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「エスニック」を考える②

第2弾です!(第1弾の続きです!)

「エスニック」という言葉の定義と意味を再考してみました。-----------------------------------------------------------------------------

なぜ現代日本で「エスニック」は東南アジアなのか?(続き)

東南アジア

もはや地理的場所では無くなった「エスニック」としての東南アジア

「エスニック」で表現される東南アジアは、もはや東南アジア地域という地理的場所では無くなってしまっているのではないか。と言うと、「この人は何を言っているんだ?東南アジアは地図上に存在する地域じゃないか。」と思うかもしれないが、私が話したいのは私たちの認識のことである。

第1弾において、

「エスニック=東南アジア」という方程式の中には、東南アジアを1つの画一的な存在として見ることで「私たち 対 彼ら」の二項対立の中で東南アジアに対して「私たち」の優位性を確立しようとしている傾向を見ることができる、と考察した。

この考察からさらに見えてくることは、「エスニック」とされる東南アジアは地理的な地域を意味しているのではなく、「私たち」の言説によって確立される想像上の存在である、ということだ。

言説とは何か?フランス人哲学者のミシェル・フーコーの言う、言説の定義をまとめると以下のようになる。

単なる言語表現ではなく、制度や権力と結びつき、現実を反映するとともに現実を創造する言語表現であり、制度的権力のネットワークとされる。 –Wikipedia『ディスクール』

簡単に言うと、一定の権力(power)を持つ存在(例えば国家、機関、法、学者、メディアとか)が何かしらの事について主張した内容が、彼らの持つ権力によってあたかも「知識」であるかのように認識されるようになり、その「知識」が社会の中で繰り返し言われたり書かれたりすることによって、「真実」になってしまう。そんな現象にフーコーは着目して、権力が創り出す主張や考えの事を言説と定義している、ということだ。

「エスニック="言説によって確立された想像上の存在"」というところに話を戻す。私が考えるここでいう言説とは

東南アジアは「私たち」とは違う特異で劣位な存在である。

というものだ。この言説は歴史の中で作り出され、形を変えて社会で当たり前になっている。この言説を当たり前にすることで、気付かないうちに色眼鏡を通して見るようになり、東南アジアに特定のイメージを持つようになる。それは本来の東南アジアとは異なった「私たち」の想像上に存在するもので、「エスニック」という言葉で形取られる。さらに、その特定のイメージの東南アジアを旅行ガイドブックやメディア、「私たち」の日常会話の中で何度も目にし、耳にすることで、いつしかそれが「真実」になってしまっているのではないだろうか。

「エスニック」という言葉の中には、知らぬ間にこのような言説が内在化してしまっている、と考える。

(*エドワード・サイードの『オリエンタリズム』を読んだことがある方は、私の考察はデジャヴに思うかもしれませんが、土台にはサイードの『オリエンタリズム』の考え方があります!彼は中東地域と西洋社会について書いているので東南アジアではないけれども...)

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日本と東南アジアの不均衡な権力関係

ここでもう1つ言及したいのは、権力(power)の問題だ。言説についての説明のところで、一定の権力を持つ存在の言ったことがその権力によって「真実」になる、と言ったが、メディアのみならず「私たち」も権力を持っているということについて述べたい。

「いやいや、一般人の自分なんて何の権力も持っていないだろう。」と言うかもしれない。私がここでいう権力とは、構造的権力のことだ。「私たち」が社会構造から与えられる、逃れられない権力のことである。

今、再度考えたいのは、「私たち 対 彼ら」の二項対立だ。この二項対立は何もないところから自然発生したものではないはずだ。日本と東南アジアの関係を考えると、なぜ日本が東南アジアに対して一定の権力を有していると自負するかは明らかである。

