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【日常】人は誰でもマイノリティになりうる。多様性の尊重とは何か?

人はマジョリティとマイノリティに揺らぐ中で、日々を過ごしている。時にふとした発言や行動が、他人を傷つける可能性を秘めている。

例えば。私は大学生だが、社会人が多いイベントに参加すると、普段の大学生活とは一転。即座にマイノリティになる。
さらに具体化すると、社会人の中でも所属する会社以外に訪問する際や、あるいは社内・部署内においても、「人は常にマジョリティとマイノリティを行き来している」。

私自身、日々マジョリティとマイノリティを行き交う中で、ある分野でマイノリティとされる人々に対して、『その分野ではマジョリティ』と自負する人々が議論を交わすことに疑問を感じる。LGBTの議論などが最近ホットな話題かと思われる。

もちろんある特定の分野での議論は、その分野の発展には必要不可欠だ。

だがより俯瞰してみると、『誰しもがマイノリティになる場所があること』を流布または意識することが、最も汎用的で大切なことなのではないだろうか。

最終的に『多様性の尊重する』ためには、万人における『自分もどこかでマイノリティ』という意識がないと成り立たない。

本当に多様性を受け入れる人とは、どんな人を指すのだろうか。改めて考えるきっかけとなったら幸いだ。

この「自分もどこかでマイノリティ」という意識を、どんな状況においても、忘れない人間になりたいと心から願いつつ。

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次回は『本当に相手を思いやることとは』について、書こうと思います。

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