15時半に帰宅できる先生たちでもストライキ。

「マリン、今日は公立の先生がストライキする日だから、学校2時で終わりだよ。一緒に参加する?それとも、先に帰る?」

その日の通勤中に、サラッと言われて、全く意味不明だった。

南オーストラリア州の先生の労働組合に入っている先生たちは、去年の10月に政府にクラスの人数を少なくすることと、フルタイムで働く先生たちの一日あたりの授業数を少なくすることを求めたそう。でも、政府はそれを受け入れず、先生たちはこれまで半日のストライキと一日のストライキを起こしたらしい。そして今日は、1時間のストライキだった。

日本で生まれ育った私から見ると、オーストラリアの先生たちは、日本の先生に比べるとかなりいい環境だと思う。担任は一応持っているけど、日本みたいに1組2組みたいな固定の教室がない。日本とは違って、科目専用の教室が決まっていて、生徒のロッカーが廊下にあり、生徒たちは自分で組んだ時間割に従って、教室を一日のうちに最高5回移動する。HRは、週に2回それぞれ50分だけ、振り分けられた教室に集まる。だから、日本のようにクラス感が全くないし、クラス対抗という意識もない。だから、団結力とか協調性を生徒からはほぼ感じないし、学校も生徒に求めていない。その代わり、先生たちは自分の担当する科目を受講している生徒に重点を置いているイメージで、授業の質に重きを置いている印象を受ける。そんな感じで、フルタイム勤務の私が働く公立のセカンダリースクールの先生は、160人の生徒と週に3回授業をしているらしい。25人が1クラスとすると約6クラス。つまり6クラス×3回=18回という計算だから、週に18回授業をしていることになる。週に3回5コマ、週2回4コマなので、合計23回の授業があり、1日あたり1コマ休みがあるといった勤務形態だ。でも、最後のコマが終わる15時半に先生達は帰宅するので、毎日かなり時間の猶予がある。それなのに、もっと授業準備をする時間をくれと、ストライキ。日本人の私からしたら、家に帰って準備いっぱいできるやん!!!て思っちゃう。

勤務中に仕事はほとんど終わらせる。

当たり前なことかもしれないけど、私のホストファミリーでもあり先生でもある夫婦は、テスト期間を除き、家で仕事をしない。リラックス・散歩・テレビ・コーヒー・趣味・料理・買い物に、15時半以降のすべての時間を使う。9時半か10時には就寝というおっとりまったり生活だ。

そんな生活を見ていて思うのは、自分の生活環境や心身ともに健康な状態をそれぞれ個人に合わせて整えたうえで仕事は成立する、もしくは、生活と仕事は別、という考えがきちんとベースにあるんだろうなということだ。もちろんストレスはあるし、仕事を家でしていることもあるけど、マストな感じではなく、単に授業準備不足か、向上心と探求心がゆえの仕事の延長という印象を持つ。

残念ながら先生たちのデモ行進には参加できなかったが、400人超の先生が集まったそうだ。アメリカの公立教師によるストライキ問題みたいに、学校の給食で生きている貧困層の生徒はほとんどいないし、そもそも給食もないので、生徒の被害といえば、授業数が少なくなることくらいだ。もし先生達の意見が政府に通るとしたら、授業の質も向上して、生徒にとってはいい方向になるかもしれない。(先生が本気だったら)

先生のストライキが起こっていたり、割と頻繁に校長先生に苦情を言ったり意味のないMTGにはでませーんみたいな感じでMTGの日を休んだり早退したりする先生達を見ると、学校という組織が先生達にとって絶対的な存在でもなく、権威でもなく、箱みたいな存在なんだろうなあと感じた。

「つまらない」「おもしろくない」「意味がない」みたいなことを割と素直に口にして、それに従った行動をとる色んなナショナリティをもった先生たちをみると、日本の概念的な「組織」の理想とはかけ離れているかもしれないけど、常に衝突やストレスや問題が起き続けて、変化をせざるを得ない「組織」はある意味、本質的にうまく機能している「組織」なのかな、なんて思ったりした。




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