【短編小説】第三冥界

 2019年に講談社さんが運営している小説サイト、novel daysさんで開催された超短編コンテストで受賞した作品です。
 5000字以内、テーマは「お正月」でした。

 後日賞金と賞状送るので口座番号と住所を教えて下さいってメールいただいて即⭐︎返信したんですけどどちらもまだ貰えてません。賞金一万円、いつ入金してくれるんだ(๑`^´๑)
 というのは冗談で、頂戴したメールに書かれていたアドバイスと激励が大変嬉しかったです。ありがとうございました。もしかしたら返信届かなかったのかもしれないのかな〜と思うと大変な失礼を…。貴重な経験ありがとうございました。



第三冥界


 「驚きの吸引力だったら、もしかしたら」

 遠くで聞こえた声と、足元の柔らかい感触で国太朗は我に返った。一体どういう意味だ、と尋ねようとしたところで、周囲には誰もいないことに気づく。一体ここは何処だ?
 先刻まで、国太朗は穏やかな正月のひとときを過ごしていた。一月一日の朝。いつもと同じ、午前六時に目を覚ました国太朗と妻のミヅエは、リビングで熱い緑茶を飲みながら互いに新年の挨拶をした。
 「明けましておめでとう」
 「おめでとうございます」
 そう言って微笑む妻はあの頃のままだ、とまでは言わないにしろ、安らぎを与えてくれる存在に変わり無い。結婚してから今年でちょうど四十一年。五月に元号が変わった時、ミヅエは「あなたと三つの時代も過ごしたのねえ。」と笑っていたが、今もこうして元旦の朝をともに過ごせていることに、国太朗は幸福を感じていた。
 「そろそろ準備をしないといけないな」
 「そうですねえ」
 緑茶を飲み終わるやいなや、国太朗とミヅエはそそくさと立ち上がる。もう少しすると、娘夫婦が孫を連れてやってくる。遠方に住んでいるため、一年に三回程しか会えない。前回会ったのは夏だった。
 大切に育ててきた一人娘の美也子はなかなか結婚をしなかった。心配した国太朗はつい親心から、やれ見合いだの婚活だの口酸っぱく勧めていたら衝突が多くなってしまい、しばらくは口を利かない時期もあった。しかし三年前に「妊娠したから結婚する」と美也子より六歳年下の男、葵を連れてきた。突然の報告に、ドラマよろしく一発殴ってやらないと気が済まないと考えていた国太朗であったが、挨拶にきた葵は礼儀正しく、いい男だった。収入も安定しており、婿としてはこれ以上ないほど申し分無かったが、国太朗としては複雑な心境ではあった。心にもやもやと黒い雲が立ち込める。しかしそれも可愛い孫の誕生で一掃された。
 今年で三歳になる孫の亜美ちゃんは贔屓目に見ても、間違いなく大女優になれる。可愛い。愛嬌がある。天才だ。国太朗とミヅエをじじ、ばば、と呼び、甘えん坊でいつも手を繋ぎたがった。亜美ちゃんのためなら自分のすべてを投げ打ってもいい。なんでも買ってあげたい。仕事を定年してからしばらく経った国太朗にとって、亜美ちゃんの成長こそが今の生き甲斐であった。夏に会ってからどれくらい身長は伸びたのだろう。また新しい言葉も覚えたのだろうか。亜美ちゃんに会えると思うと、わくわくが止まらない。国太朗はミッキーが描かれたポチ袋に、三歳児に対してはやや高額なお年玉も用意した。また美也子に甘すぎると言われるかもしれないが、それでも、それでも…。

