カフェ店員の私が上の階級を目指した理由
お気に入りの曲のイントロとともに、低い振動音が頭に響く。もうそんな時間なのか。手探りでスマホを探し、アラームを止める。
どうせなら気持ちよく目覚めたいと爽やかな曲を選んだが、夢から現実に引き戻されるときに、そんな曲を楽しむ余裕なんてないことが設定して2日くらいでわかった。
どうせならベートーヴェンの運命でも流したほうが清々しいのかもしれない。
準備を済ませ、足にまとわりつく猫と別れを惜しみながら家を出る。
開店準備を済ませてお店を開ける。今日は店長も、主婦さんもいない。私が一番上の立場になるので、問題が起こらないように、いつもより注意深く周りの状況を確認しながら仕事をする。
お昼のピークが一段落すると、私の大好きな先輩のスターが来た。
張っていた気を少し緩ませ、お客様の入りも減ったので少しだけ雑談をする。
「スペインに行くのってもうすぐですよね?」
「うん、今月末には行くんだけど、その前にテストを受けないといけなくてさ」
「テスト?何のために?」
「そのテストの結果次第で、どれくらいの期間留学できるかが決まるの。長いと1年半くらいは向こうに行ける」
スターは再来週にはこのカフェを辞めてしまう。決まっていた内定を蹴って、大学院に入り直してまでスペインに行きたかったそうだ。
誰だって、夢を追う姿はかっこいい。
「でも、全然勉強できてなくてさ、、」
「大丈夫なんですか?今日もラストまでですよね」
笑って聞き返す。そういえばこの間、スターは「朝にシフト入って、その後に勉強する」って言っていたから、こうやってクローズまで入っていることは珍しい。
「なんでこの時間に入れちゃったんだろうね」
困ったように笑っている。スケジュール管理には厳しそうなのに、こうやって少し抜けているところがまたスターらしいと思った。
そして、私は今日暇だ。
「よかったら今日、スターの代わりに夜までいますよ?そんなに疲れていないし、一回オープンクローズやってみたかったんですよね」
オープンクローズとは、朝から夜まで通しで働くこと。
大して褒められるようなことでもないが、同期のあきら君が、この前オープンクローズをやったことをずっと自慢してくるから、私も経験してみたかったのだ。
スターは「冗談でしょ」と笑って否定したが、私は至って真剣であることを伝えた。
「そんなに言うなら、お願いしたいかも。でも店長にも何も言ってないから、俺はここで勉強してるね。何かあったら遠慮なく言うんだよ」
そう言って、私が本来退勤する時間に、スターは上がった。一度勉強道具を取りに行って戻ってきてから、店内を見渡せる奥の席に座り、勉強していた。
あきら君が言うほど、オープンクローズはキツくなくて拍子抜けしたが、スターに感謝されるのは悪くない気分だった。
その翌日だった。着替えようと事務所に行くとジャイアンがどっかりと椅子に座って待ち構えていた。
↑ジャイアン初登場回
「もっさんさ、昨日スターとシフト代わったでしょ」
顔は笑っているが、声を聞いただけでわかる。この人は今怒っている。
「はい。代わりましたけど?」
敢えて、何も知りませんという感じで明るく答えてみる。
「困るんだよね、そういうことされると。店長がどういう気持ちでシフトを組んでいるかわかる?」
パワプロ片手にシフトを組んでいる店長の気持ちか。
「そうですね。仕事の出来のバランスと、シフト時間ですかね。でも私とスターは、仕事を始めた時期で考えれば同期で、トラブルに対しても同じように対応できるし、シフト時間にしても、守るべきは8時間労働の壁でしょ?昨日もともと私は9時間労働だったからその時点でアウトだし、あきら君もジャイアンだってオープンクローズやってるじゃないですか。」
方針の違いからスターを目の敵にしているジャイアンは、スターを慕う私のことも目の敵にしている。きっとジャイアンはスターに付けこむ隙ができたと考えて、今私を攻め落とそうとしているのだろう。
「そうじゃないんだよな」
「店長に言わずにシフトを変えたことですか?それは確かに悪かったと思います。でもこれも、他の人もやっているじゃないですか。ジャイアンだって無断でシフト代わってるでしょ。まあでも、現に私が無断チェンジをしたことに変わりはないから、今他の人の話は関係ないんですけど。ただ、なんで私だけこうやって責められないといけないのかがわかりません」
ジャイアンの声を遮るように言った。私は普段そんなに話さないが、怒ると饒舌になる。
今、もともと怒っていたのはジャイアンだから私は逆ギレしていることになるのだろうけど、とにかく腑に落ちないのだ。
確かに無断でシフトを変えたのは悪かった。でもなんで私は今それをジャイアンに責められないといけないんだ?いくら店長の幼馴染だからって、君には関係ないだろう。
「もっさんは、未成年でしょ?そういうのも一応考えているんだよ」
「いや、でも未成年者だけでクローズする日なんてざらにあるし、昨日はスターも客席に待機してくれて、、」
「スターは制服着てたの?私服だったんでしょ?何かトラブルがあって、責任者呼んできます、って言われて出てきたのが私服の人だったら説得力に欠けるでしょ?何こいつ?ってなるでしょ」
今度は私の声が遮られた。店長だって私服で対応することあるし、あまり関係ない気もするが、これ以上反論しても意味がないと思った。引き際は今だと脳が言っている。
「そうですね。確かに想像力不足だったかもしれません。安易な判断で軽率な行動をとってしまい、すみませんでした」
これでこの話は終わりにしようと思ったが、この男、ここで終わるほど容易くはない。
「いや、もっさんは悪くない。あくまでこの一件の責任者はスターだからね。結局はスターの責任問題だよ」
何を言っているの。
「え、でも昨日シフトチェンジを申し出たのは私だし、スターは最初断ったんですよ?それを私が押し切って、、」
「知ってるよ。でも、最終的に決定したのはスターでしょ?そういうのも含めてパートナーリーダーなんだよ」
頭が真っ白になる。
「スターにこの話はしたんですか、、?」
「したよ。ちゃんと謝られた。俺が悪いって」
心臓が痛い。私は、なんてことをしてしまったんだ。私は、スターに、こんな自分のことしか考えないような男に、謝らせてしまったの?私のせいで。
ジャイアンに頭を下げるスターの像が頭に浮かんでくる。
私のミスなのに、自分で責任をとることができないの?
こんなことは初めてだった。怒りとも悔しさとも言えない気持ちがこみあげてくる。
ジャイアンが「そういうことだからっ」と出て行った後、体の力が抜けて涙が出てきた。
数日後、スターに会ってすぐに謝罪した。するとスターはいつもと変わらない様子で、
「いいよいいよ、全然気にしてないから。ジャイアンに責められたでしょ?気にしなくていいよ、考えるだけ無駄だから」
陽気に笑っている。本当に気にしていないみたいだ。割り切るところは割り切る。私みたいにくよくよ考えないでさっぱりしているのを見ると、バイト歴ではない、人生の経験の差が存在することを実感する。
でも決めた。自分のミスの責任も取れないような人間になりたくない。無駄なプライドかもしれないが、もうこんな思いはしたくない。
あの涙の正体はきっと情けなさだ。
自分のミスで、尊敬する人に迷惑をかけてしまった。自分のミスの責任も取れない自分が情けない。
そこから、周りのバイトが責任なんて取りたくないと、階級が上がるのを嫌がる中、私はずっと上を目指すことを心に決めた。
〜【エッセイ⑪】〜
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