キラリタイ
私は高校時代、吹奏楽部に所属していた。
全国大会の常連校で、座って演奏するコンクールと、歩いて演奏するマーチングを両立していた。
部員は180名を超えていて、
大会に出る人数はごく一部に限られていた。
コンクールは上級生が出ることが多いが、
マーチングはメンバー編成の人数が多い分、
下級生にも出るチャンスは充分にあった。
私は中学の頃から、この入学した高校のマーチングが好きだったので、マーチングメンバーになって全国大会に行くことを楽しみにしていた。
---- 一年生の、夏。
マーチングリーダーの先輩と同じポジションを争うことになった。
ポジションが被ってしまうと、
全体練習では交代しながら練習を行う。
『勝てっこない』と思っていたものの、
必死に練習をしていた。
マーチングリーダーの先輩は
自分の練習も勿論だが、
全体の練習も見なければならない分、
私は多く練習が出来ていた。
・・・
大会前、ポジション決めの
オーディションが行われた。
『勝てっこない』と思っていた分、
あまり緊張せず練習通りの
パフォーマンスができた。
オーディションが終わった開放感で
同期ときゃっきゃしてる間に、
オーディションの結果発表の時間が来た。
何故か
再オーディションのメンバーに入っていた。
は…?と思っていると、
同じくきゃっきゃしていた同期も
再オーディションになっていた。
ちなみに、その同期は副部長と
ポジションが被っていた。
『私たちは、まぐれで残ってしまったのか?』『先輩がミスでもしたのか?』
と、プチパニックだった。
しかし、それ以上に
先輩たちはざわついていた。
リーダー格の2人が
一年生相手に再オーディション。
卒業した今なら分かるが、
結構ツラいことだったと思う。
先輩たちは緊急ミーティングのように
部室に固まり集まっていて、
私たちは気まずくて、そそくさと
部室を後にした。
同期「…やばいな。」
まるこ「うん、やばいな…」
この時の「やばいな」には
色んな意味が含まれていたと思う。
同期「でもさ、結構凄いんちゃう、ウチら」
まるこ「せやな、やっぱちょっと嬉しいかも」
同期・まるこ「…」
同期「頑張ろ。先輩たちに出てほしいけど、
うちらも精一杯やろ!」
まるこ「そやな…!頑張ろ!」
私たちは先輩たちが好きだった。
その先輩たちに並んだというのは、
やっぱり嬉しかった。
もしかしたら…という希望に、
私たちは一層練習を頑張った。
・・・
再オーディション当日。
初オーディションより、少し緊張していた。
だが、それ以上に先輩の緊張が伝わった。
『そりゃ緊張するよな…』
と、妙に冷静な自分がいた。
オーディションは、
お互い前後に並び同じ動きをする。
…のだが、
その再オーディションで、
私の前にいた先輩は動きを間違えた。
その時も私は妙に冷静で
『あっ…』と思いつつ、正しい動きをしていた。
先輩は動揺したのか、音も震えていた。
終わった後に見た顧問とコーチの困った顔
先輩の落胆した表情を、今でも覚えている。
再オーディションした同期と合流し、
同期はあんまり手応えがないと言っていた。
私は先輩がミスをしたことを同期に伝えたかどうか覚えていない。
ただその時、私は一回目の時より、
うまく出来たと思っていた。
・・・
数時間後の結果発表。
ポジションに選ばれたのは、先輩だった。
オーディションのあと、
顧問とコーチに呼ばれた先輩を見かけたので、
結果はそうなるだろうと予測していた。
同期のポジションも
副部長の先輩になっていた。
私はホッとした。
『先輩は最後の大会、
しかもマーチングのリーダーだ。
そんな人を差し置いて、入ったばかりの
一年が代わりに出るなんて…』
そう思いつつ、
心のどこかでモヤっとした何かがいた。
---- 二年目の、夏。
ポジションを決めるメンバー表が配られ、
それを見た私は号泣した。
周りはとても驚いていたが、
私は構わず泣いていた。
二年目は、担当楽器のリーダーと
ポジションが被った。
『なんでこんな酷いことするんだ!』
と、暴れてやりたいくらいだった。
一年の時に再オーディションになった同期は、
誰ともポジションが被っておらず、
オーディションなしで大会に出られる。
その同期と同様に誰とも
ポジションが被っていない子は他にもいた。
一年の時の経験から、始まる前に
「もう貴方は大会に出れない」
と言われた気持ちだった。
『せめてポジション被りが、同じ二年生なら』
『後輩の一年生だったなら』
そう思わずにはいられなかったのだ。
私は落胆しすぎて、練習も身に入らなかった。
・・・
その結果、案の定そのポジションは
リーダーの先輩に決まった。
決まった後も
『私がこうなることは決まっていたんだ』
と思っていた。
『二年になっても大会に出れないなんて…。
同期はオーディションを受けなくても
出れているのに…。』
『ポジションが被っていない
あの子より私の方が…』
仲間である同期たちにも
負の感情を抱いていた。
・・・
オーディションに落ちたメンバーは
