アトムズファンの野球少年・安倍晋三氏を悼む

昨日7月8日、安倍晋三・元総理大臣が遊説先の奈良市で銃撃され、亡くなった。
67歳であった。

安倍さんが野球ファン、ヤクルトファンであることはよく知られていた。
子供の頃の夢は「プロ野球選手」だったという。

安倍さんは、祖父に岸信介・元首相、父に安倍晋太郎・元外務大臣を持つという「政治家一族」の生まれである。

日本の現職の総理大臣で初めてプロ野球の始球式に登板したのは、安倍さんの祖父・岸信介である。
1957年3月30日のセ・リーグ開幕試合となった、後楽園球場での読売ジャイアンツ対国鉄スワローズ戦の試合前、岸はピッチャーズマウンドに立った。
カメラマンが取り囲む中、先攻・国鉄スワローズの1番打者・鵜飼勝美を打席に立たせ、巨人の捕手である藤尾茂に向かって、山なりのスローボールを投げ込んだ。
孫の安倍さんは当時、まだ2歳半である。

安倍さんが最初に総理大臣に就任したのは2006年9月で、その年の11月3日に東京ドームで行われた日米野球第1戦の試合前、始球式を務めている。

その後、安倍さんが2度目の首相に就任したのが2012年12月で、翌2013年、長嶋茂雄氏と松井秀喜氏に国民栄誉賞の授与を決めている。
5月5日、東京ドームでの巨人対広島カープ戦の試合前に行われた授与式でのスピーチで、長嶋氏と松井氏を前に、安倍さんは
「長嶋さんが打席に立つと『アンチ巨人』だった私も手に汗を握りました。お二人とも文句なしの国民栄誉賞。皆さん、そう思いませんか!」
と述べている。

また、2015年4月8日の参院予算委員会で、かつての巨人のV9を支えたエースで当時、自民党所属の参議院議員を務めていた堀内恒夫氏が東京五輪2020に関する質問を安倍首相に対して行った。
安倍さんは答弁に入る前に、
「私は『アンチ巨人』でした。堀内さんに応援しているチームが痛い目にあい、憎らしいピッチャーだなと思いながら、この人はすごいなあと思った」
とリップサービスをしている。

安倍さんが「応援しているチーム」とは、スワローズの前身である「アトムズ」のことである。

昨年2021年1月16日のサンケイスポーツ紙で、スワローズ高津臣吾監督と対談している。
サンケイスポーツの1面を飾ったこの記事には、神宮球場のグラウンドで、安倍さんと高津監督が高津監督のユニフォームを手にしたツーショット写真が掲載されている。
当時、スワローズは高津監督が就任1年目で2年連続リーグ最下位に沈み、監督2年目のシーズンのキャンプインを迎える直前であった。

安倍さんはスワローズファンになった経緯について、高津監督にこう語っている。

「ファンになったきっかけは小学4年か5年のとき、父親(安倍晋太郎元外相)に巨人対サンケイの試合に連れて行かれたんですね。
サンケイアトムズ時代。当時は弱かったけど、たまたま、試合に勝った。
外国人はジャクソンとロバーツという選手がいて、巨人のON砲に対抗し、JR砲。
鉄道会社みたい。子供だったので、アトムズだから「鉄腕アトム」でなじみがあるじゃないですが。以降、ファンになったんです」

安倍さんは1954年9月生まれなので、「小学4年か5年の時」というと、1964年か1965年ということになる。
1964年だとすると、「国鉄スワローズ」と名乗っていた最後の年であり、本拠地を後楽園球場から明治神宮野球場に移したシーズンである。
この年のオフ、大エースの金田正一が読売ジャイアンツへ移籍した。
1965年だとすると、「サンケイスワローズ」になったシーズンである。
もし、安倍さんが観戦した試合が「巨人対サンケイ戦」だとすると、1965年のシーズンだったということになる。

1965年4月23日、国鉄は球団の経営権をサンケイ新聞とフジテレビに譲渡することを発表し、5月10日、「サンケイスワローズ」に改称している。
少年ファンの開拓のためと、当時、フジテレビで放映されていた「鉄腕アトム」の作者である漫画家・手塚治虫が球団後援会の副会長を務めていた縁で、「サンケイアトムズ」にチーム名に変更したのはその翌年、1966年1月である。

また、安倍さんは
「アトムズだから『鉄腕アトム』でなじみがあるじゃないですか。以降、ファンになったんです」と語っている。

面白いのは、安倍さんは「巨人対サンケイ戦」を観に行ったのに、長嶋茂雄・王貞治を擁する強い巨人ではなく、サンケイ推しになったことだ。
川上哲治率いる巨人は、安倍さんが初めて野球観戦をした頃とされる、1965年からV9をスタートさせている。

安倍少年をとりこにしたのだから、「アトムズ」への改称は一定の効果があったのだろう。
ただし、「アトムズ」と名乗っていたのは1966年から1970年の4年間だけであり、1966年であれば安倍さんは小学6年生である。

