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デザイン事務所で働いた1年

アパートを一棟借りて改装された
お洒落デザイン事務所に勤めていました

高校を卒業をし新卒採用で勤めていた会社を辞めデザイン事務所の面接へ行きました。
それまで働いていた職場でデザインしてきたものをまとめてポートフォリオを作成し、まだもう少しニートをやっていたいきもちもあったので髪型もほぼアフロみたいなふざけた髪型に雑にブリーチしたので白金みたいな色になってしまった髪をさすがにこれでは受からないよなと思い、色だけは黒にしてバンドのステッカー貼りまくったデザインカバンにポートフォリオを入れて面接に行った覚えがあります。

面接で何を話したか緊張で覚えてませんが、無事合格をすることができました。
後日面接をしていただいた、自分が受けたデザイン事務所と一緒にアパートをシェアしてる独立デザイナーの人にデザインカバンにステッカーがいっぱい貼ってあっておもしろそうだなって思って採用したと言われ、何がきっかけで採用してもらえるかわからない物だなと思いました。

でも採用されてからがすごく大変で、
自分が採用されたデザイン事務所には社長1人しかおらず、しかも社長はデザイナーではなかったのです。
社長はディレクターというポジションでいわゆるアートディレクターとも違うノーマルのディレクターだったのです。
ディレクターはどちらかというと営業よりで仕事をとってきてこの仕事はこのデザイナーにやらせたら得意そうだなとか管理、マネージメントをやるようなポジションの方だったのです。

なので自分は前職でもデザインをやっていたのですがグラフィックデザインというものは今回が初めてで、ちゃんと未経験と伝えたうえで採用していただいたのですが、右も左も上も下も前も後ろもわからないレベルだったので最強に迷惑をかけ最悪の苦労をすることになるのでした。

フォトショップとイラレに関しては前の職場で使いこなせるレベルになっていたため、こういう感じで作って、と頼まれれば作ることは難なくできました。
でもここからが色々違って、主にやっていた仕事は旅行会社や不動産の折り込みチラシ、新聞広告、旅行パンフレット、あとは車屋さんとかの店内・店外ポップなど。あとお店のショップカードとかツール、ロゴとか。
で1番多く仕事があったのが不動産チラシと旅行の広告パンフレット、チラシここら辺がレギュラーの仕事として毎月あったのです。
でこのチラシとかパンフレットが厄介ではじめ言われたものを作れば終わりじゃないのです。
そのあと旅行のプランや金額が変わったりするたびに内容を更新したり、プランが増えればレイアウトを変更したり。
その為、修正が入る前提でなおしやすい、さらに触りやすいデータにしておく必要があったのです。
自分はこれを知らなかったので、文字の落としカゲなどをフォトショップでつけてしまっていたり、修正が入るたびにイラレなおしてさらにフォトショの方のリンク画像も全部触りなおしてとかごちゃごちゃなつくりでむりやり見栄えを成立してたので自分でもどこまで触ったかがわからなくなおし忘れが多発したり。
ピンチになると先ほどお話に出た面接をしてくれた場所を一緒にシェアしていたデザイナーの方が手伝ってくれたのですが、自分のデータの作り方が訳わからなすぎて手伝うにも手伝えない状況。
こんなことが連発して出だしでシェアしてる人達も一緒に相談に乗っていただきうーんってなって。

それで決まったのが、シェアしてる独立してるデザイナーの方にデザインを学ぶことになりました。
そして色んな事をゼロから学び、グラフィックデザインとはから教えてもらいました。
データの作り方もやはり全然違ってたというのも気づけてそこそこできるようになったのですが‥

でもこのグラフィックデザインというものが兎に角自分の大雑把で雑で細かい事を気にすることが出来ないという性格に合っていなく、
ミスを連発、とちりまくる日々、そして締切に全部の仕事で追われ、電話がなれば広告代理店からの怒りの電話だったのでした。

『データもってこっち来てなおせ!』
といわれUSBにデータいれてダッシュで広告代理店へ。周りには知らないデザイナーの方がいる中、すみのPCを使わせていただいて焦りながら修正。でも慣れないPCだからスピードもあがらず。あと知らない人だらけなので緊張して集中できず、さらにここでもミスをくりかえす。でばち怒られながら修正して。
周りのデザイナーの人が同情してくれてマック買ってきてくれたのをいただいて。
また『お前は白紙の新聞みたことあるのかぁ!!』て怒鳴られて。で朝方にようやくできてその怒っている営業マンの人に印刷屋行くぞって一緒にデータを持って印刷屋に。
そして疲れ果てて帰る。
みたいなのが続くのでした。

最大では一睡もする事なく72時間以上起きてPCに向かってました。最後は流石につくえに気絶して倒れてました。大量のよだれが流れ落ち椅子の下で水たまりになっていました。『やべ!おねしょした!?』と思いましたが股間は濡れて無かったので全てよだれだったのです。よだれが靴下に染み冷たっ!ってなって気をとりもどしたのでした。

流石にできなさ過ぎて、社長も見かねて、
明日からここのデザイン事務所でお手伝いしてきてと名刺を渡されました。
そこはシェアしているデザイナーさんの先輩デザイナーさんの事務所なのでした。

そして次の日からそこへ通い、
自分よりひとまわり以上年齢のちがうお姉様デザイナーだったのですが、すごい優しい人で自分の話を聞いていたのかとてもやさしくしていただきました。
ずーっとラジオがBGMで流れていてゆっくりと時間が過ぎていく。コーヒーとかも入れてもらいながら仕事もここでは広告とかではなく、会社の社内報?とか取説の挿し絵などの素材作成する仕事をしていました。
それで1、2ヶ月ここで仕事をしたのですが、
もうこの時には自分にはグラフィックデザイナー向いてないなと気づけていたので自分の事務所に戻った時に辞めますと打ち明けた気がします。

でも本当に良い経験ばかりして、
辛い仕事がたくさんあったのは確かなのですが、
他にも楽しい経験も沢山させていただき、
一緒にシェアして働いてるデザイナーの方の打ち合わせで来客されるかたは無知な自分でも名前を知ってるようなアーティストさんだったりアパレル会社だったり。ミーハーな自分にはずっと話を盗み聞きをしていられるおもしろい方ばかりが事務所に訪れる日々だったのです。
だから仕事の手が止まっていたという可能性はなきにしもあらずですが。

あと最初に貼らせてもらった画像にあるように、
アパート一階はフォトスタジオになっていたので、
たまに水着姿のモデルのお姉様の撮影があったりしたらしいです。自分も何回か一階に連れてってもらいましたが、出くわすことはありませんでした。
無念。



次回『先輩デザイナーに教わった本は財産。私が持っている本を紹介。わたしの本棚』

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