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#18 ここちよいだけでよい




英語が好きで。

何と無く、耳心地が良くて。


理解できているとかいないとかじゃなくて、
聞いていて心地がいいから好きなだけ。



だから、何と無く意味もわかって
話せる言葉が増えたらいいなぁ、

かっこいいなぁ、

…それくらいの温度感。


それだけの理由で、
語学を学ぶ動機でいいのかわからなくて
それくらいの温度感を学習と言って良いのかわからななくて。



毎日机に向かって勉強するとか、
毎日単語帳を一生懸命やるとか、
そんなことできないから、
好きなことも、何と無く頑張っていることも
言葉を学ぶことだなんて、
烏滸がましくて恥ずかしくて言えなかった。


そういう、見えないラインというか
見えないけど何と無くこれくらいはね、みたいな
暗黙の塩梅的なものに敏感だから

誰かに決められた訳でもないし、
誰かが測っている訳でもないし、
何かの決まりで決まっている訳ではない暗黙の塩梅に
少しだけ怯えながら隠しながらいる、
そんな自分がいたなぁって。



でも、案外それって自分で勝手に
決めたダケなのかもなあなんて最近は思う。


私が大好きなギルモアガールズを
一生懸命聞き取ろうとしていることは
私の中では立派な勉強で。


例えばそれを誰かに、

休みの日何してるんですか?
好きなことなんですか?
趣味は何かありますか?

なんて聞かれた時に、
語学を少し・・・
なんておしゃれに言いたいわけじゃなくて。


ただ、私は違う国の言葉を学ぶのが楽しくて。


でもやっぱり、スコアが欲しくて
誰かに見せたくてやっているわけじゃないから
きっとおそらく勉強を習慣にしている人のそれとは
次元や世界の違う学びと言う領域の存在で。


でも、そんな質問に聞かれて答えたからって、
その人は旅行に通訳として連れて行こうともしないし、
字幕映画を字幕なしで見せて来るようなシチュエーションもきっとないし、
話して見てよ(たまにいるこう言うこと言ってくる
やつは大体人のそれを馬鹿にしていたりする。)
なんて言われても話せたところで、
お金ももらえなければ次に何かつながることもないよな。

とふと大雨が降っていた日に思った。


自分のために、自分が楽しむために
アウトドアに講じる人達と同じで
自分が好きだから、自分のいい塩梅でやることは
立派な趣味でいいよなぁって初めて思えてる今日この頃。


ここまでやっていないとダメ、
は自分で勝手に決めたボーダーラインで、
言い換えると ここまでやっている人もいる
っていう他の人との比較だったなぁ。って気づけた。



手放して解放されたので、にっこり言えるのは

耳心地が良くて、
表現が増えるのが嬉しくて、
知らないことが知れる気がして、
見えなかった世界が広がる気がするから、
私は語学に触れることが好きです。



少しづつ、新しい言葉を学んでいます。


空き時間に小説を読むのと同じくらいの、
ゆるっとしたモチベーションだけど。



一年後とか、5年後にこの文を読み返した時に、
同じように何か心地のいいものを
ただ自分が好きだから、だから趣味だよ、
だから学んでるよって言えてるといいなぁ。


否定しないで、自分で価値を勝手に判断しないで
純粋に、好きなことは楽しんでいたい。



おっ、少しだけポジティブだ。
いいことありそう〜。


fin.

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