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安らぐ場所。救われた夜

19日の深夜。夜勤中に思い立った。

「明けでおばあちゃんちに行こう」

私がおばあちゃんちに行きたくなる時は決まって、嫌なことがあった時や、心を休めたい時。何にも考えたくない時だ。

一度家に帰り、必要なものを鞄に詰め込み、おばあちゃんちへ向かう。向かう途中の道も緑がいっぱいでとても好きだ。道も整備されており、走りやすい。窓を開けるとカエルの声と蝉の声が聞こえてきて、車の中で少し音量小さめに流している優しい音楽と相性がいい。そして透き通った風が頬を優しく撫でてくれる。それがとても安心するのだ。

明けで、シャワーを浴びる気力もなく、そのまま敷いてもらった布団に顔を埋める。畳の香りと押し入れから出したばっかりの布団の香りが心地いい。この香りがすきで、おばあちゃんちに来ていると行っても過言ではない。

あっという間に深い眠りにつき、起きたら夕方の6時だった、まだまだ布団にくるまっていたい所だが、さすがにシャワーを浴びて、筋トレや食事制限ダイエットは一時中断することに。今回の勤務は、地獄だった。夜勤入り→明け→夜勤入り→明けだったのだ。明けの次の日の休みがなかった。
2回目の夜勤入りの今日。カーテンも開けず、障子も閉めっぱなし。おばあちゃんちでひたすら眠った。

15時。流石に起きないと間に合わない。と思ったところで、おばあちゃんが沢山の果物を持ってきてくれた。シュークリームもあった。夜勤前に食べてきなさい。と。

あぁ、そうだった。おばあちゃんちに居ると太るんだった。 

居心地が良くてよく行ってしまうものの、たくさんの好物を買ってきてくれるのだ。そのためダイエットにならない。そろそろ本気を出そうと思っていた所でこれはいけない、と脳内で警戒アラームが鳴った。とりあえず、出されたものを全て食べ(だからダイエットにならない)渋々、夜勤の準備と共に、服やらスキンケア用品やら何やらを鞄に詰め込み、だいすきな畳の部屋にさよならをしてきた。

本当は、心が絶不調のため、しばらくおばあちゃんちに泊まろうと思っていた。そうしたかった。けど、しかない。太ったら元も子もないのだ。自分の見た目がマイナスな方に行ったら、心も同時にそちらを向くことは分かっている。これ以上、自分に自信を無くすようなことは自分でもしたくなかった。


明日から、どうしよう。
一人でまた頑張れるだろうか。
ダイエットも、やりたいと思っていることも。人間関係においても、自分自身の今やこれからについてもすぐに不安になってしまう私は、実行しようと決めたことが完璧にできないとすぐに責めてしまう。心の調子がいい時は、そんな自分も受け止められるのだが、調子が悪い日々が多すぎて上手くは行かないのだ。そしてどんどん闇に堕ちて行ってしまう。何かいい方法がないのか、25年間ずっと探し続けている。でも、他人から闇に突き落とされた経験が山ほどあるため、それに比べたら自分が原因で自分で闇に堕ちてしまう方がよっぽど心がマシなのだ、と最近思えるようになってきた。



最近、よく聴いている曲がある。その曲の歌詞を聴いている時、この歌詞のように自分や人を肯定できたら、こういう考え方ができたら、と今とは違う人生になっていただろうなと想像してみたりする。

⭐️SPARK!! / コレサワ⭐️

自分もこういうメンタルを持ちたいという憧れがある。生まれながらにこう生きられる人は数少ないだろうけれど、きっとこういう考え方を持って生きられる人は自分を愛し、周りも愛せる人だ。そして、愛される才能をも持っている。
自分が苦しい時すらも、自分のことも周りのことも愛そうと努力することができる人だ。私は、こういう人になりたかったのだ。歌詞を聴くたびに、今の自分とはかけ離れていることを思い知らされる。違う世界の違う人生を生きている自分に思いを馳せるのだ。聴くたびに、こうやって生きてくれていたらいい、と願うのだ。

私の好きな歌詞たちです。

この歌詞たちに救われた夜があった。
大好きな子の大好きなTikTokを見に行った夜。癒しを求めていた。更新されてないかな、と見に行った。通知をオンにしているのに、何故か毎回通知がこない。そのため定期的に覗きに行くのだ。ほとんど毎日覗きに行っているのだが、心の調子が悪くSNSを見れない日が時々ある。そして大体、見にいけない日に更新しており、次の日に「また出遅れた、、」と落ち込むことが毎回だ。

