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サブカル大蔵経106ジョン・W.ダワー/三浦陽一『敗北を抱きしめて増補版』上下巻(岩波書店)

 アメリカの目線が公平なのか、疑わしいのか、わからない。

 日本人には書けなかった本。写真素敵。一番遠いカッコ良さと一番近い貧しさ。

 敗戦を考えたことも勉強したこともなかったことを改めて痛感。天皇にもマッカーサーにも忖度ない史料展開に興奮するが、裕仁から息子への私的な手紙とか、アメリカという国と日本の関係を「物語」として完結してしまったか。ここから何を開くか。学ぶのは過去にしかない。


森首相が述べた日本は、戦争中の宣伝屋たちが宣伝した日本である。(まえがき)

 宣伝屋

振り返れば、近代日本の登場はアメリカの軍艦とともに始まり、アメリカの軍艦とともに終わった93年間の夢のようだった。p.1

 アメリカに始まり、終わったのか…。

日本社会の上層部は軍部の物資や公共の資産をこっそり略奪し私服を肥やすことに専念した。p.8

 ワシズさま…?

木戸幸一は、皇居前で実際に喝采している人々がいたことを日記に書いており、明らかに開放感が見られたと、やや当惑しながら推測している。p.26

 敗戦時の風景。

戦争終了直後のアメリカはヨーロッパ重視主義をとっていたため、マッカーサーの総司令部は異例なほどの行動の自由に恵まれた。p.81

 日本の位置づけ

敗戦による疲弊、保守派のしたたかさ、そして上からの革命に必然的について回る民衆の下からの戦いの欠如。こうしたものが、民主革命を日本人自身のものにすることを妨げるものないか。p.87

 下からの戦い

1945年3月東京大空襲による被害を天皇自ら視察したことがある。住民は、天皇に敬意に満ちた態度を見せなかった。これに危機感を募らせた天皇側近の軍人は民衆の戦意が低下していると感じこれを虚脱と言う言葉で説明しようとした。p.93

 敬意に満ちた態度。

日本の本土自体基本的な食料を朝鮮・台湾・中国に依存していた。米の3割、砂糖の9割、大豆の6割、塩の半分をこれらの地域からの輸入に頼っていた。日本の敗北によってこうした食料の供給は突然絶たれることになった。p.95

 いつから自給できなくなったのか

十分に消毒されたネズミの肉は小鳥の肉に近い味がするが、骨を食べると体重が減ると言う結果が出ているから、骨は食べないことが肝要だとも書かれていた。天皇の放送の直前新聞にこの食事法が推薦されたが、その見出しは、こうして食えば工夫次第で材料は無尽蔵だ、であった。p.96

 先日紹介した斎藤美奈子の本に詳しい。

1947年4月NHKが19歳の街娼とのインタビュー放送して、聴衆にショックを与えた。ラク町のお時。街娼が多かった有楽町のお時と言う名前で紹介された彼女。「そりゃあ、パン助は悪いわ、だけど戦災で身寄りもなく職もない私たちはどうしていけば生きていけばいいの。好きでさぁ、こんな商売している人なんて何人もいないのよ。それなのに苦労してカタギになって職を見つけたって、世間の人は、あいつはパン助だって指差すじゃないの。私は今までに何人も、ここの娘をカタギにして送り出してやったわよ。それがみんな(涙声になる)いじめられ追い立てられてまたこのガード下に戻ってくるじゃないの…世間なんて、いいかげん、私たちを馬鹿にしてるわよお。。。」この放送から9ヶ月経った頃インタビューした男性は、お時から1通の手紙を受け取った。その手紙には、ラジオから流れる自分の声を聞いて私はショックを受けました。その声はまるで悪魔のようで、それがきっかけで私は通りに立つのやめて、色を見つけました。世間の風はやはり冷たく、しょっちゅうくじけそうになるけれど、頑張ろうと思ってます。と書いてあった。p.138

 NHKの意図

RAAの女性9割が性病陽性。p.147

 米軍人からか。

総司令部が公的売春を禁止したことに対して日本の官僚たちは、めったに例のない、珍しく繊細な人権尊重の実例を示した。1946年12月内務省は、女性には売春婦になる権利がある、と公然と述べたのである。この理論によって赤線地帯が指定された。p.147

 赤線の誕生

大挙してやってきたアメリカ人の頭の中では、この敗戦国自体が女性的だとされてしまった。敵である日本人は、撲滅対象の獣のような人間から、手に取って楽しむ従順な異国の人間と、驚くほど突然に変貌した。昨日まで危険で男性的な敵だった日本は、一瞬の瞬きのうちに白人の征服者が思い通りにできる素直で女性的な肉体の持ち主へと変身した。p.157

 獣から女体へ

〈協力新聞1946年新年号いろはかるた〉犬も歩けば鍋にされる。はなも恥じらう闇娘。骨折り損の負け戦。陸軍大将檻の中。濡れ手で粟の軍需成金、女乗り出す選挙戦、よくぞ止めてくださった、歴史を汚す大東亜戦。p.203

 協力新聞、すげえなぁ。

漱石ブームは敗戦前の近代日本へのノスタルジーと言うよりも、個人における苦悩と慰めと言う問題についてもう一度考えてみたいと言う欲求の表れだったように思われる。p.227

