れる。まぶたを閉じても部屋は明るいと思えるぐらいの光。まったく何も見えない暗闇は受け止められない。太陽のようなまぶしい光はいらない。ほんのわずか、オレンジ色の光がほしい。
 目をあけているより閉じているほうが楽なとき、それでも座って何かを書くだろうか。
 時間は測らなくて大丈夫だろうか。距離は。必要なエネルギー量は。予算は。あなたは何も持っていなかった。あなたの体は透明で、手が足がどうつながっていて、どうやって動くのか、見ればすぐわかった。わたしたちの持つ、考えて知る器官は、なかった。それはむしろ手と足のつながり、足と地面のつながり、手と風のつながり、胸とその中を通る空気のつながりのあいだに、あなたが知り、感じるすべてのことがゆきわたっていた。それは表現されて現れ出たものではなく、体の中心部が見えているだけで、仕方なくそれが動いてしまうのを、外から見られる状態にある、というだけだ。
 時間が流れ、風が吹くのにあわせ、あなたは歩いた。白い床の上を。床は黙って、大気とともに、あなたの儚いつながりを包んでいた。一歩進むごとに、いや、足が上がり手が動き、体重が受ける重力の場所が変わる一瞬ごとに、あなたが感じていることがわかった。あなたは、言葉になる前の全てを、体で表して、そして体で受け止めていた。
 だから風が強く吹いて、あなたを形作るつながりを引き裂いたとき、あなたの体はばらばらになってしまった。白い床の上には、歩くという動きも残っていなかった。
 風の吹いた方向に従って、あなたのかけらが散らばっていた。かつて立っていた座標のマス目は、最も多く、風の流れたマスにはその立っていた場所から離れるほど少なく、あなたは散らばっていた。
 掃除係がそれを回収した。
 ずっと座っていたい。立つのではなく、歩き回るのでもなく、穏やかな場所にずっと座って。必要な道具は全て揃っている。ペンもノートも、辞書だってある。あとはどうにか、座っている時間だけなの。
 描くということが、自分に合っているのかどうか。自分に合った描き方をすればいいのか。はっきりしない。色に正解などないのだから、塗ってみれば良いのは確かだ。しかし、アクリルの絵の具を重ねすぎると剥がれはじめることを知らず、ずっと重ねてしまった。紙の表面から、地面に土の根がはりめぐらされるような盛り上がりが生まれ、それが絵の具の層を割る。その割れ目を埋めるためにさらに絵の具を重ねた。あの時は透明な床と、それに映る空の雲を描こうとしていた。
 作っているうちに、作ることが、作る以外のことに変質してしまうことがある。わたしの手の温度も粘土にふれてあたたかくなる。その熱を帯びた物体をキャンバスに貼り付けることを想像する。手から離れた土は、熱を放ってやがて部屋の温度と融けていく。鑑賞に耐えうる時間はどのぐらいだろうか。熱が失われたらもう、意味はないのか。
 あるいは作品自体が熱をつくればいいのだ。生命の定義は知らないが、あたたかい生き物のようなからだを作ればいい。作りたいものの形や色や意味よりも、わたしは作られるものの熱をつくりたいと思いはじめる。
 ええ、それは生きている。余白を見て。からだと、それが置かれているところの境目を見て。そこに輪郭なんてない。線と地は共犯して。点はもう知ることをあきらめて、白い肌をただ味わっている。それでいいの。終わりも限りもない。振り返ればはじめから、そんなことわかっていたんでしょう。
 精神だって疲れる。決められた時間、机に向かうと決めると、書けているときと、そうでない時がある。どうせ飽きるのなら、はじめから集中する時間をきめてしまおうか。二十五分だけ集中して五分休む。果てがない時間は苦しいから、区切ろう。
 空白に耐えられる人が最も豊かな人だろうね。とあなたが言っていた。わたしは、白衣を着て、空間の時間成分を決める素粒子を計測していた。あなたは、わたしの手の中にある小さな瓶を指さした。それは確かに空白が入っている瓶だった。
 わたしはとっさに、瓶を握りしめて見えないようにした。せっかく集めた空白が、蓋を開けられて逃げてしまうのが恐かった。
