158.ノンアル世代登場

お酒を飲まない人が増えてきたというニュースを、最近よく見聞きします。実際に私の周りでも食事の際にノンアルコール・ビールを注文する人が増えてきました。その理由には、ノンアルコール・ビールの味がおいしくなったからとか、お酒を飲まないと体が楽だからとか、この味があれば特にアルコールは必要がないのがわかったなどの声が聞こえてきます。

また近頃では「ソーバーキュリアス(sober curious)」という言葉も若者の間で流行っているようです。これはsober 「しらふ」に、curious「〜したがる」をくっつけた「しらふでいたがる」という造語だそうです。つまりいわゆる下戸とか禁酒を強いられているからお酒を飲まないというわけではなく、飲めるけれど「あえてお酒を飲まない」ことを選択する言葉だそうです。

昨年2021年10月には、この言葉の提唱者の英国人ジャーナリスト、ルビー・ウォリントン著の「飲まない生き方 ソバーキュリアス」の翻訳も方丈社より出版されました。

実際に2021年10月19日付の厚生労働省 生活習慣病予防のための健康情報サイトにも、次のように記されています。「日本でも、戦後の経済発展もあり90年代後半まで飲酒量は増大してきましたが、近年は高齢化の進展もあり頭打ちあるいは低下傾向となっており、成人一人当たりのアルコール消費量でみると平成4年度(引用者註:1992年度)の101.8ℓをピークに78.2ℓ(2019年度)まで減少してきています」

つまり成人一人当たりのアルコール消費量は、27年間で二割以上減少したということです。

特に同資料の図2「年代別習慣飲酒率(男性、平成元年-令和元年)」を見ると、男性全体では平成元年(1989年)に51.5%だったものが、令和元年(2019年)には33.9%と三割減となっており、中でも減少著しいのが20代男性で、こちらは平成元年(1989年)に32.5%だったものが、令和元年(2019年)には12.7%と、半減どころか六割以上減少しました。

これは、平成元年には男性全体の2人に1人が習慣的に飲酒していたけれど、令和元年には20代男性では8人に1人しか習慣的に飲酒をしていないということです。

図3「年代別習慣飲酒率(女性、平成元年-令和元年)」を見ると、女性の習慣飲酒率は全体では平成元年(1989年)に6.3%だったものが、令和元年(2019年)には8.8%になっており全体的に上昇傾向にありますが、男性の習慣的飲酒率の比べると桁違いの少なさです。また20代女性に限っていえば、4.1%から3.1%に二割以上の減少がみられます。

要因は様々でしょうが、このように日本人のアルコール消費量は近年減る傾向にあり、中でもその傾向は若者において顕著であるということができます。

私自身は体質的にお酒に弱いので、このようなニュースを聞くと今の若者が羨ましくてたまらなくなります。私ももう少し遅くに生まれていたなら、若い頃に味わったアルコールにまつわる数々の不快な思いをせずに済んだのではないかと思うからです。

◇ ◇ ◇

私は若い頃から宴会が苦手でした。大学に入ってすぐに入部したフランス語研究会で、女子学生は500円引きでいいからと恩を着せられて3,500円という当時としては大金を支払って、自分はお漬物のキュウリをおつまみにオレンジジュースを飲むだけで、あとはひたすらお酌をしたり、ウィスキーの水割りを作るといったホステス稼業をやっていたことは前にも書きました(152. 大学のサークル)。

大学を卒業してから就職した会社でも忘年会・新年会・送別会・歓迎会・同期会を始め様々な理由で職場での宴会がありました。私はほとんどお酒を飲むことができない体質なので、乾杯の時もできればノンアルコール飲料を口にしたいと思っていましたが、ビールやシャンパンで乾杯をしないとは、それは礼儀に反する、失礼にあたるとアルコールを強要されました。

そのように強要する人は、決して特定の人物ということでなく、私の目には当時の「社会」がそのような規範を作り出していたように見えました。

幸いなことに私の体質はアルコールを一口でも口にすると命に関わる重篤なアレルギーを引き起こすというようなものではありませんでしたが、それでもビールをグラス一杯も飲もうものなら、目の前が黄色や紫色になって嘔吐し、記憶をなくす程度にはアルコールには弱い体質でした。注射の後、アルコール脱脂綿で腕を抑えていると、そこが赤く腫れあがるのはいつものことでした。

しかし、そんな私に周囲の人々は「大丈夫、練習すれば飲めるようになるから」とか「焦らなくてもその内に飲めるようになるから少しずつ練習をしようね」と温かい励ましの言葉をかけてくれました。つまり、お酒が飲めないのは私の努力不足が原因であり、日々努力を重ねればいつかちゃんとお酒が飲めるようになるので、これからも弛まぬ努力を続けて一人前の社会人となれというものでした。

