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ひろみちおにいさんといっしょ



みなさんは「おかあさんといっしょ」をご存知だろうか。


私もその昔、毎日おかあさんといっしょを見ていた子どもの1人だ。中でも大好きだったのは、ひろみちおにいさんだ。

ご存知ない方のために説明すると、ひろみちお兄さんはNHK10代目たいそうのお兄さんとして1993〜2005年まで活躍された体操のインストラクターである。
私の同世代からしたらキングオブおにいさんと言っても過言ではない。「おかあさんといっしょ」にはうたのおにいさんも勿論いたが、途中で入れ替わりがあったので私にとってはひろみちおにいさんこそが変わることない「おにいさん」だったのだ。

ひろみちおにいさんを象徴するものの一つとして、番組の最後に踊る体操「あ・い・うー」が挙げられる。
この「あ・い・うー」は未だにカラオケで歌い踊る私の十八番だ。私と同世代の人に限定されてしまうのが残念だが、盛り上がらず気まずい合コン等では非常におすすめなので勇気を出して1発目に入れよう。テンションがブチ上がる上に歌いながら柔軟できるので肩慣らしにもってこいだ。
その上「慌てたアヒルが あ!」「あ!!!!」と言ったコール&レスポンスも満載なので、密かに狙っているシャイなあの子も自然に参加してしまうだろう。後は我々の幼き日々に刻み込まれたビートに身を任せて歌って踊れば良い。最後にはみんなで肩をくみ「いいないいな!なれたらいいな!!」と叫ぶ仲になれるはずだし、その後は「彼女に(彼氏に)、なれたらいいな…」と告白までもがスムーズにいくこと間違いなしだ。

大きく脱線してしまったので話をもどそう。

そう、何はともあれ私たちの世代にとってひろみちおにいさんは特別な存在だったのだ。



それは私が幼稚園教諭として働いている時だった。

夏の運動会に向けての研修会があるから一緒に行かないかと主任に誘われた。この場合の返事は「はい」か「YES」しかない。
自主的な研修会の参加は実費、そして休日に行われる為休みは返上である。年度始めで大忙し、ヘロヘロな毎日を過ごしていた為「いいですね!」と言いつつも心の中では「行きたくねえ〜!」と泣いて暴れていた。

だが、渡されたその研修会のチラシに目を通すとこの気持ちは180度変わった。何故なら、その研修会の講師はひろみちおにいさんこと佐藤弘道さんだったからだ。
渾身の「行きます!!!」の返事と共にボールペンを走らせ、即申込書を提出した。


ひろみちおにいさんに会えるんだ…

当時テレビの向こうでひろみちおにいさんと一緒に踊る子どもたちに「好き勝手しおって、ひろみちおにいさんに失礼なやつらだ。私が代わりに踊ってやるからやる気がねぇなら帰りな!」と嫉妬の炎を燃やしていた私にとって、これ以上ない幸せな機会である。


そして待望の研修会がやってきた。

皆が今か今かと心躍らせる中、軽快な音楽が鳴り響く。バァンと扉が開き、勢いよく飛び出してきた鮮やかな黄緑色に光るその物体に、私は思わずウッと目を背けた。

「こんにちはー!!!」

聴き慣れた声に恐る恐る目を開けると、その黄緑色の物体こそが他でもない、ひろみちお兄さんその人だった。会場から黄色い歓声が上がる。

私は目を疑った。
そこには当時と何一つ変わらないひろみちお兄さんがいたからだ。

黄緑色の細身なジャージを完璧に着こなすその体は日々研鑽を積んでいるスポーツマンのそれだとすぐに分かるし、健康的な小麦色の肌にハイライトのように映えるまっ白い歯は彼がテレビの世界の人間であることを私に教えてくれた。

ジャージの胸元には「23」の白い文字が光っている。私はその数字が持つ意味をすぐに察した。

「(お)にいさん」であると。

あまりの徹底ぶりにヒェェと腰が抜けた。
こんなにビビッドな黄緑色が似合うのは茹でたての枝豆かひろみちお兄さんしか居ないと思わせるのは、明るいジャージの発色にも負けない太陽のような笑顔があるからである。

ひろみちおにいさんの圧倒的な「お兄さん力(ぢから)」の前では20〜60代の参加者もみんな子どもに戻ってしまうから恐ろしいものである。
当時と変わらないはつらつさ、よく通る声とキレのある動き。我々は童心に返り、ひろみちおにいさんの一挙一動を真似て踊った。
運動会で使える体操や年齢別のダンスをたくさん教えてもらい、滝のような汗をかきながら研修会は幕を閉じた。

研修会の会場の端では物販が行われていた。ひろみちおにいさんの著作である体操指導の本の数々が並び、今ならそれにサインをいただくことができるという。
私はクラスのかわいい子どもたちの為、そしてお世話になっている幼稚園の役に立てばと、その中から本を一冊購入した。(決してひろみちおにいさんのサインが欲しいからではない)

椅子に腰掛けサインを書いてくれるひろみちおにいさん。汗をかいたその姿さえも、先程会場の誰よりも激しく動いていたとは夢にも思えない、シャワーを浴びた後のような爽やかさだった。

緊張しながら本を渡す。笑顔でそれを受け取ったひろみちお兄さんは油性ペンを走らせた。

「ひろみちお兄さんを見て育ちました」

私がポロっと思いの丈を漏らすと、ひろみちおにいさんはサインの手を止め私の顔をじっと見た。そして顔をクシャッと綻ばせ噛み締めるように言った。

「おおきくなったねぇ」



その瞬間、私とひろみちおにいさんの間に21年分の風が通り抜けた。

日本中にいる、かつて子どもだった大人たちにとってこんなに嬉しい言葉があるだろうか。
ひろみちおにいさんは勿論私のことなんて知らない。しかしその言葉は嘘偽りなく真っ直ぐで、私が一方的に感じていた親しみにそっと歩み寄り、君のことをずっと見ていたんだよと頭を撫でてくれたような気持ちにさせてくれた。

感無量とはこのことだろう。




茹でたてプリプリの枝豆を食べる度に私はひろみちお兄さんを思い出し、自分が大人になったことを二重の意味で噛み締める。

何年経っても何歳になっても、ひろみちおにいさんだけは永遠に私の、いや、私たちのおにいさんなのだ。

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