 人は瞬間を移動できない。だから人の動いたところをペンでなぞると、一本の線になる。線は何度も同じ所をくりかえし回り、行き止まりにぶつかってはまた立ち止まるが、決して途切れることはない。ただ進むだけではない。立ち止まることも迷うことも、引き返すことも、動きは線を生み出す。動きは連続の時間の中で、必ず次の瞬間に引き継がれていく。動きは必ず線を生み出す。
 それが時間の中を生きるものの誇りだった。軽やかに時間を、空間を移動することができない肉体は、不自由さによって、存在を宇宙の記憶に刻みつける。運動の、もどかしい線に縫いつけられるように、時間と空間は結びついている。
 世界はいつか線で埋め尽くされ、ひとつの黒い面になる。もとから世界の範囲が決まっているならば。世界に限界がないならば線は分かれて幾本の枝を作り、世界は樹になる。暗い平面の中にいるか、どこが根本か、もはや遡ることはできない木の中にいるか。
 こうして瓶の中に空白を少しばかり集めることができた。木漏れ日の光が残っているのか、線が空白をまだ残しているか。空白であるから瓶の中には何も見えない。白くわずかに光っているのは、光が表面で反射しているためだ。この独特ともいえる白が空白の色だ。光すらも空白には、はね返される。まだ事象の線が通らない空間。
 なにかが起こることと、まだ起こらないことは連動しているらしく、物事がおこったことを示す素粒子のスピンが、空白の素粒子のスピンに影響を与える。
 空白の方向に、瓶の中の素粒子のスピンを変えるのは難しかった。スピンに影響を与えあうペアを見つけるのは、困難だ。夫婦のようにいつも一緒にいるわけではない。またどちらかが回転すれば、空白の状態は風のように予測不能に動く。さらにはペアの組み合わせも変わる。
 空白で満たされた小さな瓶を作るためには、事象が完全にコントロールされた閉じた空間を作り、それを長時間解析して、空白とそうでないペアをひとつひとつ選別する必要があった。
 瓶の中に集められた空白は、しばらくのあいだ淡く白い光を散乱させるが、次第にその輝きを失う。やがて、瓶の中でも事象の侵食が進んでいく。
 別にそれが人の手に持たれたからといって、速く進むわけではないのだが、わたしは空白の白い光が愛おしくて、つい隠してしまった。しかし、誰の手の中だろうが侵食は等しく進む。
 空白が美しく特別に見えたのは、まるで詩が書かれている本の余白を連想させるからだった。あるいは、墓に立てられている塔婆の並びから見える空のような、果のなさを教えてくれるからだった。この余白、まだそこに何もない空間がわずかでもそこにあれば、わたしは胸が軽くなる。
 小説は不思議だ。いつも文字で埋められている。本の形になれば原稿用紙のマス目を取り払われて、きれいに並んだ文字が整列している。書き損じも、インクの染みも汚れもない。はじめからこうあったというふうに置かれている。迷いは底に見えない。もし、書かれた文字にもある声のふるえや体温を、静止した活字に再びよみがえらせることができたらどうだろう。言葉は、具体から、抽象へ還っていくのに留まらず、また具体に旅立つ。書くあいだに見つけてしまった忘却も、揺れる液体を成分とするインクで書いた甲斐がある。
 原稿用紙は筆が動く速度も統制する。正方形のマスは文字の大きさを決め、一画一画の線の速度は、思考の動きに対応しようとする。思考と書記が一体になり、速度が調和しはじめると、書きながら感じることができる。均一なマス目は、リズムを作るのに丁度いい。
 聴覚が、かすれたような静けさだ。静けさは日常の次元をひとつ奪ってしまう。視覚が切り取られた。地平線によって切り取られた。
 この地にあって思うのは、身体が存在の確かさを保証してくれること。この、身体だけが。その感じは、悲しさにも喜びにもつながる。この白い床を、踏み、歩き、息をする。この体がないと、もはや限られた感覚では確かなもの、信じるものを見つけられない。何よりここは、全てのものが失われた場所なのだから。
 そうだ、マスを、箱を作るんだ。言葉が、これまでの通信を外れてひとつ散った。それからあなたはこのようなことを、言った。
