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『まとまらない言葉を生きる』(荒井裕樹)


著者がこれまで歩んできた日々の出来事を、言葉という切り口から丁寧に観察し、考察する18話のエッセイ集。

『まとまらない言葉を生きる』(荒井裕樹・柏書房)
静かながらしなやかな芯を抱えている文章がぐっときます。

特に、
第七話 「お国の役」に立たなかった人
第一一話 「心の病」の「そもそも論」
第一ニ話 「生きた心地」が削られる
に胸を掴まれました。

第一ニ話は介護現場で誤嚥などを防ぐために、小さく切り刻まれるおでんに対し、これはおでんじゃないよな、とふとつぶやかれた言葉に対しての考察。
介護を受けられる方の安全を守ることと、まるごとのおでんを食べるという小さな喜びを感じることについての問いの章です。
以下は、この章のまとめの要約になります。(P.167-169)

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美味しいものを美味しく食べたいと思うのはささやかな欲求だけれども、安全性の担保や人に世話をかけることから、おでんを刻まれることを仕方ないと諦める。
そして、そうして諦めてくれる人を周りは「思慮深い」とか「わがままでない」と言ってくれる。
それは集団を円滑にする一方で、諦めは諦めを引きよせていく。
淹れ立てのコーヒーを飲むこと、花を愛でること、気持ちのいい風に吹かれること。
こういったことが一つ一つどうでもよいものとして積み上がっていく中で、果ては生きていくこともそのようになっていってしまうのではないか。
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以前から話題になっていてずっと読みたかったのですが、しばらく本を読める状況でなく。
ようやく読めるようになりました。
しばらく本を読めなかったことで、ものすごく読みづらさを感じた一方、立ち止まりながら読むことができ、じっくりと染み渡るような気持ちもしています。
さくさく読めないのは不便だけれど、これもこれで悪くないなぁと思います。

少し話は逸れてしまうかもしれませんが。
毎日諸々落ち着かないし、でもそのような中でもいろんな立場で、新しい始まりに向けていろんなことがある人もたくさんいると思います。
自分自身も捉えどころのなさをも焦りも不安も感じます。

周りを見ていると責任感の強い人ほど、ぐっと我慢してしまう人が多いなと思うのですが、全部じゃなくてちょっとでよくて、例えばいつもより豪華なご飯を食べるとか、ちょっと投げ出して散歩に出てみるとか。

大きなくくりの中で全てを我慢してしまうのではなくて、すこしからでよいから、ゆるしてあげられるといいのかなぁと思ったりした時間でした。

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