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みんなが語らない"音楽"を語りたい

初めまして、作曲家の村松昂です。

ご挨拶の仕方もわからないので、まずは、自己紹介から。
現代音楽の作曲家として活動しています。2024年現在、アメリカ・ニューヨークの音楽大学でPh.D.課程に在籍しています。


自己紹介と振り返り


私は親が音楽家だったりもせず、普通に日本に生まれて、普通に子供時代を生きていたのですが、10代の頃からなんとなく作曲や編曲を始めて、そのまま日本の大学で音楽を四年勉強しました。もともと合唱が好きで、そういうところから気がつけば音楽の道に入っていたのですけれど、大学入学当時は劇伴とか、映画とか、そういう音楽を作っていきたいなって思っていました。実際、いくつか演劇とか映画とかのために曲も作ってみたりして、それはもう純粋に楽しかったんです

ただ、大学で勉強していくうちに、なんだか自分のエゴというか、自分は誰とも違うんだ、人と違う音楽を作りたいんだみたいな気持ちがどんどん強くなっていきまして、色々模索してるうちに、曲を作るのと同じくらいに、もう音楽の勉強そのものが楽しくなってしまいました。
21の時くらいだったでしょうか、ある時ふと気がついた瞬間があって、うん、確かに自分は作曲をし続けたいけれど、自分にとって研究をすることと作曲をすることはそんなに大きく違わないな、と。今は主に現代音楽と呼ばれるジャンルの作曲をしていますが、その一番のモチベーションはやっぱり、研究したい、何か新しいものを生み出したいという気持ちだと思います。

そうこうして、いざ大学を卒業して進路を決めるとなった時に、アメリカ留学をすることになりました。当時は当時なりに色々考えたり、アメリカを選んだ細かい理由もあったのですが、まあ正直何もわかっていなかった(笑) ただ、新しいところに飛び込んで行って、自分の力で頑張って、誰にも受け入れられなかったらそれでもう最後だなという気持ちでしたね。

今はアメリカに来て4年目、最初の2年でボストンの大学で修士を取って、今はNew YorkにあるEastman School of Music という大学でPh.D.修了に向けて頑張っています。正直、アメリカの学生生活は苦しいし、何もかも辞めたくなる時もあるんですけど、一つ言えるのは、がむしゃらにやっていれば大体のことはなんとかはなるということですね。 少なくとも、自分がやっていることが受け入れられていない、評価の対象にすらならないと感じることはないです。努力が報われるとは限らないけど、少なくとも努力したいと思わせてくれる環境です。大切な出会いもアメリカでたくさんありました。本当に周りの人たちに感謝しています。きっと、あのまま日本にいてもにっちもさっちもいっていなかったのは、間違いありません。


音楽の勉強?


ここまでの話をしていると、「大学での音楽の勉強って何するの?」という質問をよくされます。演奏科の人だったら、もちろん楽器を練習するし、作曲科は当然曲を作らないと何も始まらないわけですが、勉強することはそれ以外にも実はたくさんあるんです。アメリカの大学では大体、Musicology(音楽学)とMusic Theory(音楽理論)という研究系統の区分があって、簡単に言えば音楽の歴史的体系、価値、哲学、地域研究などの人文科学的な内容を扱うMusicologyと、音楽あるいは音そのものの構造を紐解いていく、ある意味では自然科学に近いMusic Theoryという分類です。この説明は少し大雑把すぎて正確ではないのですが、ここではこれ以上深掘りしません。

と言っても、音楽のスタイルや理論も当然時代と共に変わるものなので、これら二つの研究は切っても切り離せず、学問としてはお互いがお互いを補完するような関係性にあります。アカデミックな作曲家としては、当然どちらにも精通している必要があって、Ph.D.の最終試験ではこれらの知識を試験する口頭試問が待っています。はい、私も怖くて今から震えてます。

