見出し画像

サブカル大蔵経343姜尚中『オリエンタリズムの彼方へ』(岩波現代文庫)

東洋史学は、日本の近代化がオリエンタリズムを伴わざるをえない歪んだ構図を最も凝縮した形であらわしているのだ。p.145

北大の東洋史に友人多かったのですが、あらためて〈東洋史〉という言葉の意味、さらに、北大における東洋史という研究の位置づけの因縁に驚きました。

私の専攻していた〈印度哲学〉という概念もオリエンタリズムや帝国主義的発想からカテゴライズされたのかもしれません。東大の井上哲次郎が命名した背景にはそういえばキナ臭いものが感じられます。

自分の専攻する学問や興味のある分野の背景を辿るという作業はまず必須なのかもしれないということを、あらためて教えていただきました。

画像1

フランクリンは、時間処理の達人であり、「律動ならびに規則正しい活動の主要な技術家」であった中世修道院僧の、半ば世俗化された継承者としてたちあらわれている。p.11

 初代アメリカ大統領に流れる修道院僧的倫理観。地下水脈として今のアメリカの経営者の理想とアメリカの宗教観にも繋がっていそう。

〈規律=訓練権力〉のミクロ物理学に焦点を当てたのがフーコーの『監獄の誕生』である。p.24

 修道院規律から訓練権力への推移。本願寺の得度や寺の修行と軍隊の訓練の連関を想起してしまいました。

植民地主義の最初の実験場は北海道であった。その中核となったのは、1876明治9年に設立された札幌農学校であり、そこでの「殖民史」や「殖民論」と言った科目を担当したのは、同校出身の新渡戸らである。p.102

〈農学校〉という響きに騙されて、大らかさを連想させてたけど…。もちろん北大もそれを受け継いで…。

「植民」を「文明の伝播」とし…。p.127

 新渡戸から矢内原へ受け継がれて…。これ、アメリカの戦争の言い訳のような気もするし、宗教伝道において宗教者が陥りやすい思想かもしれないと思いました。

台湾における「科学的植民」の「生体実験」の成果は、今度は「満鮮」(満洲と朝鮮)に、そして「支那」大陸に向けられていった。p.140

 白鳥庫吉の後藤新平回顧。台湾、韓国、満洲、北海道。北海道は大英帝国における豪州みたいな感じなのかなぁ。

自らを表象=代表することができない「東洋人」に代わって「東洋人」でもある日本人が「かれら」を代表し、〈他者〉としての西洋人に知らせるということ、この屈折したオリエンタリズムの構図の中で、東洋史学はその存在理由を見いだすことができたのだ。p.144

 在日韓国人である著者だからこそあぶり出すことができた本質、植民地主義において育まれた東洋史。

このように「東洋史」という用語には近代日本と世界における日本の位置についての日本の見方のあいまいさが映し出されているのだ。なぜなら「東洋」というカテゴリーそのものが、文明と文化、差異性と同一性とをいかに宥和させるのかという、非西欧社会に共通する苦悩のなかから捻出された、いわば「想像の時空間」にほかならないからである。p.150

 日本は東洋にいながら西洋の思考になっていたということでしょうか。それは実は今も続いている錯覚なのかもしれません。

「儒教・イスラム・コネクション」が「西側」の最大の脅威として立ちはだかろうとしていることになる。p.176

 姜尚中さんの見立て。儒教とイスラム教の組み合わせ、あるかも。

この記事が参加している募集

読書感想文

本を買って読みます。