2年越しの謝罪
「謝りたいことと提案したいことがあるんだけど」
唐突に自分へ向けられた言葉に驚き、思わず注いでいたアイスコーヒーをこぼしそうになる。
声の主はあきら君(バイト先の同い年の人)だ。いつにも増して低く感じられる声からは、彼が緊張していることが読み取れる。
「なに、急に怖いんだけど」
必死に脳内の記憶をたどるが、謝罪される覚えなんて全くない。身に覚えのない謝罪の言葉がこんなに怖いものだなんて思わなかった。
私は一体、何をされたのだろう。
「どっちから聞きたい?」
そう話すあきら君は戸惑っている私を見てなんだか楽しそうだ。
「謝るほうからお願いします」
「かなり前なんだけど、俺、もっさんにオーダーのことで怒ったの覚えてる?」
もちろん覚えている。
もうずっと前のことだが、あの出来事を忘れることは絶対にできない。とても辛かった2週間。
2年前
さっきからあきら君と会話をしていない。話しかけても無視される。それがたとえ業務内容の話であっても、「聞こえていないふり」をされる。
他の人とは楽しそうに話すあきら君を横目で見ながら考える。
今日のシフトの最初のほうは普通だった。しかし急に、こうなってしまった。私が何かをして怒らせてしまったのか。
しかしそんな覚えはない。「このタイミングで態度が変わった」なんて瞬間もなく、気が付いたらこうなっていた。
怒りという感情は時間の経過とともに落ち着く、そんな持論があった。持ち前の楽観性を生かす。
今日のことはなかったことにしよう。次会ったときはきっと普通だ。
しかしながら、次のシフトもその次のシフトでも、私は相変わらず無視されていた。時間は何も解決してくれなかった。
ついこの間まで一夜を語り明かすぐらい仲が良かったのに、何が原因でこうなってしまったのだろう。
もうさすがに耐えられない。そう思い、勇気を出してシフト上がりのタイミングで声をかける。
「何に怒ってるの?」
声はいたって穏やかに、まるで「今日は暑いね」と話しかけるような感じで平然と話しかける。
「別に」
にべもなく返される。時が止まったように感じた。呆気に取られていると、彼はそのまま事務所を出て行ってしまった。
あ、言わないんだ
一瞬”それならもうこのままでよくない?”とも考えたのだが、もしかしたらほかの人も、表に出さないだけであきら君と同じように思っているかもしれない。
もしそうだったら私はただ開き直っただけの迷惑者だ。そんな風にはなりたくない。原因は追究するべきだと思い、あきら君の後を追いかけていくことを決めた。
無視の理由
あきら君にはすぐに追いつくことができた。さすが長身なだけあって歩くのが早い。早歩きをして必死に歩調を合わせる。
「言われないとわからないんだよね、今のままだと直しようがないから、教えてくれると助かるんだけど」
まとわりついて話しかける私に対して、さすがに無視の限界がきたらしい。歩くのをやめて私のほうを振り返る。
「俺が前に言ったこと覚えてる?」
今度はそっけないというよりは、静かに単調に言葉を発した。
俺が前に言ったこと、か。いろんな話をしているから、様々な言葉が頭の中を飛び交うが、どれも私にはピンとこない。
「どの話?」
「もっさんってオーダーを繰り返すよね。って話。」
ああ、その話は覚えている。
オーダーというのはレジの人がお客様の注文を店員に伝えること。「アイスコーヒー」と「モーニングA」が頼まれたら、レジの人は「アイス、Aモーニングお願いします」とカウンター内に発する。それに答えて、他のポジションの人は「かしこまりました」と返答する。
私は、オーダーの聞き間違えを防ぐために、よく復唱行為をしていた。先の場合だと、「アイス、Aモーニング、かしこまりました」みたいに。
最初は意識的に、それが癖づいて最近だと無意識で行っていた。あきら君にそう指摘されたときも、「そうだね~、よく繰り返しているかも」と別に気に留めていなかった。
それがいったいどうしたというのだ。
「俺それめっちゃ嫌い」
急に発された攻撃的な言葉に心臓が止まりそうになる。なぜこのオーダーの復唱が嫌いなのか。理由を考えるが思い浮かばない。
「ああ、うるさかった?」
かろうじて嫌いになりそうな要素を取り上げる。しかし違った。
