先生って誰のことだろう



私は短大卒業後、幼稚園教諭として近くの幼稚園に就職した。

初任は年中(4歳児)クラスを任される事になった。

20歳の私が4歳の子どもたちから「せんせい」と呼ばれる事がなんとも不思議で少し居心地悪かったのを今でも覚えている。先生といえば何でも知ってる頼りになる人というイメージだ。あなたたちと16歳しか変わらないのに、専門の勉強も2年しかしていないのに、私は先生になれているのかな。楽しい先生でいたいと思う半面、いつもそんな思いが心のどこかに引っかかっていた。


個性豊かな子どもたちはみんな可愛くて、思い出はどれも一生の宝物だが、中でも私が忘れられないのはタクミ君という男の子だ。
タクミ君は温和でやさしい男の子だった。
セイヤ君という愉快なクラスのムードメーカー的な男の子と仲良しで、いつも彼の後ろについて行っては一緒に元気いっぱい遊んでいた。

幼稚園では毎月、その月に合った絵を書く。
5月で例えるとこいのぼりだ。子どもたちと一緒に歌を歌い、こいのぼりについての絵本を読んだ後に実際に見に行き、その思い出として絵に残す。
ほとんどの子どもたちは思い思いにクレヨンを走らせていたが、タクミ君だけは違った。

タクミ君が唯一苦手な事。それは絵を描く時間だった。画用紙を前にするだけで硬直し、クレヨンを持つと大きな目から涙がボロボロと溢れた。どうやら年少さんの時かららしい。「描きたくない」とも「嫌だ」とも言わないが、椅子に座ってクレヨンを握り、ただ涙を流し続ける彼に私は戸惑った。

私は物作りが大好きだったので、絶対に子どもたちには表現の場で嫌な思いをさせたく無かった。幼少期に強い嫌な経験を味わうと、それがトゲとなって突き刺さり、その後それを抜いて傷を癒す事は非常に困難になると知っているからだ。

涙を流すタクミ君に、無理に描かなくても大丈夫だよと踏まえた上であらゆる提案をしたが彼は首を横に振り続けた。
唯一彼が首を縦に振ったのは「先生といっしょに描く?」だった。苦肉の策で提案した事だったがこれも成功体験の一つになればと思い、クレヨンを持つタクミ君の手を握り、一緒に絵を描いた。涙は止まったが、出来上がった絵を見るタクミ君の目はどこか寂しそうだった。

タクミ君の涙の理由が分からず私はその後も悩み続けた。彼とのやりとりの中で、自分だけ書かないのは嫌だがどうしても描けない、その葛藤に苦しむ涙だと知った時に私は教師としての無力さを感じた。
そして子どもたちから「せんせい」と呼ばれる度に、申し訳なくなる思いが強くなった。

その後も同じような事が続いた。次こそは何か変わるかもしれないと信じて、本を読んで得た知識や先輩の先生からもらったアドバイスを元に関わりを試したが、タクミ君は依然と微動だにせず涙を流し続けた。



思い詰める私の所にある日、ムードメーカーのセイヤ君が自分のお絵かき帳を持って来た。

「ねぇせんせい、みてみて。これはセイヤのかんがえたロボットでね、うでがドッカーンてとんでいくの。すごいでしょ。」

自分の描いた絵について楽しそうに説明するセイヤ君を見て微笑ましく思うのと同時に、私はあることを思い立った。私はタクミ君とセイヤ君を机に呼び、お絵かき帳を持って隣に座るよう促した。真っ白なページを開いて、ペンを握るセイヤ君と私はおしゃべりを始めた。

「セイヤくんが描いたロボットかっこよかった、どこが飛んでいくの?」

「うでだよ!こーやって、とんでくの。そしたらここにある家がばーんってこわれて、みんなびっくりしてにげろーっていうの」

会話をする中でするするとペンを走らせるセイヤ君。

「タクミ君は何色が好き?」

私がタクミ君に尋ねると赤と答えた。そこですかさずセイヤ君が

「あかかー!ならタクミくんのロボットはあかね!」

と赤いペンを握りぐるぐるとロボットらしきものを描いた。私はその後も2人とおしゃべりを続けた。
赤と青のぐるぐるが、紙の上で楽しく暴れていく様子をタクミ君はニコニコと笑って眺めていた。


次の月の絵を描く時間、私はまた2人を隣同士に座るよう机に誘った。タクミ君はまっしろの画用紙とクレヨンを前にいつものように固まっていたが、私は彼には触れず、前回のようにセイヤ君とお喋りを始めた。今月のテーマは先日行った芋ほりの思い出だ。セイヤ君は自分が掘ったお芋の一つがあまりに大きくて嬉しかったこと、あとは小さいのしか取れず悲しかったことなどを喋りながらクレヨンを走らせた。タクミ君はセイヤ君の話を聞きながら、紫色の丸が彼の画用紙いっぱいに並ぶのを眺めている。

「タクミ君はどんなお芋が掘れた?」

私がタクミ君に尋ねると、彼は初めて自分のクレヨンを握り、自分で画用紙に長細い丸を描いた。
私は息を飲んだ。

「ほそいのしかほれなかった」

「あーっ!タクミ君のおいも、ながくておもしろかったんだよねぇ!」

私が口を開くより先にセイヤ君が喋った。
これで良いのだ。私は2人の会話に相槌を打ち、それで?と聞きながら絵を描く様子を見守った。

タクミ君の画用紙には細長い丸が一つ、あとはセイヤ君の真似をして描いた小さな丸がたくさん並んでいた。私がタクミ君の絵を見ながら

「タクミ君の掘った長いお芋、先生も食べたかったな」

というと、タクミ君は
「ママがやいてくれた、おいしかったよ」
と言って笑った。


この出来事以降、タクミ君が絵を描くときに涙を流すことは無くなった。それからも自分の思いのまま描く、というよりはほとんどセイヤ君の真似っこのような絵だったが私はそれでも十分だった。
友達と自分の気持ちを共有して、楽しいと思いながら形にする喜びを知ってくれたのだ。
絵を描くにはその気持ちが何よりも大切だと私は思う。

幼児教育の勉強をする中で「先生の1番の先生は、子どもたちですよ」と何度も耳にしたが、私は心の底からその通りだと思った。
そう思った瞬間、初めて私は自分にかけられる
「先生」という言葉を受け入れる事ができた気がした。



春が来て進級した彼らは年長となり、私の手を離れた。


次の作品展で目にした年長さんたちの力強い絵の数々。その中で一際やさしいタッチで描かれた柔らかな色使いのタクミくんの絵を、私はこれからもずっと忘れる事ができないだろう。

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