見出し画像

「暇と退屈」の補足

ほんとだね、同じトピックについて掘り下げていくのも面白いね。

内容が深い分、念の為補足しておくね。

まず、「暇と退屈」の違い。「暇」は客観的にみて余剰時間がある場合。「退屈」は主観的にみて、その余剰時間について(往々にして否定的な)意味合いや感情が発する場合、らしい。

消費社会について。経済は消費者のニーズに基づいて、それが生産されて・購入されて成り立つ、という見方が本来のものだったけど、ガルブレイスによると、実際はそうではない、らしい。

供給が需要を先行していて、消費者がどんなものを必要とするのかを決めるのではなく、生産者が消費者に向けて「あなたの必要なもの・欲しいものはコレ!」と色々な手法で仕向けるのが「消費社会」なのであると。

ただし、ここで大事な区別は、「消費」と「贅沢」らしい。私たちが必要最低限なものだけ所有していたら、それは必ずしも生活を豊かにしない。プラスマイナス・ゼロのところで生活していたら不足という事態も招きかねない。

私たちの生活を豊かにするのは「贅沢」だとこの本は言ってる。人は「贅沢」をしてもそれを消費するには限界がある。例えば贅沢な食事には、高級な食材や手の込んだ料理法が使われているけど、でも私たちが食べられるものには限界がある。この限界まで楽しむのが「贅沢」、そしてこれは人生にとって必要。普通、「贅沢」の方が白い目で見られるような印象がするよね。私もこれは意外だった。

でも「消費」は私たちが必ずしもいらないものをどんどん買わされてそれを「心底楽しむ」こともせず、大抵は安価な分、また違うものが欲しくなる、というサイクル。本にはもうちょっと詳しい説明が書いてあるから興味があれば読んだらいいと思うよ。

もしかしたらみやは、消費じゃなくて贅沢を楽しんでるのかもよ?

最近、同じようなトピックのYoutube観てて、ある人が「幸せな瞬間って、海を見ながら普通の飾らないレストランで家族と食事している時です。「もの」はほとんど要らなくて、Tシャツとビーサンの格好で合計3000円くらい。でもこれ以上何が必要か?って思います」って行ってた。

私もこの感覚、すごくわかるんだよね。モノを所有したり購入したりすることによって喜びを得るんじゃなくて、普段の生活の一コマにお腹の底から「幸せだなあ〜」って満足感が得られることが幸せじゃないかな、って。

私はお天気のいい日に、犬の散歩してて綺麗な景色に出会ったら、心底「幸せだ」と思う。写真のように朝露に濡れたお花を発見したときのように。

でもこれ、個人差があるからね。私は高校の時代から「小市民」でいたい、そういう生活をしたい、と思ってた。みんなみたいにお嬢さんじゃないから、自分のルーツに忠実にいるだけ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?