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サブカル大蔵経258栗原康『死してなお踊れ 一遍上人伝』(河出文庫)

一遍上人、50歳で逝去。今の私と同じ年です。ミュージシャンのレキシが楽曲で選んだただ一人の僧侶、一遍。我も仏もなかりけり。解説武田砂鉄。

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なんにもなくなっちまったとおもうからこそ、これからなんだってできる、なんにでもなれるとおもえるのだ。p.11

 ひらがなのちから

浄土教とは、ひとことでいうと、俠気の思想だと思っている。p.32

 ひとり残さず救ってやるよオ!!(法蔵)

法然は念仏をとなえるだけで、だれでも救われますよとか言ってしまっているのだから、言い方をかえると、お寺はいらない、教団もいらない、カネもいらない、権力もいらない、あらゆる権威はいらないんだということになる。そりゃあ、いじめられる。p.37

 たしかに、墓まで暴かれたのは異常。

激闘の果てに、襲ってきた連中をぶっ殺してしまったのだ。p.45

 人殺し一遍。これは、当時の庶民や足軽や武士の気持ちに沿える。

上等は、すべてを捨てなくても、浄土にいける。下等な人間は、すべてを捨てなければ浄土に行けない。p.54

 この辺りが、法然、親鸞、との比較になり得る。法然の巨きさ。親鸞の真面目さ。

一遍は、かなり空海がやっていたことを参考にしていた。p.82

 真言の浄土とマントラの念仏。この辺り後人のわれわれにも参考になるのでは?

藤沢市片瀬。3月から7月まで踊り続けている。p.177

 「国土じゃねえよ浄土だよ」

空也が念仏をとなえていると鹿が寄ってきた。p.273

 空也という日本の釈尊!

人間が畜生になっていくというのは、空也の影響もあったのだと思う。(中略)人が人じゃなくなっていく。捨てること。無念。とらわれない。p.147.287

 人すら捨てる。鬼になって救われる。畜生になって救われる。餓鬼のまま救われる。地獄の中から救われる。実は人間だけが救われがたいのかもしれない。

 はじめの一念で最後だと思え。p.229

 南無阿弥陀仏

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