仕事のコツは人生のコツ
性善説で考えると
仕事で、「決まりごと」をつくることがよくある。
どんなルールにするかを考える過程で
と、その決まりを守らねばならない対象が、善人か悪人か、どちらを前提にするかをまずは決めて、そのうえで判断して議論を進めているのを、社会人1年目の時にみた。
社会人になるまで、そんな風に考えたことがなかったなあと、新しい視点をもらった感覚になった。
「どうせこの人たちはしょうもないことをするだろうから、ここについても厳しくルールを設けて案内しておこう」とか「多分あの人はこの期限を守ってくれないだろうから、リマインドしておこう」とか「多分わたしは明日サボるだろうから今日やっておこう」とか
仕事では、他人に対しても自分に対しても、性悪説を前提に動くことが多い。悲観的に考えて行動しておいた方が安全を取ることができるから、それはそうだ。
でも、プライベートでは、性善説で動いた方が絶対楽しいよなあ、とある時ふと思って、以降ちょっとだけ意識している。
「自分の周りにいる人は、どうせ素敵な人だ」と信じて疑わずに素直に接していく方が楽だし、結局素敵な人にばっかり出会っているし素敵な関係になっていくし、「自分はどうせできるから」と信じて疑わずに楽観的に考えて挑戦してみた方がなんか面白いし、苦しくないのではと思う。
気が付くと他人や自分に厳しくなってしまう人に、おすすめしたい。
落としどころとして
仕事では、色々な立場の人と話し合ってものごとを決めていく。調整して調整して、話し合って、また調整して。正解がなくて、時に楽しく時に苦しい。
そんな時
色々な妥協をしつつ、でも、それぞれのこだわりも守りつつ、どれが最適かを考えた結果、「落としどころとして、こうしましょう」と、ものごとが決まっていくシーンを、社会人1年目の時にみた。
社会人になるまで、こんな言葉、使ったことがなかったなあと、新しい視点をもらった感覚になった。
誰かの独裁でもなく、何も考えずに見切り発車したわけでもなく、たくさん協議した結果「落としどころ」が見つかった、ということは、妥協案とはいえ、ある意味最もいい選択のように思えた。
考えてみると、自分の生活もそうだ。
この仕事でいいのだろうか、この収入でいいのだろうか、この家でいいのだろうか、ここに住んでいていいのだろうか、この人と付き合っていていいのだろうか
正解のない色々な問いが日々日々あって、時に楽しく時に苦しい。
でも、色々な妥協をしつつ、でもそれぞれのこだわりも守りつつ「落としどころとして」今の生活がある。
他人や家族からのしがらみによって決まったのではなく、ちゃんと自分の頭で考えていて、見切り発車でもなくて。
それは妥協ではなく、最善だ。
今の生活に満足できないと思っている人に、おすすめしたい。
「仕事のコツ」というお題が開催されていたり、「新社会人へのメッセージ」なんてタグがあるけれど、同じことしても、それが良い方に働く仕事と悪い方に働く仕事があって、つまり仕事の種類によって仕事のポイントは違うんじゃないのかなあと思うので何とも言えないし
とりあえず、「よく寝ていればいいよ」としか言えない‥
でも社会人は息がしやすいし、お金もたくさんもらえるしで、めちゃくちゃ楽しいとわたしは思うよ~。
息がしやすいのは、なんだろうな、色々な立場の人の考えに触れる機会が多いことが大きいのかもしれないなあと思って、書きました。
今日は、このあと大学時代のゼミの同期の転職の相談にのることになっている。わたし転職したことないしなんなら異動もしたことないのに、大丈夫なのか…
今日もお疲れさまでした♩
ちなみに、働くことについてのマガジンはこちら
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