私が考える二項対立は以下の3つ。

1つ目:「私たち=先進国 」対 「彼ら=途上国」

日本は先進国である。そして東南アジアは途上国である。

これもまた言説なのだが、経済発展という本当に限られた基準をもとに国々を「先進国」と「途上国」をいう2つのカテゴリーに分け、先進国は途上国よりも全てにおいて優勢である、という幻想を抱く。そしてそれが普遍的な真実であると日本社会のみならず国際社会の中で信じられている。このある意味「普遍的」な二項対立によって、日本は東南アジアよりも優位であると自らの優位性を確立し、権力を生み出す。

2つ目:「私たち=雇用者」対「彼ら=被雇用者」

第1弾で、エスニック文化人気のきっかけとして日本企業の東南アジア進出についてちらっと述べた。これは1つ目の先進国 対 途上国に似ているのだが、日本企業が東南アジアに進出したのは、人件費や土地代が安いから(他にも理由はあるとは思うけども)で、「雇用者」対「被雇用者」という二項対立が見えてくるのではないだろうか。より資本主義に着目すると、被雇用者=資本=所有物ということも見えてくるはずだ。

(*決して日本企業の東南アジア進出について、為るべきではなかったと非難しているわけではないので勘違いしないでもらえると幸いです。)

3つ目:「私たち=帝国」対 「彼ら=植民地」

最後に、ここで忘れてはいけないのは、第二次世界大戦時代に大日本帝国が東南アジアの広範囲を植民地支配しているという歴史的事実だ。明らかな権力の不均衡が存在する。歴史をおさらいすると、大日本帝国時代に日本が占領した東南アジア諸国は、

マレーシア、シンガポール、ミャンマー、ブルネイ、フィリピン、ベトナム、ラオス、カンボジア、インドネシア、東ティモール....。

この植民地支配の権力の不均衡が、社会に根強く残ることは言うまでもないと思う。それは政治的権力だけでない。植民地とされた国・地域の人々は民族/人種的、言語的、文化的などあらゆるところで差別され劣等であるとレッテルを貼られるわけなのだから。東南アジアは単純に「彼ら」なのではなく、民族的/言語的/文化的「彼ら」であり、あらゆる差別構造が内在化していると言える。

日本が東南アジアを見る まなざし(gaze)は、「植民地者的まなざし(colonial gaze)」だと言えるのではないかと考える。「エスニック」はまさにこの権力構造をあらわす表現だと思う。

「エスニック」という権力の行使

権力

最後に、「私たち」が構造的に付与され所有する権力を、私たちはどのように使っているのか。

ここで「エスニック=東南アジア」というところに話が戻ってくる。

言説について話した時に、「エスニック」という言葉で表される東南アジアは「”私たち"の言説によって確立される想像上の存在」と述べた。「私たち」は自分たちの持つ権力を行使して何をしているのかと言うと、それは表象(representation)の管理と操作ではないだろうか。

「エスニック」という言葉で、東南アジアに本来とは異なる特定の画一的なイメージを生産する。それは結局のところ、東南アジアの表象を日本が自分勝手に決めつけ、再生産し、「真」のイメージとして確立していくことが権力の使い道である、ということだと思う。

ここでもう一つ考えるのは、日本の持つ「エスニック=東南アジア」の表象はどれだけ影響力があるのか、ということである。それは日本国内に止まるものなのか、東南アジアの国際的なイメージに影響を及ぼしているのか、もしくは東南アジアのセルフイメージに影響を及ぼしているのか、それは今の時点では私には分からない。というよりもそこまで考えが至っていない。

みなさんは「エスニック」をどう考えますか?


最後までこの駄文とぐだぐだの考察を読んでくださり、ありがとうございました!持てる知識と理論とかをもとに普段何となく考えていることなので、おそらくこの先この見解は変化するかと思いますが、その時はまた新しくNoteに投稿してみようかなと思います。以上です。

記事のまとめ:

私がここで考察をもとに主張したいのは、「エスニック」はただの言葉ではなく、その裏には歴史的・政治的・経済的・文化的な権力構造があるということ。そして東南アジアを「エスニック」と繰り返し形容することによって、この不均衡な権力構造を保持してしまっているのではないか、ということだ。



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