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サブカル大蔵経83仲野徹『生命科学者たちのむこうみずな日常と華麗なる研究』(河出文庫)

 仲野先生が偉人たちを紹介する話をさらに紹介する難しさ。科学者とは、一言でいえば〈科学〉の人間くささ。

ワトソンとクリックの二重螺旋の論文は1ページほどの短さ。p.28

 A4で全て表しなさい、の先頭。

科学と航海を結びつける、海そのもののゲノム解析。海水中に存在する微生物のゲノム解析を行うベンター。p.50

 海そのもののゲノムか…。

アシモフの語る言い伝え。地球上の知識人には2つの種族が存在する。1つがヒューマンで1つがハンガリー人だ。そしてすでに異星人が地球を訪れていて、実はブダペストに住んでいる。ハンガリー人異星人伝説。p.68

 昔ハンガリーのブダペスト駅に降りた瞬間、小柄で日本人に似た人たちをたくさん見た。ヨーロッパの中のアジアというか、異界。でも地下鉄はたしか世界で二番目。北海道的?ウィーンとも違う千年王国。

 解剖学には味覚が大事であるからとハンターは遺体解剖実習に味覚まで使わせていた。p.95

 ジョンハンター伝説。

「遺伝子」と言う訳語は本当によくできている。「〇〇子」と名付ける必要はなかったはずだ。p.146

 そうかあ…。電子も遺伝子も素粒子もみな小さな子どものイメージなのかな?

二重螺旋の発見以降、分子生物学とそれ以外の生物学の断絶がますます広がっていった。ワトソン曰く「生態学者を雇うなんて言う人間は頭がおかしいんだ」と言ったらしい。p.148

 学問の細分化は内ゲバになるのかな。

奇跡を否定しないと言うことで医学会から、奇跡を受け入れないと言うことで宗教界から、両翼からの攻撃を受けるアレキシス・カレル。p.161

 医学と奇跡。やはり〈怪しい〉となるが、医学=科学なのは最近。さらに医学や科学も信仰になりうるならば、医学と奇跡は相性がいいのかもしれない。

ロージー・ロザリンド。性格の悪いとんでもない女として描かれている。ワトソンとクリックが二重らせんモデルを確信するに至ったのは、ロザリンドのデータを盗み見ることができたからであるにもかかわらず。p.206

 この本ブルーバックスで読みましたが、そんな悪女いたかな?外国人の名前が覚えられないんですね…。

哲学は、分からないことを分からないままに、あるいはもっと上を行って、分かり切っているように思えることをわざわざわからないと言うことにして楽しむことができると言う、なんとも奥の深い学問である。一方、科学の最大の目的は、いたって単純明快、浅いと言えば浅い、わからなかったことをわかるようにすると言うこと。p.239

 分別の科学、無分別の哲学か?割り切れない世の中、どちらに舵が切られるか。仏教は無分別なんだろうけど、現代の尺度だと分別的に語りがちか?無分別だと、誤魔化しているような印象になるかも。自分も〈お味わい〉で逃げている気もする。

研究と言うのはルールがあってないようなゲームであって、そのルールを作ることができるような研究が最高の研究だろうという結論に足したことがある。ただ実際には自分たちはこの量でゲーム研究をやっていると思っていても隣で勝手に違ったルールで遊んでる輩が結構いたりして、上がったもん勝ちみたいなところがあって。p.275

 たしかに、ルール内の争いは結局魅力がなくなる気がする。ただ、型の中で鍛えられないと、型破りにはなれない。その型すらないところで遊ぶのはすごい遊行者だ。

議論やモデルを練り上げるには1人より2人のほうがずっといい。p.298

 科学での共同研究って、結局のところ、どうなんだろう。

客観的に見れば、北里の業績は野口のそれを遥かに凌駕する。p.305

 私はもはや、北里大学でしか、北里柴三郎を知らない。

1908年コッホ来日歓迎会。歌舞伎パンフレットは森倫太郎作成。その独語をコッホ夫人絶賛。講演会は病気についての話ではなく睡眠の話。落胆の向きもあるが、志賀潔は、新しい問題をとらえる学者的態度は我々の模範とすべきと感服。74日間北里は1日たりとも師の脇を離れず。コッホに連れ添ってきたのは再婚した30歳年下の夫人p.322

 この辺りの百花繚乱、山田風太郎ばり。

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