二十代の頃には、あまりにも異口同音に周囲の人々がそのようなアドバイスをしてくれるので、私も、これは何としても努力してこの現状を克服せねばならないと思い込み、自分なりに「練習」に励みました。しかし練習の度に悪心・嘔吐に苦しみ続け、そのうちビールをひと口飲むだけでまるで条件反射のように嘔吐の感覚が内臓から突き上げてくるようになってきてしまいました。

◇ ◇ ◇

1985年、私が社会人になっての3年目のことでしたが、新語・流行語大賞の流行語部門の金賞に選ばれたのは、「イッキ! イッキ!」という若者たちが酒を飲むときに周囲の者がはやしたてるかけ声でした。

この言葉は、私が学生時代からよく使われていましたが、私自身は「女の子だから」という免罪符によってイッキ飲みからは免れていました。しかし、非営利団体ASKのデータによれば、急性アルコール中毒による救急搬送者数は調査開始の1983年から毎年5千人以上で、1997年以降は年間1万人を上回るようになり、2019年には1万8千人を超えました。

急性アルコール中毒による死者数も、80年代中盤から90年代にかけては毎年二桁にのぼっていました。1992年に「イッキ飲み防止連絡協議会」が設立され、少しずつ社会にイッキ飲みの危険性や、体質によって飲めない人がいるのだということが認識されていきました。

それでも私が20代だった当時、アルコールを分解するALDH2という酵素の存在ももあまり一般には知られてはおらず、嘔吐したり苦しんでいる私に、周囲の方々は自分の若い頃の失敗談や経験を話しながら、練習すれば飲めるようになるから頑張れと励ましてくれていました。

厚生労働省の生活習慣病予防のための健康情報サイトによれば、ALDH2酵素は次のように説明されています。

【ALDH2酵素】
アセトアルデヒドを分解する主要な酵素。日本人には酵素の働きが弱いひとが多く、少量の飲酒でフラッシング反応を起こし飲酒量が抑制される。
2型アルデヒド脱水素酵素は、エタノールの代謝産物のアセトアルデヒドを分解する主要な酵素です。ALDH2と略します。

日本、中国、韓国などの東アジアのひとでは遺伝子の点突然変異により、酵素の働きが弱いひとが多くみられます。対立遺伝子が2本とも弱いホモ欠損型のひと(日本人の1割弱)は少量の飲酒で血液のアセトアルデヒド濃度が急激に増加し、激しいフラッシング反応(顔面紅潮、嘔気、頭痛、眠気)を起こすのでめったに飲酒しません。1本が弱く1本が強いヘテロ欠損型のひと(日本人の3割強)も、2本とも強いホモ活性型のひとの約1/16の酵素活性しかなく、フラッシング反応が起こるため飲まないひとや少量飲むひとに多くみられます。日本列島の中心部ほどALDH2欠損の頻度が若干高い傾向があります。

ALDH2へテロ欠損者の飲酒は社会文化的な影響を受け、1970年代はアルコール依存症患者の3%がヘテロ欠損者でしたが、現在では13%以上の患者がヘテロ欠損者です。ヘテロ欠損者では職場やサークルで飲酒を鍛えられて、耐性によりフラッシング反応が弱まり、大酒家になるひとも少なくありません。ALDH2欠損者では飲酒による食道や咽頭の発癌リスクが高まります。

私はこの対立遺伝子が2本とも弱いホモ欠損型のタイプだと思われ、日本人の一割の一員だと思われます。私の両親もこのタイプのようで、父などは若い頃の結婚披露宴の乾杯で卒倒したり、花火大会の屋形舟の上で始まる前にどうしてもとすすめられたお酒を断り切れず一口飲んでしまったばかりに、花火大会の間中、舟の畳で寝ていたなどという笑うに笑えないエピソードがいくつもありました。

そんな両親の子である私も「ほろ酔い加減」になったことはかつて一度もなく、お酒を飲むことは、たちまち目の前が黄色くなり、悪心、嘔吐を意味しました。

◇ ◇ ◇

私はお酒が飲めないということに、長年罪悪感を抱いていました。特に若い頃は宴会の度に「練習」をしては、悪心・嘔吐の繰り返しで周囲に迷惑をかけ通しで大変申し訳ないと思っていました。

30代になる頃には、もう「練習」はやめることにして、乾杯は仕方ないにせよ、あとは烏龍茶などで宴会は切り抜けることにしましたが、お酒が飲めない人のことを「不調法者」と表現するように、その場の雰囲気をしらけさせ、いわゆる「つきあいの悪い人間」だと思われているように感じていました。

主観的には、私自身はかなりつきあいのいいタイプで、お酒など飲まなくても烏龍茶やオレンジジュースでみんなとワイワイと語り合い、笑い、盛り上がり、終電まで楽しく過ごしているつもりでしたが、客観的にはきっと私は「不調法者」なのだと思われているに違いないという思いが常につきまとっていました。

