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想像すること。(去年の11月頃の下書きから)


これは、去年の11月頃の下書きです。
去年のわたしはこれに対して沢山悩んで泣いていたな。






以前から考えていたことなのですが、大人になっても、自分の考えや思いだけで行動し、簡単に人を傷つける人、また傷つけたことを理解できていない人がいるなと、多いなと感じます。
そういう方たちの影響で本人も周りも傷つき沢山の人の心に影響を及ぼすこと。少しだけ、行動する前に考えれば、想像すればきっときっと分かるはずなんだけどなぁと。

今年1年間は特に、私とっての大好きなもの大切なものが明確にあったからこそ、それを絶対に守りたくて傷ついてほしくなくて、ずっと笑顔でいてほしくて、幸せでいてほしい。大好きで大切な人がよく眠れていてほしい。そう心から思っていて発信している中で、見たくないもの、私の大好きな人の目にどうしても入ってほしくないものを見つけてしまった時、苛立ちとかではないけれどすごくすごく悲しかったです。傷つきました。
なにより、私の大好きな人の目にももう既に入っているかもしれない。そう思ったら自然と涙が止まらなかったことが何度もありました。
私は一ファンでしかないから、そう言うものを見つけすごくすごく心配になっても、いても立ってもいられなくなっても、友達のように連絡することも電話をすることもできません。本当に傷ついていたり悩んでいたら話を聞きたいし寄り添いたい。大丈夫だよって、私がいるよって大好きだよってよしよししたい。大好きな人が辛い時、そばにいられない辛さ。何もわからない辛さ。でももしかしたら元気かもしれないから、あんまり大丈夫かなと発信することもよくない気がして。何もできず、ただ自分の中でもやもやぐるぐるして、悲しくて、気持ちのやり場に困った時が何度あったことか。本当に無力だなと痛感します。大好きな人がもしかしたら、気持ちのない言葉たちに傷ついているかもしれなくて、でももしかしたら元気かもしれない。そういうときに私ができることは、今までどおり、むしろいつも以上にそして自然に大好きを発信し続けることでした。SNSを見ていないかもしれない、それでもいい。私の自己満であって、なにもかも想像でしかないことだから。でももしかしたら見てくれて、安心してくれるかもしれない。そういう祈りの気持ちで好きを発信し、私の大好きな人が安心して生活できていたらいいなと。


私は「想像すること」をしすぎて、深読みしてしまうから、直感で動くこともたまにはあってもいいのかなと思っています。ですが、自分だけの気持ちで自分だけの考えで行動し、沢山の人を傷つけているかもしれない方々は、これをいったらみんなどう思うかなと「想像すること」を全くしないのだろうか。それとも、我慢できずに言葉にしてしまうのだろうか。自分の意見を言うことが必ずしも絶対に正しいと思っているのだろうか。もちろん、発言の自由はあるけれど、でも何を言っても良いわけではなくて。みんな、心の中ではそのことが分かっていると思うんだけどな、分かっているとそう思いたいです。本当に。

私はそういった方々を批判をし、指を指したいわけではありません。そう言う人が本当に嫌い!と言葉にすることもありません。私がそれを言うことでまたきっと誰かが傷つくかもしれないから。でも許しているわけでもありません。きっとそのようなことを繰り返している人たちは、今までそういう生き方をしてきている人なのかなと思うから。
自分もそうですが、自分の心や性格は環境因子が大きいと思っていて、実際にそう感じていて。私は常日頃、「想像すること」をしていて、というかほぼ無意識にしていて。それはきっと人よりも沢山傷ついてきたこと。沢山嫌なことをされたこと。言われたこと。でも自分は言い返すよりも、やり返すよりも、私がまた何かを発したことで誰かが傷つくかもしれないことを想像して怖くなったこと。そんな経験が数え切れないぐらいあったことが要因だとおもっています。
言い返したいけれど、自分の気持ちはあるけれど、それでまた誰かが傷つくと思ったら自分の気持ちは押し殺してしまう。何も言えず、ただ言われっぱなしで黙っていた学生時代があったから。きっと周りからしたら、何も言い返してこないからと思われていただろうし、だから余計に沢山傷つけられてきたんだろうなと、それも分かっています。
できるだけ、人を傷つけたくないし、信じる人も最小限。できるだけ関わる人を少なくしたい。その方が、傷つけずに傷つかずにいられるのかなとそう思っていました。私の育ってきた環境、関わってきた人たちのちょっとしたことで、「想像すること」、行動よりも先に「考えること」が自分の当たり前になり、悪く言えば臆病な自分のできあがりでした。