 この世界をひとつのマスで区切る。いや、マスで区切られたところをひとつの世界だと思うんだ。そうして、このマスの中にひとつ、空白の集まる場所をつくり出す。そうしたらわたしたちの目にみえる形で、体で実際にふれることができる空白が生まれるじゃないか。
 瓶の中でしか、空白を作ったことがないわたしは、その触れられる空白の美しさに、空想の中で見とれていた。
 かくして空白は設計された。はじめは電話ボックスの中に。このパーソナルであり公共空間にある、半透明なのに会話の内容は外に漏れない音だけを閉じこめる空間が、昔は街の中にたくさんあったようだ。わたしはうすいグレーの壁に囲まれて、しばらく空間を光が通り抜けていくことを信じられないでいた。
 消えるつもりか、と聞かれ急いで外に出た。コンクリートで作られた実験用ガレージの中で、電話ボックスだけが透明だった。緑色をした電話機が中で静かに座っていた。
 電話ボックスを囲むように銀色の鉄の枠が建てられていた。ジャングルジムのように格子を作って、電話ボックスの外側の空間を埋めている。人が足を掛けるにはやや小さい。瓶ひとつを空白にする解析器の大きさの箱が、いくつも積み重なっているイメージだ。原理的にもそれは正しい。
 鉄の格子のひとつひとつは、空間を感じるための器官であって、空白を中心部に濾過するフィルターの役割がある。
 合図があって、カウントダウンが始まる。そして、鉄の器官が目覚めて高い耳鳴りのような音を発した。これから、何年も掛けて電話ボックスの中が白く輝く時を待つ。その時までは、鉄はこのガレージの中の粒子の全てを理解しようと務める。空白が満たされる一瞬に、電話ボックスは光に忘れられ、黒くなり、光が思い出した時には、中の空白が光を拒み、迷い出た光によって白く光ってみえる。
 床に手をあてて、わたしは冷たい感触を、ここを立ち去る前に憶えておこうと思った。
 家に帰ってから、じんわりとあの場所での出来事が思い出された。授乳室に響く赤子の泣き声のように、誰かが泣く声がずっと聞こえていた。風の音と、足音以外は人の声しか聞こえなかった。静けさは、見学者の一行を結びつけた。誰かが泣く声をきいて、わたしも胸から声をしぼり出して泣いていた。
 涙を拭くものを持っていなかった。泣いても泣いてもここは寒かった。
 皆、それぞれが泣いていることを確認して粛々と歩いた。ひとりでいるより悲しかった。
 足で床を踏む。足の裏を押し返す床の優しさ。どうしてこんなに地面は柔らかく、涙する人達を黙って見守っていられるのか。涙とは最後の抵抗ではなかったか。言葉に隠されているもの、既に編み込まれているものを、解きほぐす一手一手に言葉はある。言葉に分け入っていくと、その中に言葉の森がある。無限にも思える再帰性の襞に引っかかった何かが、言葉として表現される。多くの粗い心の粒子は、先の方の粗い凹凸に絡め取られるが、わずかに奥深くまで届く、小さな小さな粒子がある。それを感じ取るためにはより細かな襞が必要だ。感じ取られたときには、粒子がくぐり抜けてきた、いくつもの再帰性の階層の深さに応じて、高く静かな、けれどもやわらかな音がなる。
 この白い平面は、心の襞を平たく引き伸ばして敷いたようだ。だから歩くたびに、床は感じる。空が高い声でしずかに泣く。もともと深い階層にあったもの、浅くよく使われる日常の言葉をとらえていたもの、すべて平等に表面にあらわになっている。
 わたしたちひとりひとりの中に、折りたたまれているものを広げたら、きっとこの場所のような、地平線に届く広さになるに違いない。そして、たった一瞬によって奪われてしまう多くのものを、時間を止めることによって抱きとめているのだ。閉じられることなく、空に開きながら。
 だからここは、常に掃除されなければいけない。どんな小さい粒子も受け入れられるように。
 清掃員の仕事は、襞にからめとられないようにそっと床を踏みながら、襞のすき間に溜まった汚れを取り除く、繰り返しの作業だ。
 感じ取る器官と、感じ取られる粒子のあいだになる。
