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育休を取るらしい

今年最後の出勤の日。
上司から言われたのは、一緒に働いている人が来年の6月に育休を取りたいとのことだった。
その人が結婚していたのは知っていたが、おめでたになっていたなんて知らなかった。
その人はこの国で生まれた人じゃない、まだ日本語が不自由なところもある。
でも、とても働き者だ。

素直におめでた報告を喜んだ。
育休という制度を初めて身近に感じた。
ただ一つ、まずいな…という思考がよぎった。

もともと外国人が多い職場だったが、コロナのせいで国へ帰る人が何人かいた。
だから、職場の人手は足りてるとは言いにくい環境になった。
それでも仕事は止まらないし、なんとか回していく。
それが会社であり、社会だ。
そしてまた、6月から1人少なくなる。

何がまずいかって、来年の春には自分がこの職場をやめると決めている。
上司にもまだ伝えていなくて、当然来年の6月も自分が働いてると思っている。
時期を見て、今年何度もやめようと思った。
ただ、再スタートを切るには2020年という年はとてもじゃないけど、過酷すぎた。

来年、動き出すために準備をして1月のシフト提出日には言おうと計画を立てていた。
そんなところに、この報告だ。

正直、めちゃくちゃ悩んでいる。

自分がこの職場からいなくなっても、『育休という制度を使わせない』なんてことにはならないだろう。
だから潔く自分は去ってしまっても良い。
でも、新しく父親になる同僚の心境はどうだろう?

育休をちゃんと取れるのか、周りから今休むのかと冷ややかな目をされないか。
俺にヘイトが向くことは仕方がない。
この場から消えてしまえば、そのヘイトは宙に浮いたようなもんだ。

もう一つ、自分の中で引っかかっていること。
それは父親になったその人を見てみたいということ。
人付き合いも少なく友達もほとんどいない自分にとっては、周りで新しい家族をもつ人を身近で見れるチャンスだ。
しかも、日本人じゃない。

国籍や見た目なんて関係ないけど、生まれ育った文化は全く違う。
日本だったらなんとなくわかるけど、俺の知らない文化で育った人が子どもを授かったときにどんな人になるのかなって。
それを間近で見たい。

素晴らしいことを言っているような感じはするけど、俺が言ってることは同僚と素晴らしい関係を築いていればの話。
他人の人生に土足で踏み込むようなもんだよね。
俺にそれを見守る権利はない。

自分で言ってて虚しくなるけど、悪いのは自分で、良い関係を築くという大切なことを蔑ろにしているからだってわかっている。

でも、苦手なんだよなぁ。
苦手なくせして、人には興味がある。
なんとも都合がいい。

悩んではいるけど、最初から答えは出ている悩み。
後ろめたさを感じながら、来月の中旬に上司に辞職することを伝えているだろう。

育休って制度で会社から給料が支払われるわけじゃなく、国へ申請して6割くらい貰えるということを知った。
会社にいればそういう社会の仕組みを知ることができる。
決して悪くないこと。
今回のコロナで休業手当やそういうのを学べただけでも、会社に勤めて良かったと思える。
皆が言う社会人経験というもの。

でも、会社だけが全てじゃなくなった現代になっている。
これからを生きるのを自分の手で。
その重みの一つにまた一つ、誰かの人生を見て見ぬふりをしなければならない重みが追加された。

来年、良い年になるように願うのではなく、作り出していく。
この屋上から見る東京の朝も、あと数回。


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