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山河寂寥 ある女官の生涯上下 杉本苑子著

九世紀から十世紀初めにかけての、五十年間の宮廷と藤原一族の権謀による勢力伸張の歴史が、この小説です。主人公の藤原淑子、父は左大臣家の長男藤原長良、母は父に仕えて、身の回の世話をする青女房の一人だったが、真面目で誠実な人柄が長良に、気に入られ愛人の一人加わった。年の離れた姉の有子のほかに男四人と淑子が、母淵子の実家で暮らしていた。父長良は左大臣家の嫡男に生まれながら、権勢欲が薄く、野心家の弟良房に位官、官職を越えられても、不快とも思わず弟は能力があるから、人に誇るような恬淡さを持ってい、姉有子は、桓武帝の皇孫で、臣籍降下して、大学頭を勤めた平高棟という人の妻となっていた。祖父が他界し、淑子が九歳になったとき母淵子も病死して、子供たち六人は母無し子になった。母子同胞水入らずの屈託のない暮らしに、終止符が打たれた。その頃平高棟の第一子を生み、二人目を身ごもっていた長女の有子が、外祖父から、伝領する形で家に残り、これまで同様、夫の訪れを待ち子育てをする。あとの弟妹らは、あくる年、父の住む閑院邸に引き取られることになった。西洞院の西方一帯に広大な敷地を占めるこの屋敷、存命だった頃左大臣冬嗣が、手ずから図引きして建て、間取りは皇居になぞらえてあり、ために冬嗣の娘順子が、仁明帝の後宮に入ってからは、里内裏として使われもした壮麗な邸、冬嗣亡き後は総領の長良が住み、正室の乙春も子らと共にここにいる。淵子腹の同胞は父に連れられ、乙春の居間に挨拶に出向いた、長良の尋常な引合せ方にひきかえて、乙春の言葉には針があった。男の子らは冷ややかな乙春のあしらいに、度肝を抜かれたらしいが、淑子はかえって気持ちが明るんだ、本妻の優位にいながら女同士の競い合いの中で、母淵子に射向けつづけた瞋恚の深さ、勝っていたのは母様なのだわ、確認しえた淑子は微笑となって頬に広がった。目ざとくこの笑いに気ずいた、乙春は表情をこわばらせ、一瞬のたじろぎと訝りの後、激しい憎悪が襲ったらしい。淑子の面上を睨み据えて、何か痛烈な言葉を小生意気な少女に浴びせようとしたのだろう、さあ、もうよい、挨拶は済んだ。長良が機先を制して子供らを立ち去らせた。苦りきったその語調から、あまりといえば大人げない、乙春の対応への怒りが見えた。それから旧宅からの運んできた、荷物の置き場も定まらぬ座敷へ、ここですかな兄さん、ご秘蔵娘のお座所は、とおどけた言い方をして入ってきたのが、叔父の右大臣良房、連れ立って父長房も、そして言う兄さんは羨ましい、北の方の乙春殿が四人、檜垣ノ御方が六人ものお子をお生みになった。それに引きかえ、わたしは娘をたった一人しか持たぬ、うちの子になってくださらぬかな、淑子のとまどいに、長良が助け舟を出してくれた。叔父様の冗談だよ淑子、本当はそなたに、宮仕えを勧めに来られたのだ。宮仕え、どこえですか、いまおっしゃた良房叔父様の、お一人娘のところへさ、息女の名は明子、良房が正室源潔姫との間に儲けたひと粒種で、皇太子道康親王の妃に配されている女性。お年は十ほど上だけれど、血のつながりから言えば従姉妹同士。けっして気づまりなご奉公ではないよ、父長良の言葉に、いそいで補足して良房も熱っぽく、姪の不安を打ち消しにかかる。いわば退屈しのぎのお話相手、家で使っていたなじみの者を連れて上がればいいのだし、気苦労は少しもない、遊びのつもりで東宮御所に出仕してくださらぬか。淑子様。そして淑子の長い宮中暮らしが始まる。東宮御所へ宮仕えの第一夜に叔父良房の引合せ方に、賢すぎる子供は油断がならないと、淑子を傷づけた一言を発したのは皇太子道康親王後の文徳帝。しかし藤原一門の係累として、時に兄に叔父に守られ、後宮の恋を生きる、文徳帝の変死、応天門の変、乙春所生の異母妹の美姫高子と在原業平との禁断の恋などを目の当たりにす、文徳帝の次の帝は明子所生の清和帝まだ九歳、皇太后になった明子、二十一になった淑子に叔父の良房が、そなた、女官になる気はないか、と誘いをかけてきた、淑子のような怜悧な女性を皇太后宮に縛り付け、いつまでも私用の奉公人にすぎぬ女房勤めなどさせておくのは、いかにも惜しい、内侍司に奉職し、有子の下で働く方が、やり甲斐があると思うのだが、姉の有子は二人の子を育て上げ無聊をかこち始めたときに、やはり叔父の良房に声をかけられたのだ。職名は尚司、帝はまだ幼く外祖父に当たる良房は、身内で周りを固めておきたいのだ。淑子は宮中での地位と評判を築いていく。下巻へ、藤原一族全盛の礎は築かれた。子のいない淑子は夫の勧めにより、定省という怜悧な養子を得る。定省は仁明帝の皇子時康親王の三男、しかし清和帝が譲位し、相次ぐ帝位が移り変わり、宮中でいずれ劣らぬ実力者となった淑子、皇族は裕福ではなく、裕福でもある淑子の養子になれば将来は安泰と両親も望んだ。絶世の美女高子は清和帝亡き後も、浮名をながし奔放に生きた。兄基経らは血類で野心をむき出しにする。淑子は定省を愛育する。そして定省の父時康親王が五十歳を過ぎて即位、光孝帝となった、天変地異が続き都は揺れ動く、その中光孝帝が崩御された。愛育した定省が、宇多帝となった、この帝の在位の時に菅原道真の失脚という事件がある。その長い生涯において女官として、最高の位階に上り詰めた女傑藤原淑子の生きた時代。帝は仁明、文徳、清和、陽成、光孝、宇多、醍醐帝の初政に係る波瀾に満ちた五十年、後宮という女房たちの淫靡な、打算と嫉妬が情欲の中でもつれる、息苦しい場所から見た権力闘争の歴史を、藤原氏というこの複雑、老獪な氏族の実態、後宮に一族の子女を、次々とおくりこみ、天皇家との血縁によって次の天皇の即位に交渉し、露骨な形をとらない独裁権力を維持する。これほどまでに政治が性的な姿を帯びた時期は、他に見られないと解説は、いっています。地味ですが中身は素晴らしい、是非是非読まれることを勧めます。
 定家に小倉百人一首に取られているお二人の帝の歌、
陽成院、筑波嶺の嶺より落つる、みなの川、恋ぞつもりて、淵となりぬる。   
光孝帝、君がため、春の野に出でて若菜つむ、わが衣手に雪は降りつつ。

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