 とらえどころがなくて、はじめは戸惑った。死にたくなるほど退屈に思える時もある。一歩も進めないほど悲痛な響きが、足の裏から背中をかけ上ってくる時もある。
 仕事を続けられるかどうか、何度も診断を受けた。わたしの心の深い所で起こっている痛みだとわかっていた。わたしは、ここで生まれたわけでもないし、大切な人を失ったわけでもない。だが、記憶を持たないうちに負った古傷が疼くように、逃れられない。忘れられない。
 どうしてわたしが、苦しまなければいけないのか、わからない。どこから来てどこに行くのか、解釈することも許さない傷がある。それが信じられなかった。
 掃除をするのを止めて、一日一回、あの場所の景色を見に行くようにした。
 何もしていたくはないけれど、何もしないでいることが、積極的な意味を持つなら、わたしは文章を書いている。書こうとして書いていると思っていた。でも、黙っていても文章は生まれる。書いている状態で時を過ごしたいと思うから。
 時々、年賀状に載せる家族の写真を選ぶみたいに、書かれた言葉をきれいに並べて小説をつくろう。そうしたら小説は、わたしが過ごした日々の記録がつまったアルバムになる。
 物語の中に、ほんとうのわたしはいないけど、わたしの中で想ったことが、過ごしてしていた時間が、溜まっている。
 安らかに眠る時間が足りない人は、静けさの中ですぐに寝てしまう。二階の展望室には、冬の開いた空からの光が惜しみなく降りそそがれていた。歩いてきた人には、汗ばむぐらいあたたかかった。白いソファは、みるからにやわらかそうで、何人も横になれるぐらい、入り口からフロアの奥まで横たわっていた。一人が横になって寝ている。いつもいるおじさんだ。他の人は座ったまま寝ている。白い大地の方向を向いたまま。
 わたしは、眠気止めのはっか飴をなめて、じっと座ることにした。一日ひとつと決めていたのに、これでふたつ目だ。昨日は、日記をおそくまで書いていて、朝には小説を書きたかった。
 コーヒー屋さんで買った豆をドリップして作るコーヒーを飲めば、朝五時でも目が覚める。何も考える手がかりはないけれど、朝の頭で書いた小説は、もやもやした霧を突っ切って進んでゆける。風が舟を押して海に運ぶように、先は見えないけれど方向はきっと正しい。
 一時間書いて、朝食を食べたらもう一時間書いた。そうしたらすることが無くなった。いや、友達に連絡したり、学校の課題をしたり、しなければいけないことはたくさんあるのに、なぜか今は手を付けたくない。
 だからこの基地に行くことにしてしまった。
 そっけないタイトルを付けてしまったせいだ。とわたしは後悔する。どうでもよくてくだらないタイトルだったら、何度もテーマをくり返して、ひょっとしたら一日に何時間も書けてしまうのに。
 ぼんやりとしたもののせいで、書こうと思った文章が全て、今書いている物語の続きになってしまう。
 打ち棄てられた言葉を、見失って、本当に何も意味がないとわかって、何度もページをめくった。指定のURLからアクセスできた「今年、収蔵される書籍」の中に、わたしの書いた小説のタイトルはなかった。それは、この白い場所で毎日見る鳥の羽根や、わたぼこりや、髪の毛などの落とし物の記録だった。さらに言うなれば、それはただの記録であって、小説でもなんでもなかった。でも、ほかの雑誌や新聞に、そんなささいなことが載るとは想像できなかった。投稿した時にはもう既に遅くて、わたしは毎朝、早く起きて、コーヒーを飲みながら過ごした時間が、他の人には全く価値がないと気づいた。あなたが書いてきてくれた物は、うれしいけど小説といえたものではありません。でも書くのは止めないで下さいね。と封筒で送られてきた白い紙に書かれてあるのを読んだ。
 そうか、それなら書くのを止めずにおこうとむしろ思った。理解されない物をずっとにぎりしめて、わたしはあの朝を過ごしていたのだと、それでわかった。
 書くのです。その手で。まずはペンのキャップを取った。この文章はやがてタイプライターで打ち直され、曲線が、この文章が世界に、この文章が書かれるところの白い余白部分の、本当の形を失ってしまう。切り取られ、組み合わされ、有機的な配列は記憶を失う。もはや知っている所にしか行けない。完成された何かを書いた。
