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もっと私を生きてみたい



「やさしい編集室」の講座に参加したとき、
そこにいる間は名前で呼ばれていて。

それがすごく嬉しかったのを思い出した。



大人になると苗字で呼ばれることが多いわけで、そのことに対して良いも悪いも感じたこともなかったんだけど。




わたしって結構、自分の名前が好きだったんだなあってことに気づいた。


自分の名前なのに、呼ばれるたびにすこし照れた。


ちゃんとわたしに話しかけてもらっているような気がした。




忘れてた自分を思い出したみたいだった。









noteを始めた頃に、こんな言葉を残していた。

このnoteは公開されているので「誰か」に見られているものであるのは確かだけれど、「誰かの知っているわたし」として振る舞うことをやめられる場所にしようと思った。


何者でもなく、世界のどこかで過ごしているみたいな曖昧さで、ふわりと感情を紡ぐような。


そしたら自由でいられて。

わたしはこの場所が好きになった。





でも。


でも今は。





ちゃんとわたしを見てくれる人がいるって、
すごく嬉しいことだと気づいてる。


わたしはもっと、わたしでいたいのかもしれない。



誰かを気にして生きるとかそんなんじゃなくて。

わたしの世界を堂々と。



もっと自由で軽やかで。

今日のわたしと明日のわたし、
全然違っていたっていい。





あと一歩踏み出せたら、
今よりずっと輝けるかもしれない。


気のせいでもいい。

今そう思えていることが最重要だから。