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オイディプスを観た

Bunkamuraシアターコクーンでオイディプスを観た。
ギリシャ悲劇の『オイディプス王』を現代版にアレンジしており、演出、舞台美術も現代的というか近未来的で、もしかしたらそう遠くない未来に目にするかも知れない世界を思い起こさせる。
ストレートプレイであり、コンテンポラリーダンス、歌舞伎の要素ありと盛り沢山。
そしてシアターコクーンの座席に着いた瞬間からもう芝居は始まっていて、開演が近づくにつれそこに居る演者が増えていくのだが、まるで他人の家を覗き見しているような気持ちになる。

オイディプス役の市川海老蔵の芝居は初めて観たのだけど、初めなんと口のうまい王なのかと呆れさせつつも、その王然とした立ち居振る舞いは惚れ惚れするほど。少しずつ狂気と疑心暗鬼に苛まれていく脆弱さすら魅力的である。とくに泣きの演技はすごかった。リアリティがありすぎる。
オイディプスの妃であり母でもあるイオカステ役の黒木瞳との絡みはとにかくエロいのだが、観客は彼らが親子であると知っているし、途中からそうとしか見えない瞬間がかなりあって、イオカステはどこまで気付いているのか?という視点で見ていくと彼女の混乱も物凄いものがある。
終盤にとてもつらいシーンもあるのだが、そこからの展開が怒涛すぎて記憶にあまり残らないのが救いでもある。

森山未來をはじめとするダンサー演じるコロスは市民の代表として存在するのだが、リーダー(森山)はとにかく狂言回し的な振る舞いをしていて、常に俯瞰からオイディプスとテーバイの国を眺めているように見える。
それはコロスのメンバーに対しても同様に見えたし、いい意味で彼の真意がどこにあるのかがわかりにくい。
この作品のなかのリーダーはクレオンすらも掌握している黒幕のようにも見えるし、逆になんの欲もないようにも見える。なんとも不可思議な存在。
淡々としているからこそ、オイディプスの嘆き、悲しみがさらに引き立つのかもしれない。

主演の3人はもちろんのこと、脇役でしかないと思っていたキャラクターにもそれぞれきちんと見せ場があるのがよかった。彼らの苦悩や葛藤が垣間見え、きちんとこの物語の中に生きる者として板の上にいるのだと唐突に実感させられた。

ちょっとした皮肉とユーモアと、そして『オイディプス王』に対するリスペクトを感じる良作。

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