 「おいジジイ、いつまで走馬灯に浸ってんだよ」
 あたたかい記憶から一変して、聞こえてきた言葉は乱暴なものだった。しかし声は甲高くて可愛いらしい。国太朗は辺りをきょろきょろ見渡したが声の主らしき人物は見つからない。
 「ジジイ、下だよ!下!」
 足元を見下ろすと、小さい灰色のねずみがいた。小さなきらきらと光る黒い瞳が、国太朗をじっと見つめている。国太朗もまたその瞳を見つめ返した。
 「半笑いでぼんやりしてるから不気味だったぞ。午年だったらお前は走馬灯にいたまま帰って来れなかったんだぜ。よかったな、俺の年で」
 午年?走馬灯?俺の年?
 なにもかもあれもこれも意味がわからず、混乱する。聞きたいことはたくさんあるが、何から聞けばいいのか。そもそもねずみに対してどんなテンションで話しかければいいのか。しばらく目と口の開閉を繰り返したのち、「君は何者だね?」と思いのほか優しい口調の言葉がでてきた。これは亜美ちゃんに話しかけるときの口調に近かった。
 「ねずみ」
 「それは見ればわかる」
 「案内人だな。お前のメイドみたいなもんだ。冥土だけに」
 「冥土!?」
 「それ以外にあるわけねぇだろ、ねずみが喋る世界なんて。お前は死んだんだよ。」
 国太朗は絶句し、そして発狂しそうになった。嫌だ、そんな、どうして、なんで。喉元まで出かかっていた叫び声をすんでのところで抑え、ふうと深呼吸し、「そうか、分かった」と小さく言った。ねずみの前で、それも死んだ人間が取り繕う必要も無いはずだが、国太朗はそういう男だった。
 「分かったら、とっとと行くぞ」
 歩き出した後ろを慌てて追いかける。ねずみは地面の柔らかい感触を楽しんでいるような歩き方だった。まだ会社に勤めていた頃、同僚と仕事終わりに繁華街へ一杯をいっぱい飲みに行き、さあ帰ろうと店の扉を開けた瞬間、一匹のねずみが目の前を光の速さで走り抜けていったことを思い出した。それ以来、ねずみといえばすばしっこく走るイメージがあったのだが、こうしてゆっくり歩くこともできるのだなと呑気にも感心した。

 真っ白な道が続く。無音で、穏やかだった。懐かしさと寂しさが同時にこみ上げてくる。居心地は良く、絶対的に安全な場所だということが本能的に分かる。
 やがて景色が生まれ始めた。木が立ち、花が咲き、机や椅子が置いてある。大きな公園のようだった。人間もいる。国太朗より少し年配であろうおじいさん、おばあさん。国太朗と同じくらいの年齢であろうおじいさん、おばあさん。周囲にはおじいさんとおばあさんしかいない。それぞれ談笑したり、囲碁や将棋など娯楽を楽しんでいる。皆国太朗を見つけるやいなや、ひそひそと話したり、お辞儀してくる者もいた。
 ふと、ベンチで一人で座っている女性に見覚えがあった。近所に住んでいた長谷川さんの奥さん。おっとりとしてミヅエと仲が良かった。三年前の正月に餅を喉に詰まらせて亡くなり、ミヅエと一緒に葬儀に参列した。長谷川さんの奥さんは国太朗に気付いておらず、ぼんやりと空を眺めている。
 「ここは天国のようだね?」
 未だ死んだことは受け入れきれていないが、穏やかな雰囲気と、長谷川さんの奥さんは天国に行けそうな人柄だったことを思い出して問いかける。自分の行き着く先が天国なのか地獄なのか。それは生きている間も何度か考えたことがある。恥ずかしくない、全うな人生を送ってきたつもりだった。狡いことや他人を貶めることをした覚えはない。私は善良ですとは胸を張って言えるかは分からないが、悪人では無いと断言できる。
 しかし予想に反して、ねずみから返ってきたのは「違う」という一言だった。
 「えっ、地獄なのか?」
 「いやそれも違う」
 「じゃあ、老人ホームか?」
 「ははは!」
 ねずみは腹を抱えて笑いだした。腹を抱えて笑うねずみは、陽気なアニメーションのようでなかなか可愛いものだった。
 「面白いこと言うじゃねえか、ジジイ。ここは確かにアホでドジな奴しかいねぇ老人ホームだ」
 「アホでドジ…」
 さすがの国太朗も落ち込んだ。自分はアホでドジな老人として死んだのか?そしてそれをねずみに指摘されるなんて!
 「…さしずめ君はヘルパーか」
 「メイドだってば。冥土だけに」
 そう言ってねずみは相変わらずクスクス笑う。二度目の冗談にさほど笑えなかった国太朗は「仮にもメイドならジジイと呼ぶのは止めてくれないか」と言った。
 「国太朗と呼んでくれ」
 「クニタロー?」
 「それでいい。君の名前は?」
 「一介のねずみにそんな贅沢なもんはねぇよ」
 先ほどの笑顔は消え、ねずみは背を向けて歩き出す。その背中からは不機嫌なことがありありと伝わったが、どこか寂しそうでもあった。