 振り切られたホウキは宙を舞った。修正される動きなどこの世界にひとつもない。動詞をあつめて線を書く。あなたが息をした。わたしの手はあなたの背を撫でている。あなたは朝起きて空の写真をひとつ撮る。雲のかたちが綺麗だった。線が編まれたようにからまって白い存在が青い朝を包む。床を踏む。ホウキが白い床に積もったほこりをはらう。あの人たちはちりとりも持たないで、どこにごみを集めているの? とわたしは疑問に想う。あの白い床の果までよ。あなたは言う。あの白い床の果て。誰も見たことがない。シャワーの水がはげしく光をたくわえて放してはげしく床に落ちた。あなたの白い肌にいくばくか水滴が残った。体の曲線と、細胞の肌理をなぞって滴り落ちようとする。手が、なんども地面をたたき、土の水分と体の重さを打ちつけられた手がもう一度地面をたたいた。空白を支える器がもうひとつ世界に増えた。あなたは上を向いて、部屋を暗くしてわたしの手を握った。あなたの指がわたしの指のひとつひとつをからめ取っていた。わたしの腕があなたの腕の下であなたの腕の重さとベッドの柔らかさを感じていた。十五分、時が経った。あなたが寝る前に仕掛けていたタイマーが鳴った。まだ帰りたくない、と言った。だってわかったから、あなたはいつもここで待っている。言葉を待っている。他のことは忘れても書こうとする。あなたを呼び覚まし、返事を書かせる幾通もの手紙があなたを苛んでも、待っているうちにあなたは忘れる。だからわたしは迷う。散歩をする。目的のない散歩をする。ねえ、わたしわかったの。聞いてくれる耳にわたしは口を近づける。そして、かく。かく。えがく。今はもはや四角い線に区切られてしまったけれど、わたしは書きたい、とペンを突き立てる。何文字も書いてきたペンは黙って受け止める。あなたに贈るための手紙のびんせんを買った。何でも書けるように、絵も書けるように白い何も、まだ何も書かれていないやつを。この街でただの紙を見つける。何時間も歩いて見つける。雑貨屋さんで買う。午後は晴れていた。あなたのために書く言葉ならいくらでも見つかる。店から出た時にわかっていた。誰もいない家具売り場に行った。くつろげる椅子を探していた。高い椅子にすわってみた。夫婦がわたしのように、家具を探して歩いていた。楽しそうな声だった。
 毎朝、わたしはゆっくり起き出して海辺にいく。黒い携行文字入力機で小説を書く日もあったが、本棚に押し込まれていた一度読んだきりの本を、リュックから取り出して読んだ。文字に飢えていたのは、書かれた文字が読みたかったからで、わたしは最近あったショックで書いた文章の確かさを見失っていた。自分の書いたものが、書こうとした心が、悲しむことはないまでも、ぐらついていたのだと思う。仕事の中で起こった色々を書いていたのに仕事を休んだ。悲しい、ゆっくりとした曲が骨伝導イヤホンから流れていた。一切の文章の書き方を変えたい、と思った。朝の太陽は、陽光はとてもあたたかいのに、日陰は冬の寒さをそのまま残していた。それに冬の海には風が入りこんで、とても強く吹いていた。悲しくなれるなら、どこまでも悲しくなってみたかった。そうなることも難しくて、心は活字の上を、線状に辿っていた。書いているあいだ、自分だけの言葉を見つけて、ほかの誰の言葉にも頼らないと決めていたのに。
 紙が綴られている紐は黙って新しいページを示した。月が変わって、わたしの何かも変わった。本には何も書き込まれない。まるであの地みたいだ。生きていくのに本当に必要なものだけ集めたら、食べること、読むこと書くこと散歩すること音楽を聴くこと、色々なものが等距離に並ぶ。書くことだけで一日を過ごせない。食べるとしてもずっと食べられない。じゃあ何かをしているとか、それをどれだけするとかじゃない、ある行為と行為のあいだの何でもないことが生を継いでいる。呼吸する。息を吐いて吸う肺の動きには切れ目がない。ありうるはずがない。肺は膨らむ。膨らみながら、しぼむ。