「俺がレジのときにそれをされると、”俺のオーダー、周りの人に聞こえていませんよ”って言われているように感じる。俺が声低くて響かないのコンプレックスだって言ったよね」
思ってもない視点からの指摘に思わず、あぁと声が漏れる。私的にはそこまで声が聞き取りにくいわけでもないと思うのだが、お客様に聞き返されたりするのが嫌だと前に言っていた。
全くもって、そんな悪意なんてものは込めていないが、あきら君はそう感じてしまったらしい。
「ごめん」
そう答えると同時に一つの疑問が頭に浮かぶ。
オーダーを復唱するのは私だけではない。店長も主婦さんだってしている。しかしその人達には何も思わないのか。
「店長とか主婦さんもやるけど、私のだけにイラっとするの?」
「うん」
あ、うんなんだ。
ほかの人は立場が上だから我慢していて、同い年の私には隠さずに出しているのかと思ったけど、違うんだ。私にだけイラっとするのか。
「店長たちの言葉はありがたい。もっさんのは嫌味に聞こえる」
違いがわからなかったが、私の頭は理解した。
両者に明確な差なんてものはない。ただあきら君は、私のことを下に見ている。そんな私が偉ぶるのが無性にイライラするんだ。(私は偉ぶっているつもりなんてない)
「わかった、ごめん。やらないようにするね。私としてはミスをなくすためにしていたことなんだけど、そう感じてたんだね」
言い返すこともできたが、これ以上喧嘩をしても何も生まれない。私が身を引くのが一番手っ取り早くこの状況を打破できる方法だ。
その会話のあとは徹底的に”それ”をやらないようにした。あきら君も今まで通りに話してくれるようになった。
しかし腑に落ちない。私はずっと思っている。
私はそんな理由で2週間近くも徹底的な無視をくらったのか
2年越しの謝罪
そこから現在に至る。
「覚えてるよ。オーダーを繰り返すのが嫌だって話でしょ」
もうなんも気にしてないよ、という風に聞こえるように笑ってあっけらかんと答える。
「そう、それなんだけど、今よく考えたら、俺が間違っていたなと思って」
黙って聞く。返す言葉が見つからない。いまさら何を、と思う。
「あの時はごめん。もっさん悪くなかったのに」
あの時のことを謝られる日が来るなんて思ってもなかった。私の中では”たまにある理不尽なことだ”と割り切っていたはずなのに、過去の感情がよみがえってくる。
「そんなことか。どうしたの急に。全然気にしてないよ」
口から出てきたのは意地による嘘だった。素直に謝罪の言葉を受け取れないのは私の心が未熟だからだろう。簡単に許すことができない。
「いや、でも、ほんとにごめんね」
あの時とは対照的なやさしくて暖かい言葉。
「いいよ、本当に。まさか謝られるなんて思ってなかったけど。そうだね。許してやらんでもない!」
何回も重ねられる謝罪の言葉に私の固まっていた心がほぐれていく。冗談交じりに答えた私の言葉に対しても、彼はごめんと答えた。
それにしてもあの時のことを覚えていることにもびっくりだが、それを謝ることにもびっくりだ。
2年前の彼なら絶対に考えられない。自分が絶対王者のあきら君はいなくなったのだろうか。
あきら君が成長したのかと思ったが、この2年間で私の存在が認められたというほうが納得できる気がした。今は2人ともパートナーリーダー(アルバイトのトップ)になった。
「そう、それでここからが提案なんだけど、もう一回オーダーの復唱やらない?」
あきら君の提案は”最近一気に初心者が増え、オーダーミスが増えたから、もう一度オーダーの復唱をやりたい”という内容だった。
「俺が言えることじゃないんだけど、もっさんさえよければ、、」あきら君が付け加えて言う。
確かにオーダーの復唱をすれば格段にミスは減る。決定権は、私にある。もちろん拒否することだってできる。一瞬黒い感情が沸き起こりそうになるが、蓋をする。
「いいよ、やろう」
あきら君の謝罪に敬意を払って、私は全面的に協力することを決めた。つまらない意地は捨てて私も大人になろう。
しかし、一つだけどうしても言えない言葉がある。
謝ってくれてありがとう
私がこの言葉をあきら君に言える日はいつになるのだろう。
〜エッセイ⑬〜
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