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就活戯言日記8

今日はESを書いた。いつものように書いていた。郵送でESを送る企業は手間増えないのだろうか。少なくとも貧困就活生には郵送費だけでもちりつもで結構いたい。郵便料金以外もクリアファイルだとか封筒代だとか、貧困就活生は買いに行く元気もない。今のご時世状況を考えていただきたいものだ。インターネット至上主義である。WEB面接ですべて完結したい。

ESの中で写真を貼らせる項目に当たる事がたまにある。自分のプライベートの写真を探して送れというのだ。勘弁してくれ。私は旅行に行かない限り自分の写真は撮らないし、学校行事の写真もそんなに写りたいと思うタイプではない。さらに私はずっと髪が派手だったため金髪やら赤髪青髪やらの写真しか持ち合わせていない。それで企業は許してくれるのだろうか。いままで写真を送った企業はすべてES落ちだ。写真を頻繁に撮る大学生層しか受け付けないという狭い目線企業とみなす。そういうことにしている。

自分の写真なんてみていて気持ちの良いものだろうか。自身のプライベート写真をみて何を感じ取るのだろうか。ウェイウェイサークルにも所属していなく、部活に良い思い出もなく、ただひたすらに授業に出て、ラジオを聴き、お笑いを見て、アニメ漫画を物色し、たまにちょっといいお酒を飲む大学生の私には写真を送らなければいけない意味が分からない。ウェイウェイ大学生ではないのでBBQは嫌いだし、海やプールなんてもってのほかだし、大人数での飲み会は大嫌いだ。そんな私のプライベート写真なんて高が知れている。ノリノリでとった自分の写っている写真なんてAKIRA展にいった時の鉄夫様ショット、それのみである。写真を撮る=人の写真とかいう方程式は私のなかではそんなものない。私の写真フォルダの大半は保存した絵やお笑いライブの詳細スクショ、途中まで聞いたラジオの時間スクショ、食べ物、これらで構成されている。

長ったらしく愚痴を書いてしまったが要は送れる写真がないのだ。仕方がないので部活の時のダンスの写真を毎回送るのだが仮にESに通ったとして話せるエピソードを持っていない。部活に良い思い出も、貢献したことも、成長したことも正直言ってないのだ。でも社会はこういう写真を求めているのだろう。違うというならば正しい大学生像を教えてほしい。少なくとも私の大学生活は大学生像から逸脱している。

就職活動はきっと自己肯定感がかなり持っていないと突破することのできない自己肯定感レースなんじゃないか。自己肯定感があれば写真もあるし、エピソードも豊かなものでなくても自己肯定感があれば突破できるのではないか。そんなことを考えてしまい朝になった。自粛期間に自己肯定感を高められる天才がいたらそれはもう社会のしがらみ外で働いてほしい。まだ見ぬ私の推しへとなっていただきたい。

とりあえず消印は有効ではないESを出すため朝5時完徹後の私はコンビニで足りなかったたった20円分の切手を買うため外出した。


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