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今までで1番泣いたかもしれない映画『サーティセブンセカンズ』

脳性麻痺の人が主人公の映画。

映画後半でわかる事実。
このことによって色々な感情が爆発する。
ここから嗚咽は止まらなくエンドロールまで涙は続く。

このnoteを書く為に見直しましたが、
展開をわかっていてもあの真実を知るシーンが近づくだけで涙が出てしまう。
やはりこんな残酷な話はない。
ここまで長尺で泣き続ける映画は他にない。

映画の序盤でCHAIの音楽がかかるところはぶち上がるのですが映画観終わったあとは考える事がありすぎて色々思ってしまいました。
コントラストが凄過ぎて。でもCHAIのメッセージとは繋がるものがあるのかも。


映画の内容に関しては説明しませんので、
是非自分の目で観てください。


解決してあげられない問題というのは実際にあり
意外にそういうことから目を背けがちになる。
解決してあげないといけないと勝手に思い込む。解決してあげられないと自己嫌悪になってしまう。だから解決できないなら無かったことや見えないことにする。これで問題をのりこえられたことにする。
これはやはりエゴでしかない。解決できなかったという事実を認めて存在を認めた方がよっぽど次へのためになるのではとか考えたけどそうじゃないことだっていくらでもあるだろうし。


自分には障害者の従姉妹がいて、
10歳くらい年上のお姉さんである。
この映画の主演の方よりも重度の障害者だ。
身体と知的障害両方をもっていて。
うちは親が共働きだった為、よくここの親戚の家にあずけられていてこの障害者のお姉さんに遊び相手になってもらい子守をしてもらっていました。
なので幼少期から障害者がいる環境が身近なものだった。

でも当事者・当事者家族 と それ以外の人には大きな差があるのだと思う。
その苦労はわかることはない。

それに当事者と当事者家族との間にもおそらく思いに乖離があるだろうなとか。

そんな環境で育った自分でもやはり障害者を見ると構えてしまうというか障害者の方を見る目でみてしまう。相手が障害者なので当たり前なのだが。
でも世の中の人は差別を意識するがあまりこういう時にリアクションを隠すようになってしまったと感じることが多いです。これは差別をしてないのではなく見えないこと・居ないことにしてるのでは?これはむしろ差別より悪化してるのでは?と思ってしまうのです。なので自分は同じように見えないフリをするような最悪な事をしたくないのでその個人の方をみて思った感情をそのままリアクションするようにしています。

多様性とはそつなくこなすこと。ではないと思う。

まぁ誰もそんな事、言ってないかもしれませんが。



でも実際に自分がその従姉妹のお姉ちゃんとその家族にしてあげられたことは何もない。
ただ従姉妹として存在することしか出来てないまま今に至ります。


その従姉妹のお姉ちゃんには2人の妹がいて三姉妹なのですが、誰1人と結婚しませんでした。
その理由を聞くことはないのですが。
この先も聞かないと思うのですが。

映画でもお母さんが悪い訳じゃないし、
お父さんが悪いわけでも無く、
お姉さんも妹も悪くないんです。


でも残酷すぎて。
でも残酷と思うことすらしてはいけないこととも思ってしまう。


誰も恨めない。


でも恨んでるかもなと思う人がいて。


でも誰もが聞く勇気や話す勇気がなかったり。
その事を考えることさえ罪悪感を覚えるのではとか..


この映画を見たからって何がわかるわけでも無いけど、それぞれ個人がそれぞれ個人として感じ対話する。それが多様性であって欲しいなぁと思うのでした。


感じることの多い映画でした。
多くの人に見てもらい感じて欲しいなと思いました。



次回『パルワールドまだやってますが、何か問題でも?』

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