裏方にまわる。
歴代その【落ちたメンバーの集まり】で
結成されたチームを【きらり隊】と呼んでいた。
きらり隊は殆どが一年生で、
二年生は数少なかった。
なので、嫌でも私たち二年生が、
きらり隊を引っ張らなくてはいけなかったのだ。
その中に、マヤという同じ二年生がいた。
私たちは特別仲が良かった訳ではなかったが、
マヤのことを面白い子だと認識していた。
感情豊かで思ったことをすぐに
口に出して発言するタイプ。
だけど意外と常識人で、
ちゃんと他の人を気遣える
優しさを持った子だった。
きらり隊で初めて集まった時も、
人一倍悔しがっていたし、泣いていた。
そんなマヤに触発され、
きらり隊みんなで悔し泣きをした。
悔し泣きをしたせいか、
『ここにいるみんなで頑張りたい』
という気持ちが昂った私とマヤは、
その日からきらり隊のリーダーになった。
・・・
『とにかくマーチングメンバーに負けたくない』という反抗心から、きらり隊が『マーチングメンバーたちに勝てることは何だろう』と考え、みんなで目標をたてることにした。
そこで思いついたのが、
『マーチングメンバーに負けないくらい声を出す』
馬鹿っぽい発想かもしれないが、
吹奏楽部と言ってもほぼ体育会系だったので、
声を出すことは重要だと考えていた。
『声を出すなら誰にだって出来る!』
と、きらり隊の目標が決まった。
それから毎日、練習で疲れてきても
声を出すことだけはやめなかった。
きらり隊はマーチングメンバーよりも
人数が少ない分、声を掛け合いながら
チームワークを大事にしていた。
『誰からも評価されなくていい、
私達は選ばれたメンバーに
声だけは負けない、負けたくない』
その気持ちが1番大きかったのだ。
・・・
ある日の練習。
きらり隊は基本的に
マーチングメンバーとは別メニューのため、
広い体育館の端っこに集まって練習をしていた。
正直、マーチングメンバーを横目に
細々と練習するのは惨めだった。
そんな練習中、
コーチがマーチングメンバーに言った。
コーチ「君たちより、きらり隊の方が声出てるんじゃない?やる気あるの?」
それを聞いて正直驚いた。
私たちはどんなに声を出そうと、努力しようと、
ずっと蚊帳の外にいると思っていた。
だけど、ちゃんとあそこまで
声が届いていたんだ。
その日からか、
きらり隊はみるみる躍進を遂げていった。
今までのきらり隊の役割と言えば、
本番前の打楽器運搬や
カラーガードの小道具セッティングだった。
本番が始まってしまえば、
マーチングメンバーが演奏しながら歩く
コンテの枠外で終わるまで待機。
…だったのだが、
驚くことにマーチングメンバーのコンテに、
きらり隊が登場し始めたのだ。
楽器を持って演奏出来ないものの、
コンテの中に組み込まれ、歩くことが出来る。
それはきらり隊がマーチングメンバーの一員としてポジションをもらったということだった。
コーチ「きらり隊の誰を配置するとか、動きは君たちに任せるよ」
コーチはきらり隊のポジションを決めたあとは、私とマヤに丸投げだった。
戸惑いつつも、”何処に誰を配置して、
どのタイミングで誰が動き出すか”などを考え、
それをきらり隊のメンバーたちに伝えた。
きらり隊のメンバーたちは、
どの子も素直に私たちの言うことを聞き入れて、
問題がある箇所はすぐに相談してくれた。
きらり隊は担当楽器や学年はバラバラだったが、1つのチームとして絆が深まっていた。
まだマーチングに慣れていなかった一年生たちも、徐々にマーチングを楽しいと思えるようになっていて、『きらり隊でよかった』なんていう子もいた。
『それは違うやろ!』と、私とマヤは言いながらも、その頃には【きらり隊=落ちたメンバーの集まり】ではなくなっていた。
・・・
その年の全国大会で、私たちは金賞を受賞した。
あのポジション発表の絶望から、
あんなに清々しい気持ちになるとは
想像できなかった。
きらり隊での時間がなければ、
金賞を心から喜ぶことは出来なかっただろう。
大会が終わってコーチが言った。
「君たちの努力は伝わっていたよ。
メンバーにも大きな力になった。
きらり隊が頑張ってるから
頑張ろうと思わせてくれる、
今までで1番のきらり隊だったよ」
---- 三年生の、夏。
私は初めてポジションをもらった。
マヤも同じくポジションをもらった。
マーチングメンバーとして、
楽器を持って歩きながら演奏し、
初めて全国大会のステージに立った。
その時吹いた一音、
踏み出した一歩の感覚を、
10年以上経った今もまだ覚えている。
その年も体育館の隅で練習する
きらり隊の大きな声が響いていた。
辛い練習の中で、その声は私に力を与えてくれた。
『どうせこうなるんだ』
と一人抱えていた悲しみを仲間たちと共有し、
『負けたくない』と行動に変えたことで、
きらり隊にとって新たな役割、
そして私にとっても、
新たな一歩を踏み出すことが出来た。
仲間たちと苦楽を共に乗り越え、
三年間やり遂げられたことを、
今でも誇りに思う。
まるこ