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サブカル大蔵経312速水融『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』(藤原書店)

100年前の与謝野晶子の文章です。

政府はなぜ早くから伝染防止のため大呉服店、学校、興行物、大工場、大展覧会など多くの人間の密集する場所の一時的休業命じなかったのでしょうか。一方で警視庁の衛生係ではなるべく人混みに出るなと警告していることを挙げて、このような政府における意思の不統一は多くの国民を危険にさらしている。p.335

 今のGO TOの不統一感と同じような。

10月29日になって旭川に隣接する東旭川村の尋常高等小学校の職員6名児童325名が休み、休校措置を取ったと言う記事。美唄炭鉱16人の死亡者。/旭川(人口7万人)では11月の1日から15日まで、死亡者72名。11月末には感冒終息が報じられた。/最も被害の大きい札幌に関して言えば元日から27日の間に死亡総数350名内、流行性感冒によるものは209名に達した。20歳から30歳が最も多く65名となっている。p.173.174228

 北海道の、100年前。旭川が最初だったのは、師団の影響か?

この稿を書いている2005年12月末時点でそのウィルスは幸いまだトリからヒトへの感染でとどまっている。しかし、いつそれがヒトからヒトへの感染に変わり、ジェット機時代のおかげで、瞬く間に世界中に拡がるか分からない。すでに、現在の鳥インフルエンザウィルスのタンパクの1部が人に取りつきやすいように変異したと専門家は警告している。そして、人類が遭遇したことのないウィルスに曝され、高い死亡率で驚くべき多数の人間の命が生まれることは必定だとの意見が多いのである。p.439

 100年前に世界中を襲ったスペイン風邪(スペイン・インフルエンザ)について、人口学の権威の速水融さんが満洲や朝鮮も含めた日本での報道をまとめた本。(こないだ読んだ栗本慎一郎さんの本に、速水融先生の授業を受けた話が出てきてびっくりしました。)

日本のスペインインフルエンザは1918年春から1920年春まで2年間続いたことになる。p.183

 二年間。

ひところその着用が奨励されたマスクは流行が下火になると売れ残り、10万ものマスクが業者や薬局に持ち腐れになった。「命が惜しくないか。マスクはどこへ捨てた。市民はもはや流行忘れ。マスクをかける人は少なくなった。これほど生命を愛しない国民はない。」(神戸新聞)p.201

 今も昔もマスクをしない人がいた。

結論的に言えば日本はスペインインフルエンザの災禍からほとんど何も学ばず、あたら45万人の生命を無駄にした。p.436

 今回はさらに、100年前から何も学んでいないことがわかるのだろうか。

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第一次世界大戦の戦死者は約1千万人。スペインインフルエンザはその数倍の命を奪った2千万人から4500万人。これは20世紀最悪の人的被害であり、日本においても内地で大体150万人の死亡者を出している。p.13

 つまり、史上最悪だったのではないでしょうか。

世界の端から端まで流行している今度の感冒。罹病者は公徳を重んぜよ。p.21

「公徳を重んぜよ」。重んじない人への対応、今も昔も。

ヨーロッパでは何でも悪い事はスペインのせいにすると言う悪弊も手伝っていた。p.50

 実際はスペイン発症ではないのに。これ、ひどい(笑)

このように、軍隊は、悪性のインフルエンザウィルスの「運び屋」として、兵営や基地同士、そこから一般市民さらには海を越えて世界中にこの猛毒を届けた。p.69

 世界大戦の軍隊が運んだもの。

最初に襲われたボストンでは、ドイツの潜水艦が病原体を運んできたとか、ドイツがアスピリン錠の中に毒を入れたのだと言う荒唐無稽な噂が巷間に広まった。p.78

 最初のうわさ。のはじまり。

前流行では罹患率は高いが死亡率は比較的低かった。後流行では罹患率は低いが死亡率は高かった。p.98

 第二波の方が死亡率高め。

滋賀小学校死亡者。大津にある歩兵第9連隊を見学しそこから感冒を輸入したとあるのが注目される。p.102

 小学校の軍隊見学。

インフルエンザは法定伝染病ではなかったから医師や病院は患者の発生を知っても報告の義務はなかった。p.103

 法定伝染病ではないんだ…。

京都でも、西陣を始め京都市内の工場労働者職人の罹患欠勤が相次ぎ、手のつけられない状態になった。京都の伝染病においても看護婦の過半が罹患し治療は困難をきたしていた。大阪市では火葬場の混乱を招いた。屍体を累積する状態になって、火葬自体が困難になってきた。p.127

 京都大阪の惨状。

樺太に限らずどこでも先住民は感染症により敏感に反応した。p.388

 今よりも広い〈日本〉、外地の存在。

スペインインフルエンザは多数の罹患者を出しながら割合で言えば罹患者のせいぜい2%、人口の0.8%と言う死亡率で、ペストやこれらのように罹患者の数10%が死亡するような病気より軽く見られることとなった。その事はスペイン風邪と言う呼称によく示されていよう。p.431

 軽く見られる中で…。

神仏に救いを求めて殺到する満員電車の乗客には車内での罹患の危険性が非常に高かったにもかかわらず、何の規制も加えられなかった。p.433

 神頼み。


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