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夜風が吹く、涼しさが混ざる

昔、
「いまお互いに会っているのに、お互いの話をしないで、他の人の話をするのはもったいない、と思う。」
と言われて、ものすごく衝撃を受けた。
そう言われる前に、私はずっとすごいと思った人について話していて、明らかにそのことを踏まえていたから。

わらわらと付かず離れずのかたまりとして動いていた帰り道だった。
今では考えられないけれど、50人くらいの飲み会のあと、夏の夜の暑さが滲む。
新橋駅に続く道は深夜になってもまだ煌々と光っていて、タクシーが連なっていて。
歩道にはほろよいの緩やかな集団がゆらゆらと動いていて、その中の一つで。
いろんな話をしたはずだけど、お酒を飲んでいたし、ことこまかには覚えていなかった、けれど。
ただそう言われたときの、その人の目の中のひかりを鮮明に覚えている。

* 

それからというもの、ふとした時にその人の言葉を思い出した。
言いたいことはわかる気がするし、すごく考え抜いて言ったことなのも分かるから、大切にしたいし、しなくてはいけないとも思っていた。



それからもう、2年くらい経っている。
今日、友だちと話したときに、お互いが尊敬していて、今はもう離れてしまっている人について、たくさん話した。
その人にかけてもらった言葉、教えてもらったこと、助けてもらったこと、遊んだこと、大好きだって思ったこと。

友だちの思う尊敬する人も、わたしが思う尊敬な人も、いくらその素敵さをお互いに語ろうとも、わたしは友だちの大切な人の顔を知らないし、友だちもわたしの大切な人の顔を知らない。年齢も違えば、考え方も違くて、その人たちが交わることなんてこの先もないのだけれど、それでも。

話せば話すほど、わたしたちの間で、その人たちが浮かび上がっていく気がした。
それぞれに会えて良かった人に会えたことを思い出したり、当時のかかわりあいについて、もう一度考え直したり。

その時間、わたしたちはわたしたちの話を一切しなかったけれど、だけど何を考えているのかも、その出会いにどんなに感謝しているかも、共鳴することができていた気がする。

お互い、どれだけその人に影響を受けているのかも。だから、この先で、どんなことをしていきたいのかということも。

わたしたちは、直接的にお互いの話はしていないし、他の人の話をしていた。
だけれども、偶然に会えた人、会えて嬉しかった人の存在が、確実にじんわりと染み込んでいて、それが今の私たちに、きっとこれからのわたしたちになっているし、なっていく。
きっとこれからだって、そうやって会っていく。
他の人の話をしているようで,本当はわたしたちの話をしているのかもしれない。



「いまお互いに会っているのに、お互いの話をしないで、他の人の話をするのはもったいない、と思う。」
そう言った人も、同じように今は近くにはいない。ただ、その人がくれた言葉が、ずっとこうやって問い続けさせてくれた。

この先も離れていく人たちはいる、それでも、その人たちが残してくれたことはきっと、変化し続けながら、時に消えたり、また現れたりしながら、あり続けるのだろう。

信号が点滅するのを見送って、いつものルートをすこし変えてみて、家路をいく。
夜風が吹く、もう、かすかに涼しさが混じりはじめている。

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