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サブカル大蔵経590伊藤聡『神道とは何か』(中公新書)

神は自分自身で仏道修行することはできない。人間が代行。仏道修行においては、神と人の力関係は逆転し、神は人間より劣る存在となる。これが神域内に寺院を建立する根拠。p.40

神と仏と人の関係を探る貴重な本書。

各論の結語は仏教disですが、貴重なdis。

興福寺奏上「権化・垂迹の神は仏・菩薩そのものではないか。だからこそ昔の高僧は皆帰敬したのである。」と、法然の神祇不拝の姿勢を糾弾。p.111

至極真っ当な興福寺の言説。

曹洞宗が地方の庶民層に浸透していくためには、密教との習合と神祇信仰が不可欠だった。p.116

鎌倉仏教の二代目以降に流れる密教。

以上の如く、鎌倉「新」仏教の諸宗は、いずれも従来の本地垂迹的習合思想を受容することが、その教団の発展にとって不可欠だった。p.120

↑仏教も、そして、神道も見直し↓。

15世紀前半までは、仏教内における神祇の専家にとどまる。仏教から独立したのは、吉田神道の登場。p.282

神道は後天的に作られた。p.285

そして、お天道さまに、儒仏神キが集結。

16世紀、仏教崩れ、吉田神道起こり、禅林より儒学自立しつつある時代。諸教一致でき宗教思想観が広がり、それを統合・包括する「天道」の観念が共有。キリシタンがデウスを天道と呼んだのも、神観念が近いと考えたから。p.252

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神仏習合的な信仰形態は、近代に至って、神道側からも仏教側からも否定されたと言ってよかろう。特に仏教的要素を排除した神道は、新しい宗教として再編成された。現在我々が目にする神社・祭式の姿は、この時以来のもので、たかだか百数十年を経たに過ぎない。p.7

 神道も、仏教も、今の形になってまだ日が浅い。仏壇も、神棚も。境内も。

カミの語義。漢字の神。自然神として、人の霊=祖霊である鬼と区別される。日本においては神と訓じられる。
かむがむ、鏡、明見、噛み、醸み、上、畏み、彼の霊、隠り身、香美、牙。p.17

「君の名は」の噛み酒を連想。

宣長、古事記伝に曰く、古事記や日本書紀の神を始めとして、天地、自然の何者であっても「優れた徳」があり、「可畏き」ものを「神」と呼び、すぐれた徳とは、善いこと、功しきことだけでなく、悪しきもの、奇しきもの、凡人より優れた力を持ち畏怖すべき存在が「カミ」なのである。善悪にかかわらず、なんであれ「カミ」になる可能性があるとしていることは重要な指摘である。p.18

 畏れこそ神

カミ、タマ、モノ、オニの関係。タマはすべてにある霊魂。モノは名指しを憚れる霊的存在。オニは隠on+iが付いた形、隠れて見えない存在。語尾に付くと霊力の存在を示す字。「チ」(イカツチ、オロチ)、「ミ」(ワタツミ)、「ヒ」(ヒル、ヒレ、ムスヒ)。p.19

 この辺の考察たまらないです。半村良。

「モノ=名指し得ぬもの、モノノケ」p.21

 名称なきモノ。得体の知れないモノ。

三尼。司馬達等の娘嶋、漢人夜菩ヤボの娘豊女トヨメ、錦織壺の娘石女イシメ。善信尼、禅蔵尼、恵善尼。女性に対する差別的生活を根底に持つ仏教が、日本に移入するに際し、女をもって最初の出家者とした理由は何か。仏という神に仕える一種の巫女と見なされていたのではないか。p.29

 なぜ最初の出家者が女性だったか問題。

鎌倉中期、僧侶よる神宮参詣はますます盛んになる。p.96

 東大寺と神道の結びつき

皮肉なことに、後世このような分類を全面的に採り入れたのは、法然の衣鉢を継ぐ念仏門の人々だった。その代表的な著作が存覚の『諸神本懐集』である。神々を霊神・邪神に分け、/神の背後にある仏への信仰に帰することに真の目的があるので神々への信仰は便法に過ぎないという。p.122

 存覚上人を宗学ではなく、宗教思想史の観点に引っ張ることで明らかになること。

本地垂迹と動物供養。殺生を求める神、殺生を嫌う神。食べて成仏。神事殺生を抜苦救済に読み替え。諏訪大社、沙石集。p.124

 残さず食べたら成仏の原典?

文明16年8月22日、吉田兼倶、吉田山上に伊勢両宮が降臨した夢告を空海から受けた、と吉田文庫蔵霊夢記。p.242

 神道の始まりに空海!

排仏論の論拠は、反倫理性、反王権性のほか、生死観が儒者たちの批判点となった。p.267

 危険な仏教。今の仏教は、生死観をどう一般に落としこんだのか。


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