 時間の快楽はいらないから、馴染んでいたい。あなたのそばにいたわたしは、ただ肌をくっつけていれば良かった。ここにあなたはいないけど。右腕の墓だけ、防風林の松の丘の後ろにある。人々はお墓にいろいろなものを入れた。肉体が残っていないなら、何をこの世に残せば良いのだろう。ある息子を失った家族は、その子がずっと書いていた日記を燃やしていた。花のように紙が舞った。ペンは、かろうじて形を保って金色の筆先が赤く輝いていた。あなたの手が最後まで持っていた。埋葬申請をする時に、何を燃やすのか詳しく聞かれた。あの息子を喪った家族も書く人だったから、同じ日に火葬場にいたのだろう。わたしは帰れなくなって、コンクリートの固い形のベンチに座っていた。
 次の日も掃除をする。一日でも休んだら、次の日が大変になる。
 思ったよりもやわらかくて、あたたかい。あなたの言葉は常温で、触れてみてもやわらかいだけだと感じていた。けれども、服を脱いで肌を重ねてみるとじんわりとあたたかい。あなたもわたしを、あたたかいと言う。つなぎ目はすぐにわかる。続いている。だからわたしは、あなたが書こうとした物語の続きを書く。書こうとして、書ききれなかったものを、書く。これはひとつの、たったひとつのものの描写なのだ。時間など進まなくて良い。描写についての描写。描写のまえの描写も折り重なってひだのようにやわらかい。あなたは、手で押してそれを感じる。わたしには、物語を上手く書けない。
 気がつけば、いろいろなしなければならないことに患わされて、書くことに辿り着いた。机の上には本や、捨てられない紙や道具が散乱していて腕を動かすのも自由にできない。ぐちゃぐちゃになった布をもういちどアイロンでしわをのばすように、文章がまっすぐに通れる道を整理する。机と椅子。ノートとペン。そこに書く道具があれば、始められる。時間は十五分あれば書ける。量は少ないけど。書けるって一体何を? 何をどうというより、書く時間を過ごしているんだ。十五分は絶妙な長さだ。何もしないで十五分過ごすのは、かなり仏教の修行に近いものを感じる。しかし、昼寝したり、あれこれ雑用に振り回されたりしていると、あっという間に過ぎ去っていく。十五分を、自分のものとして、ちゃんと使うためには、ひとつの事を集中して取り組む必要がある。それがわたしには書くことだったりする。書いて文字を追う。その間には、十五分が過ぎて次の事をしようと思っていない。ただ文字を一つでも書いて、線をひとつでも引けば、その動きと共に時間が進む。時計の歯車になったような気分だ。何もせずにダラダラしていると、時計を外から眺めているだけだが、書いている時は、わたしが時計そのものになっている。
 眠れないほど高ぶった心を癒やすために、自分をじっと見つめる時間がほしい。疲れていても眠れないこの夜、わたしには疲労を癒やすまえに心を穏やかにする必要がある。あなたのことを思って、笑っている時間がほしい。何に代えても守り抜きたい。手紙は昨日、出したばかりだから、今日は届くのを待たなくちゃ。届いたら、ゆっくり読んでもらわなくちゃ。そしたら返事を待たなくちゃ。難しいことは何もない。待っていれば必ずあなたはしっかり、歩いてくる。わたしを待っていてくれる。焦ることは何もない。一文字、一文字、長い小説を書き進めるみたいに。長い道の半ばを楽しまないと。急いでいると、できることは二つしかない。前に進むか、さらに速く前に進むか。立ち止まったり、考えたりすることはできない。わたしは、急がなくて良い。甘くていい。弱くていい。
 誰かが笑うのを想像して。誰かがほっとゆるむのを想像して。書いて。難しいことではなく、美しいことではなく、強いことではなく、ただあなたが書いていることを。
 子供のころ、誕生日プレゼントでよく友人に絵を描いていた。小学校では、まだ紙の交換日記が流行っていて、デジタルな空間で瞬時にやりとりされる心よりも、ずっと密やかで恋が多いやりとりだった。好きな子の誕生日には、下駄箱に手紙を入れた。前の日の夜に家族に隠れて描いて、それで自分が書いた愛の言葉に自分で満足して、もう渡さなくてもいいかな、なんて思ったりして。でもやっぱり届けてみたいと思ったりもする。手紙の端にあなたの顔を描いた。人形みたいな全然リアルとは、ほど遠い絵だけど。そこにあなたがいる。わたしの心の中にあなたが居ると伝えたかった。あなたが見た物、あなたが好きな物を、わたしも同じく見ているってただ伝えたかった。