今回もそうだった。出遅れたことにショックを受けながらも再生。TikTokを見た瞬間、可愛いの連続で好きが溢れて溢れて仕方がなかった。表情も、ダンスも全てが可愛い。私の大好きな子が頭に手を置かれてる瞬間なんて、妹感を感じてしまって愛おしくて堪らなかった。

一通り、可愛いを堪能した後、曲のポップさとキュートでありながら心に刺さる歌詞に気がついた。TikTokに使用されている曲を、すぐさまSpotifyのプレイリストに追加をした。

その夜、大好きな子の大好きなTikTokで見つけた曲に救われ、明日を生きる元気を貰えた。

私の大好きな子はいつだって大切なことに気がつかせてくれる。大好きな子が、TikTokでたまたま使った曲がこんなにも今の私に響くのだ。自分自身の、自信のなさから自分を責める日々、裏切られたり信じたりを繰り返して疲れ果てる日々。誰を、何を、信じたらいいのかが分からず、結局いつだって一人きりだ。25年間ずっとそうなのだ。
でもこの曲を聴いて、他人軸で生きていたことに気がついた。というか、思い出したのだ。私の自信のなさや、劣等感はいつだってどこへ行くにもくっついてまわる。それに数えきれない程苦しんだし、その巨大な劣等感のせいで、思ってもないことを相手に言ってしまい、相手を傷つけたこともある。そしてまた自分を責めるのだ。
でも、その私を苦しめてきた劣等感は他人軸で生きているからこそ出来上がるものなのだ。人にはそれぞれの生活があり、それぞれの努力がある。傷つくことも人を信じた代償なのだ。信じることは悪いことではないと信じたい。だから、自分を責める必要なんてないのだ。そのことを分かっていたはずなのに、分かろうと努力をして、なるべく自分を自分で傷つけたりしないように、訓練をしていた所だったのに。いつの間にか忘れてしまっていた。

大好きな子は、私にとって道標のような存在なのかもしれない。そんな風に感じた。いつも大事な何かに気づかせてくれて、自分にとって大切なものを思い出させてくれるのだ。

年下とは思えない、といつも思う。
誰かを魅了する力も影響力も、それでいて飾らない姿をラジオやエッセイで見せてくれるのだ。いつだって自己投資を怠らず、これからのために努力をしている子だ。その姿はとてもキラキラしているし、久しぶりに会った時や、番組で見た時。SNSの投稿をみた時も、素敵だな、当たり前のようだけど、人前に立つ仕事をしている以上、普通以上にすごく頑張ってるんだよなと力をもらっている。そんな大好きで守りたくて素晴らしすぎる子を私はこれからもずっと見守りたい。
そしてきっとこれからも、大好きな子が投稿した写真や動画、音楽、ストーリー、YouTube、ラジオ、エッセイ。その全部を楽しみにしていて、一つ一つ大好きなコンテンツで大切なもの。くぅちゃんが「ここで!?」と思うような些細な言葉や、話、などなどにこれからも助けられて、影響されて、気付かされるのだと思う。

今回、TikTokで使用していた曲に明日を生きる元気を貰えたように。


これを書いている仮眠の時間。私はやっぱり不安でたまらない。明けで自分一人の家に帰り、頑張れるかが不安なのだ。やりたいこと、やらなくてはいけないことが分かっているのに、出来ないのが、やらないのが怖いのだ。怠惰だとまた責めてしまう。けれど、私にはなりたい自分になるために頑張る理由がある。そしてなりたい自分になるために、忘れてはいけないのが、これ以上心の状態を悪くしないこと。会いたい人に、会えなくなるのだけは嫌だから。


もうすぐ25歳だというのに、自分の心の休め方と、仕事をしながらの自己投資や夢に向かっての頑張り方、自分が自分で居られるような生活の仕方をまだまだ模索しております。助けてもらおうと、ヒントを貰おうと、本を読み、どんな映画を見ても、「そうだよな、そうしよう」といつも同じことを感じ、思うのです。頭では理解しているつもりなのです。でも、どうしても責めてしまう自分が居るのです。それはきっと小さい頃から感じていた劣等感、その積み重ねなのだと思います。言われてきた言葉、育ってきた環境、これらの積み重ねにはきっとどんな言葉も敵わないのかもしれない。これ以上、駄目だと思われたくないから、人より何倍も頑張らないといけないことが分かっているから、それができないと人より劣っていると思われるし、自分もそう思う。だから責めてしまう。けれど、自分の心にもいつかちゃんと分かってもらえるように、日々の生活の中で訓練を続けていきたいと思います。

これ以上、苦しまないでいられるように
そして、大好きな子をこれからもずっと応援できるように。

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