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サブカル大蔵経927和辻哲郎『日本倫理思想史』⑶(岩波文庫)

かつて一向宗の狂信者であった本多佐渡守は、そういう宗教的要求を儒教によって充たすとともに、その儒教を深くおのれの人柄のなかへ沁み込ませているのである。p.183

教科書に羅列される江戸時代の思想家たちだけでなく、信長秀吉家康の政策や本多正信の文献によって、室町から江戸までの倫理の流れを導く和辻哲郎の手腕に脱帽。

今とは違う日本があったかもしれないSF小説のような、文献学の豊かさや可能性を感じさせてくれました。

三河武士道が徳川氏の強みであったと同じように、献身の道徳としての武士道は他の外様大名の強みともなり得るであろう。有力な外様大名がそれぞれに三河武士道と同じような武士道を鼓吹するとすれば、江戸幕府は安泰であることはできない。p.305

〈日本を三河にしてしまえ!〉とはならなかった。

いつも思うのですが、ギリシャ哲学者、諸子百家、六師外道ら歴史上の世界の思想家たちの存在は、現代だと学者や評論家ではなく、芸人やYouTuberなのだろうかと。

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信長の父も伊勢外宮の造営に力をつくした人である。p.38

 織田信長の天皇御陵修復からこの巻は始まります。その視点。太平洋戦争まで連なる神道と天皇への崇敬の道は中世に途絶えたのかもしれないが、信長の出自である織田家から、その糸が垂らされていくと。

その下克上の最も徹底した代表者たちが、打ち切る方の側へ回ったのである。p.54

 成り上がりは成り上がりを許さないと。太閤秀吉の武装解除方針、刀狩。

ここに秀吉が保守の本性を現してきた事は、この後数世紀にわたる日本の社会構造にとって、誠に宿命的な事件であったと言わなくてはならない。p.57

 室町時代勃興した民衆の力と信長によって自由度が増した経済や交易の流れが、秀吉によって終止符が打たれた。家康はそれを慎重に受け継いだ。フランス革命の起きなかった日本の分岐点。

『三河物語によると、家康より八代前の祖先徳阿弥は、時宗の僧として西三河に流れてきたのであるが、p.60

 徳川の祖先、僧侶説。あらためて計り知れない時宗ネットワーク。

現に日乗は、来世において賞罰をうけるという考えを非常に笑ったということになっている。これはわれわれにとってはなはだ理解し難い点である。p.156

 宣教師の法話を笑い飛ばす僧侶。浄土的なものより、仏教の空の哲学の理解が行きわたっていたという和辻の推理。

それは武士の支配を儒教によって根拠付けようとする幕府の文教政策とは相容れない。p.237

 神道の儒教的政策をすすめる山崎闇斎の危険思想は、唯一水戸学へ相伝されたと。

今の仏教は堕落しているのであって、真の仏法が起これば、寺は千分の一、僧は万分の一で足りるであろう。p.254

 熊沢蕃山。民衆の儒教国を説く。

素行の長所は、儒教を仏教及び道教の形而上学の影響から解放することによって、その人倫の教えとしての本質を明らかにし、それを武士階級の意識形態として活用した点にあった。p.271

 江戸の山鹿素行。朱子学に仏教の影響あることに気づき古学を提唱。儒教の深化。

学者としての功績から言えば、仁斎の方が朱子学者よりも比較にならないほど大きい。p.296

 伊藤仁斎の古義学は、朱子学やその受け売り学者よりも、中国哲学史の中で孔子の思想を明らかにしたクリティーク文献学。


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