 手紙の返事は来なかった。わたしの中で、あなたは奇跡だけど、あなたにとってあなた自身はあまりにも当たり前なのかもしれない。ラブレターほど、つまらないものってないのかも。でも、もしあなたが、あなた自身で、あなたがこの世界に居る奇跡を感じ取れるなら、それはわたしの手によってがいい。だから、拙くてもあなたの絵を描いた。
 わたしは、あなたに語ってほしい。あなたの言葉が聞きたい。あなたの、等身大の言葉が。
 わたしはあなたに、そんな風に誰かの人生と自分の人生を結び付ける力があることを知ってほしい。
 語ることは、真っ白な地面を歩くのに似ている。絵を描く時、真っ白な紙を渡されるのに似ている。普段、歩く道では家を出て、学校に向かうための駅の方向に行くか、海につながる道を行くか、二通りぐらいしかない。高校生になって、町を散歩するまでは、知っている場所は通っていた地元の小学校の通学路のそばにある公園とか、図書館とか、おばあちゃんの家ぐらいだった。
 ノートは、学校の黒板に書かれたことを色を再現しながら、ボールペンとシャープペンシルで書き写すためだけの道具だった。
 でも、白い場所を歩くのが仕事になってから、書くのが好きになった。最近は、精神衛生もかねて寝る前に書いている。部屋には書くためだけのスペースがあって、ベッドがあるもうひとつの部屋と区切られている。文章を書きはじめてから、眠りが浅くなった。その対策として、眠る場所は眠るためだけに使い、頭に寝るモードを刻みつけるようにした。今では、ノートを机に広げて文章を書いたり、壁を見つめたりしていると眠くなって、すぐさま眠れる。
 白い紙は、ペンを動かしているとその存在には気が付かない。青い線、インクの色の名前はブルーブラックの線で、文字が垂直に書かれていく様子を、ただ見ている。インクは、万年筆の先に加えられた力によって濃淡が変化する。強く長くひとつの場所に筆先を置けば、濃く出る。鉛筆やシャープペンシルを使うよりも弱い力が、万年筆では強いのだ。ほんの数秒、紙の上で筆先を止めただけでも、ペンとそれを持つ手の重さでインクが染み出して、深い青い点を作る。速く動かせばいいものではない。インクが適度にしたたるほどのスピードで、紙をなぞるのが一番抵抗がなく線を引ける。早すぎると、インクで湿る前の先端が紙の凹凸に引っかかり、かえって手が疲れる。万年筆が書くことに求めるスピードで文章が上手く書ける。
 そのスピードが鈍り、手と頭の動きが一致しなくなってくると、休み時だ。壁の模様を見て、ペンを置いて待つ。待てば手の疲れは緩まる。頭の疲れは、止まっているだけでは晴れない。どうしても書きたくなくなくなったら、眠る。
 昨日と今日で変わらない白い地面が、地平線まで続いていた。急に心臓の音が聞こえてくる。自分の心臓が動いているのを自覚すると、より一層鼓動が強く速くなる。さっきまでわたしは普通に息をしていた。立ち尽くすつもりはなかったが、地面が白く変わる。そこから先はずっと白い。変わってしまった鼓動と、呼吸のリズムに驚いていた。
 ペンを休ませながら書いていたから、原稿用紙の格子の外にはブルーブラックの短い線がぽつぽつと散らばっていた。乾いた筆先に、もう一度インクを滴らせるために、紙に筆先を押しつけた跡だ。
 読めば読むほど書いてきた物に拘束される。怖くて逃げるようにさらに書いた。書かなければ前に進めない。
 今までここに立つ時、わたしは果てしなさに目がくらんで、仕方なく、終わることのない歩みを、有限の時間だけ遂行するのだった。つまり、仕事として決められたことを決められた時間だけする。それが終わればまた日常の岸に帰ってくる。そしてまた次の日も、次の日も繰り返す。
