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23.神との対話【解説】P37~38 魂は全て知っている

37ページには、人生とは学校ではないということが書かれています。
人生とは学校のように学ぶ場所ではなく、すでに知っていることを思い出す場所なのだそうです。

人生とは、概念として知っていることを体験的に知る機会だ。
何も学ぶ必要はない。
すでに知っていることを思い出し、それにもとづいて行動すればいい。

神との対話1 P38

以前に、個人でも組織でも、その言動の基盤となる考え方は二つしかなく、
”愛”または”不安”であるというところで、
人は”愛”の性質を、本能のように知っているのだろうと書きました。
同様に、私たちの魂は、すべてのことをすでに(概念として)知っていると神さまは言われています。

スピリチュアルでは”ハイアーセルフ”と呼ぶことがありますが、確かに、ハイアーセルフは自身の魂でありながら、すべてを知っている存在です。
ちなみに仏教では、死ぬと人間は”仏”になると聞かされましたが、この仏とハイアーセルフという概念は同じなのではないかと、私は考えています。

そういう意味で、地球上での人生は新しいことを学ぶ学校ではなく、行動や思考によって知っている概念を思い出し、体験する場所なのだと話されました。

魂は体験したがっている。

神との対話1 P38

なぜすでに知っていることなのに、わざわざ行動を起こし、体験する必要があるのでしょうか?

例えば、もしも私の魂が、”お金(というエネルギー)が豊かに流れている”という概念を知っていたとします。
ところが、知っていてもただ知っているだけで、実際にお金を自由に使って楽しめなくては意味がありません。
お金を使うことで美味しいものを食べたり、誰かの喜ぶ顔を見たり、健康のための医療に掛かったりすることを体験しなければ、
ただお金を持ったまま窓の外を見ている子どものような感じではないかと思います。
魂は、「豊かに流れている」というお金を実際に使って、色んな感情を体験したいのです。

また、もしも私の魂が、”私は人に優しい”という概念を知っていたとします。
ところが、実際に誰かに親切にしたり思いやりを示したりして喜んでもらわなければ、その概念はいつまでも概念のままです。

また、周囲の教え(影響)などから身につけてきたエゴのために不安になり、豊かに流れているはずのお金のエネルギーを「なくなる可能性がある」という設定にすることで、お金がなくなる(お金がなくなりそう)という経験を私たちはすることになります。
お金がなくなればどのような思いをするのか…そういう体験をも、私たちの魂は(本当は知っているはずですが)したかったのです。

「ない」という相対的な体験が存在しなければ、「ある」という体験をしたときの大きな喜びや楽しみが分からないでしょうし、「ない」ことで感じる心細さや、「ない」時に経験できる人の温かさや奇跡の素晴らしさを味わうこともないでしょう。
「ない」→「ある」という状態に変化するための方法を体験的に知る楽しみもありません。

自己についての偉大な概念を偉大な体験に変えたい、それが魂の唯一の望みだ。
概念が体験にならないかぎり、推測にすぎない。

神との対話1 P38

自分の”偉大さ”について本を読んで知っているような状態ではなく、実験して実際にその”偉大さ”を体験することを、魂は望んでいます。


☆☆プチワーク(上級編)☆☆
何かについて疑問を抱いたとき、その答えを、瞑想することで得られるかどうかを実験してみましょう。
考えるのではなく、頭を空にして降ってきたり滑り込んできたりした答えを拾って、回答として書きとめてみましょう。
その回答の素晴らしさに、驚くことがあります。

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