さらに、安倍さんは「外国人はジャクソンとロバーツという選手がいて」とも述べているが、ルー・ジャクソンが入団したがの1966年、デイブ・ロバーツが入団したのが1967年である。
となると、二人そろったのは1967年のシーズンということになり、安倍さんはすでに中学1年生になっているはずだ。
(安倍さんは「JR砲、鉄道会社みたい」と言っているが、当時はまだ国鉄が民営化される前で、JRが発足するのは1987年4月なので、”JR”という呼称は存在しない)

となると、この記事では安倍さんが語るアトムズとスワローズの歴史は時系列が少しずつずれているのだが、安倍さんの記憶が混同していた可能性がある。
だが、かれこれ50年以上前のことであり、やむをえないだろう。
あるいは、このあたりは、この記事を書いた記者が当時の状況を詳しく知らなかったか、あえて端折って書いた可能性もある。

ただ、いくら50年前の話でも、小学生と中学生の時期の違いは覚えていると思うので、安倍さんが神宮球場に初めて足を運んだのは、まだスワローズと名乗っていた1964年か1965年で間違いないと思われる。
その後、小6で「アトムズ」とチーム名が変わって、「アトムズ推し」に拍車が懸かったのかもしれない。

高津
「アトムズファンは、少なかったんじゃないですか?」
安倍
「少なかった・・・。別所(毅彦)監督の時代ですね。その後はスワローズファン」

別所毅彦監督が就任したのは1968年で、監督を務めたのが1970年のシーズン途中までなので、その頃、安倍さんは中学2年生から高校1年生にかけてということになる。
おそらく、大投手で鳴らした別所監督と、別所監督就任1年目にリーグ4位になった印象が強かったのかもしれない。

また、2018年1月にフジテレビで放映された、「ビートたけしの私が嫉妬したスゴい人」というテレビ番組に、現役の首相として安倍さんが急遽、出演した際、「学生の頃からヤクルトファン」と前置きし、「スワローズ愛」を語った。

1966年の第1次ドラフトでサンケイアトムズから8位指名を受けて入団した武上四郎が、1967年のシーズン、阪神ドラフト1位の高卒ルーキー、江夏豊と争ってセ・リーグ新人王を獲得したことを引き合いに出し、安倍さんは「アトムズにやっとスターができた」と喜んだ思い出を語っている。

つまり、逆に言うと、安倍さんは小学生高学年から中学生までは、スワローズ、アトムズの動向を真剣に追いかけていたということだ。

だが、この時期、スワローズ・アトムズは1964年から1970年までの間、レギュラーシーズンでAクラスは一度もなく、1968年の別所監督就任1年目の4位が最高順位である。

高津
「(神宮球場に)お越しいただいたのはいつ、以来ですか?」

安倍
「最後に神宮球場に来たのは1982年くらいですかね。
当時は神戸製鋼に務めており、社員とヤクルト対阪神に来たのを覚えています。
課長が熱烈な阪神ファン。
「お前、ヤクルトファンだろ。一緒に」と言われ、(阪神ファンが応援する)レフトスタンドに行ったんです」

別の機会でも、安倍さんは神戸市を訪れた際、このエピソードを披露しており、その試合は「阪神が勝った」と述べている。
奇しくも、この年、スワローズの指揮を執っていたのは、安倍さんがかつて新人王獲得を喜んだ武上四郎であった。

安倍さんは1982年の秋、父の晋太郎氏が外務大臣に就任したのを機に、神戸製鋼を退職し、外務大臣秘書官に就任し、政治家への一歩を踏み出している。
神戸製鋼勤務時代の最後の微笑ましい思い出だろう。

高津監督との対談では、村上宗隆にも触れ、

安倍
「若い村上選手が育ってきた」

高津
「(村上は)今年(2月2日)で21歳になります」

安倍
「公務でここ数年、試合を見られませんでしたが、(村上の)記録を見たら、高卒2年目シーズンに中西太さん(元西鉄ライオンズ)ぐらいの成績を収めた」

高津
「(村上は)一昨年(2019年)に新人王を取って、昨年(2020年)は1年間ずっと4番(打者)で使ったんです。本当に4番らしい成績を残してくれました」

安倍
「球団にとっては新人をドラフトで取って、その選手が伸びてスターになることが理想的ですよね。スター選手は何年に一度しか出ない。そういうスターがいて、球団が強くなる」

と語っている。

安倍
「ファンの立場としては、まずはクライマックスシリーズ進出ですね」

高津
「優勝したいですが、この2年の成績でから、すぐに優勝といいうのは難しい。
いまは一歩一歩という表現でしょうね」

にもかかわらず、このシーズン、高津監督は、安倍さんの期待以上、「公約」以上の結果を残した。

安倍さんが凶弾に倒れた昨夜、神宮球場ではヤクルト対阪神が行われた。
奇しくも、安倍さんが生前、神宮球場で最後に観戦したというカードと同じである。

華麗なる政治一族に生まれたアトムズファンの少年は、祖父、父の後を追って政治の世界に身を投じ、総理大臣まで上り詰め、毀誉褒貶のうちに、その生涯を閉じた。

安倍さんが政界を引退すれば、もしかしたら神宮球場に観戦する機会もあったかもしれない。その時、スワローズが黄金期を迎えていれば、少年の日に夢見た、スワローズの優勝を神宮球場のスタンドで目の当たりにできたかもしれない。

同じ野球ファンとして、残念でならない。

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