 境界線の向こうが終わりがないのなら、今、立っているところが、永遠の終わる場所だと言えないだろうか。どれだけ途方のないように思えても、わたしたちの足元から始まっている。これからわたしが、どれだけ遠くへ行くかどうか、わからないけれども、その道のりの始点は確かにここにある。だとしたら、限りなさを歩く前から、わたしは限りなさの限界を知っている。ここから先はずっと続く。その勇気だけで踏み出す。帰ってこなくてもいいのだ。仕事になんかしなくてもいいのだ。ここに、わたしはいる。
 読むとは境界線に辿り着くための作業で、書くとはまさに境界線で行われる。波打ち際のように、境界線は動く。満ちたり、引いたりする。同じことは何度も書かれる。

 やっぱり、一日のはじまりが好きだ。そこには何もない。今日これから起こることが、起こるまえに、わたしの前に、見えないのだが、ある、気がする。何もない、と書いたけど、何かあるとも言えない曖昧な状態だ。わたしは今からあなたに会いに行く。そしてわたしは今、書いている。わたしはあなたが住む街へと電車で行く。わたしは古い水が入りっぱなしだったポットで湯を沸かした。いつかコーヒーを淹れようとして二百ミリリットル入ったまま、放って置かれていた。わたしは、あなたが待ち合わせの場所に着くまでのあいだ、じれったい思いで待つだろう。わたしは、古い水が入っているのに気付かず、新しい水を二百ミリリットル、ポットに入れた。沸かすスイッチを押した。いつもより、沸騰まで時間がかかった。なぜか、わからなかった。わたしは、朝に音楽を聴きながら書く。わたしは、あなたに会って手を振りながら駆け出すだろう。沸いたポットを手に持つといつもより重いとわかった。古い水が入っている、とその時点で気付いたのだ。ポットから、いつも使っているコップに水を入れた。二百ミリリットル入るコップが満杯になり、ポットには二百ミリリットル水が余った。余った水は流しに捨てた。わたしはあなたを抱きしめるだろう。そして、温かさを、今日、はじめて知る。生きている体のやわらかさと軽さを知る。今はそうやって、あなたとの出会いを思い描くけど、初めはそうはいかなかった。何が起こるかわからなくて、不器用な想像をしていた。手をつなぎたいとか、キスをしたいとか、思ってから言い出すのに、来週また会うまで待たなくてはいけなかった。古い水半分、新しい水半分のコーヒーは、豆も古いからか、とても薄い味に思えた。インスタントコーヒーの味だったら、ミルクを入れてごまかそうと思えるが、そのまま薄い味を受け容れても良いような気がした。このまま、一日、原稿用紙三枚ぐらい、進めたらいつかは終われると思った。思ったというよりそれを知った。書くことは、果てしのない作業ではなくて、一文字を書くこと、一文を考えることの繰り返しで、できている。
 この地面の上にはかつて、街があって道が通っていて、その道を歩く人は、今日も天気だ、とか思いながら、空をちゃんと見ていたのだろう。雨だから傘を持っていこうとか、生活があるから成り立つ判断だ。空の下から街そのものが消えてしまえば、天気だってなくなってしまうだろう。だからなのか、清掃員は、黒いスーツを着て、雨にさらされながら、日陰もない太陽の光にさらされながら、ここを掃く。風が吹いてもそれを感じているのか、よくわからない。ペースを乱されず、履き続ける。わたしといえば、掃いている時の記憶に、天気のことや気温のことが思い当たらない。何も考えていないわけではなく、ホウキを掃く手や、足や腰の疲れている感じ、それに合わせて思い出すこと。重要と思っていることよりも、ささいで気にかけないようなことが、何度もくり返して思い浮かぶときがある。朝に聞いた音楽や、コーヒーの匂い。あなたの首元の匂いや、誰かに言われて嫌だった言葉。
 わたしが記憶を持たないころ、母が読み聞かせてくれていたという本や、新聞のコラムはどんな内容だったのか。掃いても掃いても、浮かび上がってくることはない。
 この白い床の下にも、そんな古い出来事たちが、ただ積み重なっている。

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