例えば私は個人的に哲学と電子音楽に興味があるので、今週はヘーゲルとアドルノの音楽哲学の違いとか、フーリエ変換を応用したアンビソニック用のパンニングとか、そんなことを勉強したりリサーチしたりしていました。(詳しくは、また後日書きます。)
面白いなと思うのは、音楽って文系的な要素と理系的な要素のミクスチュア上に存在していて、学問としてもさまざまな分野との関わりがあるというところなんです。
ちょうどこの間、医学を勉強している友達とお酒を飲んでいて、彼はいかに医学と音楽が本質的に近いかという話をしていました。音楽の学問は例えば統計学みたいにわかりやすく世の中の役に立つというわけではないと思いますが、色々な分野への興味の起点になり得るし、最終的には、人がなぜ生きるか、どう生きるか、そんなことまで考えさせてくれるんです!

noteを通してやりたいこと・目標

さて、私がnoteを書き始めた理由ですが、大きく3つの理由があります。

一つ目は、こうした音楽の勉強を、少しでも世間に見える形にしたい。あまりに専門的なことは、こういう形で書いて伝えるのは難しいと思いますが、音楽の勉強っていろんな形があるんだよということを、まず知ってもらいたいです。音楽理論をグーグル検索すると、例えば楽典とか、コード理論とかはたくさん出てきますけど、それって音楽という(ほぼ)無限の世界において、目に見えやすいところの中の、さらに一部みたいなことの説明だと思うんです。コード理論は面白いし私もたくさん勉強してきたので、それを悪く言うつもりは全くありません。実際には、コード理論だけでも体得するのはとても大変で、その勉強だけでも一生かけられるんじゃないかくらいの奥深さがあるとも思います。ただ例えば、ある曲を聴いていて、この音が好きだ!と感じたとして、じゃあなぜその音色が私の心に響くのか、なぜその音が他の音よりも長く自分の記憶に留まるのか、どうやってその音を再現するのか、そういう考え方をしていくと、知識としての音楽の勉強からさらにずっと世界が広がっていくのではないかと、思うのです。

二つ目は、大変個人的な理由ですが、日本語で文章を書きたい。実際、日本にも時々帰っているので日本語が不自由になったりはしていないですが、大学にいる間はずっと英語でしゃべりっぱなしで、リサーチ、リーディング、ディスカッション、当然全て英語なので、自分の日本語能力、特に書き言葉が下手になっているのをとても実感しています。日本語で友達と話す時も、英語まじりでないと話せなくなったりする瞬間があったりして、まあ悪いことではないのですが、もう少し日本語に向き合いたいなと思った次第です。以前在米の日本人と話ししていて、その方が仰っていたのがとても記憶に残っているのですが、その方いわく、「英語かぶれの日本人って、カッコつけているように見えるかもしれないけれど、実情は英語もネイティブレベルにはなれないくせに日本語が下手になってるだけで、むしろ言語能力が低下している」。意見の真偽はさておき、非常に耳が痛いのは間違いありません。

三つ目の理由は、コンテンツ発表の場としてのnoteの活用です。自身の作曲活動や作品についても共有していきたいですし、音楽に関することなら私は"なんでも"、"どんなジャンルでも"、好きだし、お話したいことがあるので、それらを記事という形で発表できたらな、と思っています。次回の記事では、MIMIさんのHANATABAのカバー音源を共有する予定です。その後の予定ですが、音作りとプログラミング、アンビソニックスとバイノーラル、西欧音楽哲学などについて書けたらなぁと思っていますが、まだわかりません。質問、リクエスト等ありましたらコメントお待ちしています。Twitter (X)のDMもチェックしていますので、何かお話がありましたらそちらもお待ちしております。
https://twitter.com/muramatsu_kou


特に意味はないですが、ボストン時代に初めてできた友達といったレストランの写真を載せておきます(笑) ギリシャ料理って、アメリカに来て初めて食べたような気がします。



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