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サブカル大蔵経127 金子努『宇宙観の歴史と人間』(放送大学教育振興会)

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宇宙のことを語るには、地上のことを知る必要があり、地上をよく知るには天上のことを知ることが必要と思っています。p.4

 空を見上げ、地面を見つめる感覚。

隕石や彗星に撃たれる心配に、宇宙デブリ(廃棄物)に潰される悪夢が重なるのであるから、杞憂は現代の話でもある。p.9

 中国の故事、杞憂は現実科学的解釈。

我々が使う漢字しての宇宙も世界も時間空間的総体を表すことが同じである。もともと宇と界は空間を、宙と世は時間を指す。ただし古くから中国にあったのは宇宙で、世界は仏教の伝来とともに作られた。したがって世界は人間や生き物の存在が前提とされ、いわゆる業が塗り込められている運命的なものを暗示するが、宇宙にはそのような存在物と無関係に時間空間的容器としてのイメージがある。p.13

 宇・宙。世・界。

 宇・界は空間。宙・世は時間。

「宇宙」は原中国。「世界」は印度伝来。

コスモスは調和や秩序を意味していた。無秩序を示す概念はカオス。p.13

 一見無秩序な自然がコスモスで、平坦な人間がコスモか。

仏教、世界が無数にある。それを1000個集めて小千世界、それを千個集めて中千世界、それを千個集めて大千世界、三千大千世界。従って世界は千の3乗つまり10億の世界となって、我が天の川銀河系の星の数の100分の1にほぼ近い。魅力が出現するの社会入滅後一般には56億7千万年と言う誤伝が有力でこれは奇妙なことだが地球の形成時間約46億年にほぼ見合っている。p.14

 仏教、インド人の数学好き。

天上、高天原。地上、葦原の中つ国。地下、黄泉の国。p.16

 人間はたかだか地上のみ。

メートルは、ギリシャ後メトレウ、測るという意味。長さという意味はない。p.53

 メートルがインドのサンスクリット語ではミタ。接頭否定語のアをつけたアミタつまり阿弥陀は測ることができないという意味。長さがない、ではなく、測ることの無力化という意味か。

13世期、アリストテレスの自然学形而上学教えること禁止。トマスアクィナスがアリストテレスを正統。p.72

 キリスト教とアリストテレスの相克。宗教と自然科学の相克史。

ガリレオ対法王。
ガ:神の知に比べ人間の知は、外延的(量的)には無に等しいが、内包的(質的)には、数学的知は神の知に劣らない。客観的で確実な知が得られる。理性の語るところ、神も語りたもう。真理はひとつである。
王:神と人の知は比較にならない。人間が客観的で確実な知と思っているだけで、神は、人間には窺い知れぬ仕方でいかようにも結果をもたらす。理性が見いだす真理と神の真理は違う。二重真理である。同じとするのは傲慢である。p.99

 こう見ると、人間の傲慢さと限界を説く法王側の方が、迷信的な中世の代表とされていたが、意外と現代的かも。

ドイツ留学時代に決闘で鼻をそがれ、銀の鼻をつけていた貴族のティコ・ブラーエと、困窮かさぶただらけの平民ケプラーの出会い。1600.2.4.プラハ。ティコのデータ受け継ぐ。p.103

 この辺キャラたちまくり。

ケプラー第一法則。すべての惑星軌道は楕円である。p.107

 よく楕円という概念を思いつく。というか遺伝子の螺旋も楕円かな?ということは、天体も人体もすべて楕円?

天上の音楽、地球はミーファミ。多重和音惑星直列、神には聞こえる。p.110

 世界は音から始まった

異世界や異星人を問うことは、自尊と卑下を修正して、相対化する浄化力を持っていた。異星人とは、神々、巨人。天使、天女。仏陀、菩薩。妖怪、かぐや姫もETだ。複数世界論。p.129

 サブカルは相対化であり浄化力!



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