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Storyを味わう食べ物




「好きな食べ物は?」と聞かれた時に即答できる人がうらやましい。


この世に好きな食べ物がありすぎて、咄嗟に1つに絞って名を挙げるなど、とてもじゃないが私にはできない。即答できる人は幾多の修行を乗り越えて悟りにたどり着いた仏様か何かだと思っている。

しかし「背の高いグラスの中にアイスやフルーツ、クリームといった甘い具を組み合わせて創造したスイーツの中で好きなものは?」と聞かれたら、間違いなくパフェの名を挙げるだろう。

パフェは作り手の心が透ける食べ物だ。おもてなしの心が、たったひとつのグラスに全て反映される。私がパフェを愛する最も大きな理由はそれかもしれない。
パフェは上から下に向かって食べ進める。作者の決めた筋書きがあるという点ではコース料理の演出と似ているが、私はパフェのそれは映画や本に等しいと思っている。
今まで食べて感激したパフェたちにはどれも一冊の本のような起承転結があった。華やかなビジュアル、ホッとする美味しさ、意表を突く演出、そして全ての伏線が回収される最後の一口。食べ終えた瞬間から、余韻は心の中で永遠のものとなる。

私はパフェによるこの感情の揺さぶりを“story”と名付けている。ストーリー、直訳して物語の意だ。
私の心の中の本棚には今までに出会った名作がずらりと並んでいる。時々思い出の一冊を取り出し、その美しい表紙を撫でては、初めて口にしたあの日の感動を抱きしめている。

素晴らしいパフェには、必ずストーリーがある。
本棚の中に、また輝かしい一冊を迎えたい。その衝動に突き動かされるがまま、私は新たな作品を求めてゾンビのように食べログを徘徊した。

スマホの液晶上を高速移動していた人差し指が、とある写真を見つけるなりぴたりと止まる。
出会いが一目惚れになってしまうのも、パフェが非日常を味わうスペシャルな食べ物たる所以なのかもしれない。

「このお店のパフェが食べたい!」

私が赤子のように四肢を動かしオギャアと叫ぶと、3人の友人がお店に同行してくれることになった。パフェは1人で味わうのも良いが、感動は分かち合ってこそ新たな輝きを放つものである。友の存在はありがたい。

予約当日。パフェを愛する心を胸いっぱいに詰め込んでお店のドアを開けた。

ドリンクを決めて席に着く。パフェは事前に注文済みだ。6種類あるバラエティ豊かなラインナップの中からたった1つを決めるのは大変な難儀であった。悩みに悩み抜いた末、私が出した答えは『今、この瞬間を楽しむ』。そう、選ぶは期間限定商品である。私は今が旬のブドウをふんだんに使ったパフェをオーダーした。

「お待たせいたしました」

運ばれてきたパフェは背の高いグラスの中で目いっぱいのおめかしをしていた。1ミリの隙もないパーフェクトな美しさ。ああ、これだからパフェを愛さずにはいられない。

「こちらはパフェカードです」

店員さんから渡された小さな紙には、パフェの中に入っている具材の説明が記してあった。グラスの中の神秘を、こうして可視化されたのは初めての経験だった。なるほど、より解像度が増す。

スプーンを手にする前にまずはビジュアルを味わう。さまざまな角度からじっくりと眺め、これから始まるパフェと私の物語の為に体温を一度上げる。グラスに透けて見える具材たちひとつ一つに思いを馳せるこの時間は、パフェを味わうには欠かせない。

ビジュアルを堪能した後はいよいよ最初の一口だ。ここから私の五感は全てパティシエさんに支配される。全ての五感をパティシエさんに委ね、今、物語が始まる。

最初はフレッシュなブドウから。紫と黄緑の美しいコントラストでお互いの良さを高め合うナガノパープルとシャインマスカット。口に含んだ時に風船のように弾ける華やかな香りと上品な甘み。弾力のある果肉から溢れる果汁はまさに天然のジュースである。

口の中がブドウ果汁のシャワーでさっぱり洗い流された後、顔を出したのは赤葡萄のシャーベット。先程のフレッシュなブドウの実とは正反対の、濃厚な味わい。ブドウの皮に含まれる旨味と若干の渋味がぎゅっと凝縮されていて、舌の上で溶けた後も、鼻に抜ける余韻で呼吸すらスイーツになってしまう。