 「着いたぞ」
 公園を抜けると、真っ白なマンションがいくつも立ち並んでいた。ねずみは迷うことなくそのうちの一つへ入っていき、≪子ノ101≫と書かれた部屋の前に立った。
 「ここがクニタローの部屋だ」
 「部屋もくれるのか」
 ねずみはどこからか鍵をだしてきて国太朗に渡す。ドアノブをひねると、真っ白いワンルームがあった。机もベッドも、テレビまで置いてある。
 「すぐ戻るから待ってろ」
  出て行こうとするねずみに国太朗は声を掛けた。
 「メッキーはどうだろう?」
 「は?」
 「君の名前だよ」
 驚いた顔をするねずみに、国太朗は恥ずかしくなって慌てて続けた。
 「長い付き合いになるんだろう?名前は大事だ。君は最初に出逢ったときに目が印象だったし…」
 「フン。アホでドジな死に方した奴が生意気だな」
 好きにしろよ、と出ていった灰色のねずみにかすかに桃色が差していたことを国太朗は見逃さなかった。

 メッキーが出て行ったあと、国太朗はトイレと風呂の場所を確認したり、部屋の引き出しを開けたり閉めたり、ぼんやりしながら待っていた。不自由は無さそうだが、ミヅエもいないこの場所で生活をするのは退屈だろう。
 メッキーは早く戻ってこないだろうか。国太朗は寂しさ故か、あのぶっきらぼうで口の悪いねずみに愛着が湧きだしていた。帰ってきたら色々聞いてみよう。天国でも地獄でもない此処は一体どこなのか。子年に死んだからねずみがメイドなのか。いずれミヅエも此処でまた一緒に暮らせるのか。亜美ちゃんや美也子の生活は知ることができるのか。
 ふと、テーブルの上にテレビのリモコンが置いてあることに気付きスイッチを入れる。流れ出した映像は、なんと地上波だった。つい先ほどまで皆で見ていた正月番組の続き。着物を着た芸能人があれやこれやと騒いでいる。テーブルの上はおせちが彩り、亜美ちゃんは目を輝かせながら栗きんとんに手を伸ばす。出来立ての湯気が立つお雑煮が運ばれてくる。ミヅエの作るお雑煮には絶品だ。国太朗はまず一口出汁を味わった。次に花の形をした甘い人参を食べる。そして、焦げ目のついた大きな餅を口に運び–––

 「ただいま」
 戻ってきたメッキーは国太朗の前に緑茶を置いた。
 「まあ、飲め」
 「ありがとう」
 とはいえ、国太朗は口に運ぶことはできない。重厚なそれが、またま喉に突っかかっているような感覚がする。
 「思い出したんだな。」
 国太朗は、お雑煮の餅を喉に詰まらせて死んだ。毎年ニュースが流れる度に、同情しつつも絶対に自分はありえないと思っていたにも関わらず!
 「餅で死ぬなんて…」
 「元気出せ。」
 メッキーの口調は優しかった。
 「何十年も生きてきた最期が、餅による窒息死なんてこんな可哀想なことはねぇ。いくら注意喚起しようが毎年千人近く死ぬ。だから神様が此処を作ったんだ。餅を詰まらせた人間だけが来れる、第三の冥界だ」
 「第三の冥界…」
 「気持ちを切り替えろ。此処は餅を詰まらせた奴しかいねぇが、福利厚生もしっかりしている。天国よりも快適だよ。俺も話し相手になってやるから」
 「ありがとう…」
 まだ完璧に受け入れきれていないが、ある種の諦めもてできた。天国でも地獄でも無い、餅を詰まらせた者だけが来れる世界。亜美ちゃんの成長を近くを見られないのは悲しいが、此処で生活を送るのも良いのかもしれない。

 そう思った直後、背中に激しい痛みが走った。呼吸ができず、咳が止まらない。

 「喜べ!生きられるぞ!」
 メッキーは興奮しながら言う。
 「喉に詰まった餅が取れるんだ!」
 「餅が、取れる…?ゲホ!ゲホ!」
 意識が遠のいていく。メッキーは青い顔した国太朗の周りをぴょんぴょん飛び跳ねていた。
 「じゃあなクニタロー。餅は小さく切って、よく噛んで食え。長生きしろよ」

 激しい咳き込みで目が覚めた。はあ、はあ、と何度も深く息を吸う。胸元には餅が一つ、転がっていた。
 「よかった、あなた、あなた…!」
 ミヅエも美也子は泣いている。掃除機を手に持った葵も目が真っ赤だった。
 「葵君、それは…」
 「いや、最終手段にと思ったんです」
 葵は掃除機を慌てて後ろ手に隠す。その背後から、慌てる家族達を見て混乱したのだろう、泣き腫らした顔の亜美ちゃんがあらわれた。亜美ちゃんはもじもじしながら、国太朗の手をぎゅっと握って言った。
 「亜美ね、じじばばとディズニーランドに行きたいの」
 「ああ行こう。亜美ちゃんには一番大きいメッキーのぬいぐるみを買おうね」

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