(今はもその根の部分は変わっていないですが傷つけたくない傷つきたくないという気持ちはありつつもから何もかも言葉にしないというのはなくなりました。むしろ思ったことしか言えないし言わないので人に嫌な思いをさせてしまっていること増えた気がします)

私にとっての当たり前は、きっとみんなそれぞれ違くて、それが当たり前で。だからこそ、自分の気持ちだけで人を簡単に傷つけることを繰り返しているひとたちの、全てを否定するわけではないし、全部を知っているわけでもないから、何も言えない、言わないです。私が言うことで傷つくかもしれない誰かがいるかもしれないから。

でもだから余計にもどかしいです。大好きな人のことを傷つける言葉を見つけた時。繰り返しそのようなことをする人がいることがすごく悲しくて、何もできない自分も無力で。
繰り返しそのようなことをしている人は「想像すること」ができないのか、しないのか、その人のことは分からないけれど、「想像すること」をしていたとしたら、傷つく人がいるということが分かると思うから。傷つく人がいることを分かっていながら同じことを繰り返しているのだとしたら、それはやっぱりその人の「今まで」が原因なのだろうなと。それはそれで、とてもとても悲しいことです


誰のことも傷つけたくないと思う私だけれど、きっと普段の何気ない私の行動や言葉で傷ついた人はきっといて。このnoteも、読んでいて嫌な思いをしたり不快な思いをする人がいるかもしれない。きっといるだろうなと分かってはいながら今文字を打っています。

私自身、人に嫌な思いをさせること、傷つけることはしたくない、しないと言う気持ちを忘れずに生活しているつもりですが、お互いぶつかり合い傷つけあうことが、お互いのこれからに繋がる場面もあるかもしれない。そして私自身も、自分の言葉や行動で傷つく人がもしかしたらいるかもしれないこと、それが、自分が「想像すること」をした上での発言や行動だったとしても。
自分のちょっとした行動や言葉で人を傷つけているかもしれないことを、常に考える必要はないのかもしれないけれど、誰かのことを話す場合、SNSや人前で話す時など、他の誰かが聞いているかもしれない、見ているかもしれない、そうやって少し「想像すること」で多少は気持ちのない言葉に傷つく人は減るのではないかなと、思っています。そして、減ってほしいと願っています。


私がこのテーマで書いている理由は、気がついてほしいからです。この記事を読んでもしかしたら誰か不快な思いをするかもしれない。そのことが分かっていたとしても、できるだけ人を傷つけることはしてほしくないなと思うからであって、気がついてほしくて、そして自分の思うままに感情のままにSNSを使うこと、それが否定的なものなら本当によくないよと、みんな傷ついてるよと知ってほしいから書きました。
そして自分の思いや気持ちを言いたくても、傷つけるかもしれないと怖くなって何にも言えなかった臆病すぎる自分。大人になった今。大好きで大切な人、その人を守りたいなという思いとこれからもずっと幸せでいてほしい。押しつぶされそうな夜があったとしても、SNSは愛ある言葉で溢れていてほしい。そして愛ある言葉たちを見て安心してよく眠れていてほしい。簡単に言うと、わたしの大好きな人が見るSNSを愛で溢れさせたいです。無理なのかもしれないけれどそんな気持ちがあって、願いがあって書きました。わたしごときが書いてもなにも伝わらないかもしれないけれど。



去年の11月頃の下書き。去年の私が考えていたこと。だいすきな人がこれからもずっと幸せでいてほしいと願うこと。


この気持ちは今更かも知れないけど、ずっとこれからも続く気持ちで、だから投稿します



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