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サブカル大蔵経437アルボムッレ・スマナサーラ/養老孟司『希望のしくみ』(宝島SUGOI文庫)

やはり、養老孟司さんの仏教話は面白い。スマナサーラさんのクドさも中和されて、仏教の基本に帰る場所を考えさせられる。

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口が悪すぎてなかなか…p.18

 スマナサーラさんとサンガ社の存在は、既存の仏教宗派にとって現れた黒船だったのではないでしょうか。耳の痛いことも多かったのかもしれませんが、無視するか、批判するか、の対応が多かった気がします。オウム真理教が起こった時と似ている気がします。相手の怪しさばかりを理由に自分の立ち位置を問い直すことを放棄しているような。

日本の仏教は祖師信仰。釈尊が説いたのは、信仰でなく、真理。p.21

 既存仏教で、お釈迦様を訪ねていくことがタブーになったりしていないだろうか。

うちで固まる日本人。うちの人か、否か
だから、同じ仏教と考えないで、うちの宗派と区切る。国もうち、になっている。p.30

 国を超えたものが仏教なのに。

子供は自然。生きもの。我々はいま、死んでいるんだから。決まりきったプログラムで動いている。もう死んでるんですよ。p.69

 大人とは、人間として死んでいるということ。鎌田東二『翁童論』でも説かれていました。人間ではなく、肩書きでしか生きていないと。これは、儒教ではなく老荘思想的だと最近教えられました。

何を観るか、もちろん自分です。p.111

〈見る〉ではなく〈観る〉ということ。

死んだ人は自分と同じだと。p.140

 死の一人称、二人称、三人称を合致。

お城という都会で何不自由なく暮らしていた王子様が、いまの都会人と重なるんですよ。それで、都市化の末に現れたのが仏教だとすれば、仏教の未来は大きい。p.186

 この視点、なかなか出てこないと思います。だめな社会こそ仏教が必要とされる。

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