さらにお酒のおいしさ、楽しさを理解できない可哀想な人だと憐れまれると、悲しい気持ちになりました。

また、お酒を飲まないと本音で語り合えないとか、真の友人、あるいは気心の知れた仲間や信頼できる部下としては認めてもらえないのではないかという、幻想かもしれない疎外感にいつも悩まされていました。

◇ ◇ ◇

そして、経済的な不満も常に心の片隅にありました。お茶やジュースを飲んで居酒屋などで冷奴や枝豆や焼鳥をつまんで数千円を支払うということに小さなわだかまりがありました。周囲の人々に「あなたはお酒を飲んでいないから〇〇円でいいよ」などと気を遣われるのも申し訳なく思いました。かといって散々酔っ払っている人と割り勘というのも不公平に感じました。

数千円も出せばちょっと小洒落たレストランでサラダやデザートまでついたランチが食べられるし、二次会、三次会の分まで考えれば、高級レストランにだって行けそうだとよく思ったものでした。

段々とこの世の中には、練習してもお酒が飲めない人がいるのだということが理解されるようになってくると、周囲の対応にも変化が出てきました。「練習」の勧めから、次第に「無理してお酒は飲まなくてもいいからね」とのアドバイスに変わっていきました。とはいえ、宴会の場所は必ず「お酒を飲む場所」に限定されていました。

私は「練習」を勧められていた時から、みんな私のことを思って親切心からアドバイスしてくれていたと感じてきました。私は女性だということもあって、巷で耳にする「俺の酒が飲めないのか」などとからまれたこともありませんでした。「無理してお酒を飲まなくていいよ」というのも、私のことを思っての言葉だとよくわかっています。

しかし、私には長年に渡って一度口にしてみたいと思いつつ、でもまだ一度も言葉にしたことのないフレーズがあります。それは次のようなフレーズです。

「今度の歓迎会は、ホテルのケーキバイキングにしませんか? え? 甘いものが苦手なんですか?! いえいえご心配なく、大丈夫です! 無理して甘いものを食べることはありませんから。あのホテルなら、パスタやサンドイッチなどのお食事もたくさんありますし、サラダだって豊富にあります。コーヒーや紅茶なども飲み放題で数千円ですよ!」

お酒を飲まない人をわざわざ酒場に連れて行って「お酒を飲まなくてもいいよ」と言うことは、甘いものが苦手な人をわざわざケーキバイキングに連れて行って「甘いモノを食べなくてもいいよ」と言うのと同じことなんですと、私は心の中で声に出さずに何度も呟きました。

◇ ◇ ◇

40代、50代にもなると、もう誰かにアルコールを強要されるようなことは、ほぼなくなりました。しかし、相変わらず宴会は続きました。私は歓迎会や忘年会などはなぜ食事会ではいけないのだろうかとよく思いました。食事なら誰もがするのだから、食事会にしてお酒を飲みたい人は好きなだけ注文するという方式ではいけないのかと思いました。

また、酔っ払いによる暴力事件や酒乱による家庭崩壊の報道に接する度に、健康増進法で規制すべきはタバコよりもアルコールではないのかと思ったりもしました。よく「あの人はお酒さえ飲まなければいい人なのに」という表現は耳にするけれど、「あの人はタバコさえ吸わなければいい人なのに」とは決して言わないし、タバコの吸い過ぎで四半世紀に渡って毎年毎年1万人以上が救急搬送されるなどということもありません。

それでもアル・カポネ時代の禁酒法もうまくいかなかったことだし、日本の人口の六割を占める人々はALDH2がホモ活性化しているので、アルコールを制限するなどというのはただの下戸の戯言に過ぎないのだと自分に言い聞かせました。

◇ ◇ ◇

私はアルコールに弱い体質に生まれつき、これは日本人の約一割に相当する体質だということですから、「お酒が飲めない」というある種の社会的少数者(マイノリティ)として生きてきました。社会的少数者は社会的少数者であるということだけで不便であり、疎外感や被害者意識を持つものだということを自分自身の経験から学びました。

私はお酒の飲めない社会的少数者としての経験から、きっと様々な社会的少数者・マイノリティと呼ばれる人々は、なぜ「当然のごとく」コトが運ばれていくのかという疑問や不満を、口には出さなくとも心に抱えているのではないかと身をもって感じるようになりました。この「気づき」は私がお酒を飲めない体質で得られた最大の収穫でした。

私が子どもの頃には、多くの左利きの子どもが右利きに矯正されていました。左利きの割合も日本では約一割だと言われています。

最近様々な分野で、社会的少数者に配慮すべく、差別意識や社会的多数派の「特権」を見直そうという気運が高まってきています。

私が長年悩んできたアルコール問題は、ノンアルコール飲料の登場・流行や、あえて飲まない選択をする若者たちの出現という、私には思いもよらない形でお酒を飲まないという生き方に市民権が与えられつつあります。


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