そんなシャーベットを支えていたのは薄焼きのガレット。ここで焼き菓子が登場である。大きなガレットに細長いスプーンは野暮というものであろう。指で摘んでいただきます。それにしてもなんとまぁ美しいエッジであろうか。焼き菓子はフレームがキリリとしている、固さのあるタイプがどうしようもなく好きだ。
ザクッとした期待を裏切らない歯応えの向こう側には、期待以上の味わいがあった。一見何の変哲もないただの焼き菓子なのだが、このガレットのおいしさは衝撃だった。衝撃なのは、こんなにもおいしいのに、特筆するべきおいしさの決定打が見つからないという点である。とことん素朴で、飽きのこないおいしさ。これにはお手上げだった。
食べ終えてしまう悲しさに耐えきれずに店内を見渡す。レジ付近に焼き菓子が販売されているのを発見し、ホッと胸を撫で下ろした。きっと過去にも私のような客が居たのだろう。もしこれが単品で販売されてないと知ったら「言い値で買うから売ってくれ」と詰め寄っていたに違いない。

たった一つのガレットがこんなにも狂わせる。このパフェの紡ぐstoryへの期待が最高に高まった瞬間だった。

ガレットの下にはころんと転がるかわいらしいゼリーが。『あらあら、こんな所にかくれんぼしてたのね』庭で孫娘と遊ぶ祖母のような気持ちで、思わずニッコリ微笑んでしまう。ゼリーと思って口に含んだら、まさかのすだちを使った寒天だった。ブドウにも若干の酸味はあるものの、キングオブ柑橘類すだちの前では赤子も同然。強烈だがとがっていない、まぁるい酸味が口の中をサラリと無に返した。最初に出会ったブドウの甘さを思い出させてくれる、作者からの粋なプレゼントだった。

すだちの寒天のかくれんぼを終えた私が、孫娘の手を引いてスライスされたナガノパープルの森を抜けると、今度はホイップクリームとキャラメルのムースがお出迎えしてくれた。ガラリと味のテイストが変わり、身が引き締まる。スプーンを少しだけ深く差し込みスクープすると、ここでまたカットされたブドウたちが姿を見せた。人差し指を口元に当て、いたずらっぽく笑みを浮かべたパティシエから

「このパフェはブドウを楽しむための物語ですからね」

と耳打ちされたような気がした。
キャラメルのムースの登場は意外だったが、驚くほどブドウと調和している。いや、ブドウの甘さと調和するキャラメルのムースを創り上げたと言った方が正しいだろう。甘さ控えめのムースに抱かれたブドウたちが心地よさそうに笑っている。
全てはブドウのために。パティシエの熱いメッセージが胸を打つ。

ブドウとの再会を喜んだ所で、ついにこのstoryも佳境に入る。丁寧に焼き上げられたジェノワーズ(スポンジ)でホッと一息ついた後は、先程感激したキャラメルのムースが、焦がしキャラメルへとお色直しして再入場。
お庭で一緒にかくれんぼしていた頃が懐かしい。大人になった孫娘の新たな人生の門出に、今まさに立ち会っているかのような感動が押し寄せた。

「おばあちゃんったら、そんなに泣かないでよ」

感無量でうずくまる私を見て、焦がしキャラメルのドレスを纏った孫娘が笑う。私は溢れそうになる涙をこらえながら、

「本当に…本当によく似合っているよ…」

と呟き、クリームを口に運んだ。
焦キャラメルのほろ苦くてやさしいクリームは、瑞々しくて笑顔のかわいい孫娘に、本当に、本当によく似合っていた。

感動で腫れた目元を、最後にレモンジュレがじゅわっと冷やしてくれる。家に帰った私は、先ほどの結婚式で過ごした夢のような時間を胸にしたまま、お気に入りの椅子に腰掛けた。レモンジュレを食べ終えた私が引き出物の包みを開けると、そこには孫娘が私に宛てた、1通の手紙が入っていた。

「おばあちゃんへ。今日は来てくれてありがとう。おばあちゃんは小さい頃からいつも私の味方だったね。おばあちゃんが私を見つけた時の笑顔がだいすきだったから、何度も何度もかくれんぼに誘ったね。おばあちゃんがくれた愛情は、私の宝物です。だいすきだよ」

私は、グラスの底で待っていたブドウのバルサミコ酢漬けを口にし、小さかった頃の孫娘の柔らかな手の温もりを思い出して、静かに泣いた。


素晴らしいstoryに、食後しばらく呆然としてしまった。

純粋にパフェを味わっていたはずが、途中から架空の孫娘と私の人生の物語になっていた。この幻覚こそ、素晴らしいパフェの紡ぎ出すstoryなのだ。私はそっとスプーンを置いて、この物語の表紙を閉じた。



パフェの語源を、みなさんはご存知だろうか。
フランス語で完璧を意味するパルフェ。これがパフェの由来である。


私たち人間は不完全だ。そして不完全が故に、決して手にすることの出来ない完璧を求めてしまう。これは人間のどうしようもない性と言えよう。

完璧なものはパフェだけでいい。
人間は、不完全だからこそ美しいのだ。

今日もパフェから学びを得た私は、そのstoryを心の中の本棚にしまう。一つひとつの完璧な作品たちが、今日も不完全な私の生活を少しだけ彩ってくれている。

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