今はもうないもの book review
『ペーターという名のオオカミ』
那須田 淳・作
小峰書店 2003
ベルリンの壁崩壊を私はテレビで知った。CNNのニュースだったと思う。
その頃、私はルームメイトと二人でNYのダウンダウンに住んでいた。1989年で11月だった事を、この本を読んであらためて知ったような気がした。あれから16年が過ぎた。
16年の月日が長いのか短いのかはわからない。ただ、そのとき生まれた子どもは16歳になっている。
かつてその場所にあったもの、国土と国民を二つに分けていたもの、その存在は大きすぎたけれど、形として今はない。けれど、今はもうない壁と共に今を生きている人には、目に見えない壁が存在しているのかもしれない。
舞台はベルリン。壁について書かれた物語ではないけれど、かつてそこにあったものは、今を生きる人々の心にも存在し続けている。
壁崩壊後に生まれた主人公の少年、山本亮はリオと呼ばれている。彼は14歳で7歳の時からドイツ、ベルリンで両親と共に暮らす。父は新聞記者でベルリン支局長だ。すでに日本への帰国の辞令が出ている。
その矢先、市内の公園で一頭のオオカミが射殺された事件を目撃する。
このオオカミはドイツとチェコの国境エルツ山地で捕獲された11頭の野生の群れの1頭で、野生動物研究所に輸送されるはずだった。その途中、輸送トラックの事故でオオカミたちが逃亡した。
市民に被害が広がらないよう、警察、猟友会、研究所は逃亡したオオカミの群れを追う。群れから逸れた子オオカミが、知り合いの下宿先の管理人マックスに飼われている事を知り、リオはマックスと出会って間もない少年アキラと共に、子オオカミを群れに戻すため奮闘する。
ひとことで言うと、この本は、群れからはぐれたオオカミの子どもを、群れに戻すため奮闘する少年たちの物語だ。
でも、オオカミを群れに戻す行為はひとつの軸に過ぎず、1匹の子犬のようなオオカミとの出会いは、多くの人との出会いや出来事につながる。かつて壁のあった町を、今、そこで生きる人々の過去や未来までも、少年たちの瞳に映し出していく。
リオやアキラにとってベルリンの壁は、単に異国の歴史ではない。人と人が理解し合うために、過去は知る必要がある。知らなければ理解できない。共に未来を築くことも出来ないと思う。壁は自然現象ではない。人によって造られ、人によって壊された。
通勤の地下鉄で、私は高校生や塾帰りの小・中学生と乗り合わせることがよくある。彼らは英単語や歴史の年表を、熱心に暗記している。そんな姿を見かけると、ふと思う。ベルリンの壁について、どう書かれているのだろう。たった1行「1989年・ベルリンの壁崩壊」と記されているのだろうか…
1冊の本との出会いは、時として人の思考を180度かえてしまう。その後の人生を、私は左右するとも思っている。そんな本に出会える人生は豊かだ。
同人誌『季節風』掲載 2024 加筆訂正