 個人という発見

三木は、特に、三木と同時代人で著名な哲学者西田幾多郎の思想と、因襲に果敢に挑戦した13世紀の宗教指導者親鸞の教えに傾倒した。p.231

 宗教指導者、親鸞

日本を民主化すると言う考え方自体が実はアメリカ人が戦争中に教え込まれていたプロパガンダの大きな修正の結果であった。アメリカのメディアでは戦時中常にすべての日本人は、子供、野蛮人、サディスト、狂人、あるいはロボットとして描かれていた。単に猿人間(monkey men)としたものがある。アメリカ人の心の中にはよきドイツ人思い浮かべる余地があっても、良き日本人はどこにも存在しなかった。戦争中ほとんど抗議の声もないままに10万人以上の日系人が強制収容所に収容された事はこうした憎悪が存在した証に他ならない。p.263

 猿人間

民主主義とは新しい流行に過ぎず、日本的な従順さの上に新しい衣装まとっただけではないかと言う懸念を裏付けるように思われた。p.285

 流行

さらに厄介だったのは日本人の占領軍への対応の仕方が例を見ないほど無邪気で親切で浅薄だったことである。原爆を投下された長崎においてさえ、彼らを歓迎し、ミス原爆美人コンテストを開催したのである。p.305

 長崎、マジか…

左翼を自認する人々が、天皇の絶対的権威に訴えかけた。p.342

 平成末期もそうだったかも。

マッシュビル大佐。2500年に及ぶ生物学的特進行為(近親結婚)の単なる産物にすぎない天皇を殺したところで愚の骨頂だ。イエスの神性なくしてキリスト教はありえないが、それと同じ位に真実なのは、天皇を殺しても日本人の天皇崇拝はなくならないと言うことだ(天皇は日本人の祖先崇拝の体系の1部に過ぎない)。p.12

 天皇を外から見たら

天皇が戦争への反省に欠けてきた事は、彼が当時12歳の長男皇太子に宛てた貴重な短い手紙に表れている。日本が戦争に負けたのは我が国人が米をあなどったためであり、軍人は精神に重きを置きすぎて科学を忘れたと説明していた。明治天皇は名将に恵まれたが、今回は軍人が大局を考えず、進むを知って退くことを知らなかった。あのまま戦争を続けていれば3種の神器を守ることもできなかったし、国民も殺さなければならなかっただろう。したがって涙を飲んで国民の種を残すべく私は降伏を決意したのだと。p.20

 受け取った方は…

この時撮影した写真は全部で3枚あったが撮られる側の準備ができていなかったため2枚は使えなかった(1枚はマッカーサーが目を閉じ天皇が口を開けており、もう1枚も天皇がぽかんと口を開けていた)。p.25

 何のぽかんだったのだろう。

天皇が入ってきた。その時マッカーサーが突然現れた。力強い大声でようこそようこそいらっしゃいましたyou'revery verywelcome Sirと言いながら。ボワーズにはマッカーサーが他人にSir言うのを聞いたはじめての経験だった。p.26

 アメリカ的な駆け引きなのかな…

アメリカの戦略爆撃調査団の調査では、陛下のことが心配、陛下に恥ずかしい、陛下に申し訳ないと言う項目にチェックしたのはわずか4%に過ぎなかった。p.43

 天皇万歳は幻想か?

西洋人特にキリスト教徒にとって天皇崇拝は冒涜的なものであった。天皇は英語で普通天の子と表記することになっていたが、それは神の子であるキリストと天皇を同一視する危険があるように思われた。p.49

 キリスト教以外は、イズム

裕仁の退位を公の場で最もセンセーショナルに要求したのは、著名な詩人、三好達治だった。新潮の1946年6月号。戦争敗戦の責任を取るだけではない。身をなげうって戦った忠良の兵隊たちに対して陛下の側に背信の責任があると糾弾した。p.66

 三好達治、教科書で見たくらいか…。

フェラーズは米内に、天皇は占領軍当局にとって最善の協力者であり、占領が継続する限り天皇制も存続するだろうと語り、ソ連が進める全世界の共産主義化を阻止するにはこの方針が重要であること、そして非アメリカ的な思想がアメリカ合衆国の上層部にも強まり、天皇を戦犯として逮捕するよう求める声が依然として力を持っているとも言った。フェラーズは次のようにも語ったと言う。天皇が何らの罪のないことを日本人側から立証してくれることが最も好都合である。私は近々開始される裁判がそのための格好の機会を提供しようと考えている。特に東条英機は自身の裁判において全責任を負わされるべきである。p.68

 ここまで利用された人は珍しいのでは

エリオットソープ准将は天皇の退位は混乱以外の何ももたらさない。宗教もなく政府もない。天皇だけが統制の象徴だったのである。もちろん天皇は悪に手を染めた。彼が無邪気な子供でならないことも明らか。しかし天皇は我々にとって大変役に立つ存在だった。これが私が天皇を支えるように、あの老人(マッカーサー)に進めた理由だ。p.72

 天皇自身はどう受け取ったのか

米国務省の東京駐在代表だったジョージ・アチソンは1946年初めのトルーマン大統領宛ての長文の報告書の中で、天皇が戦争犯罪人であり日本が本当に民主的になるためには天皇制は廃止されるべきである。と。にもかかわらず現状においてはアチソンもまた天皇制が維持され裕仁が戦争責任の訴訟をのがれるならば社会的混乱を回避でき、民主化もうまく機能するだろうと考えていたのである。アチソンは天皇の退位は将来において望ましい選択肢であるが、憲法の改正が実現するまでは、延期することが最良の策だと。アチソンはまもなく墜落事故で亡くなった。p.73

 天皇と日本が天秤になったのか

砕かれた海・渡辺清。サイパンから復縁してきた兵隊が天皇と会話を交わしたと言う話を耳にした。戦争激しかったかね?天皇は尋ねた。はい、激しくありました。本当にしっかりやってくれてご苦労だったねと天皇は付け加えた。今後もしっかりやってくれよ。人間として立派な道に進むんだね。と。再び渡辺は絶望感にさいなまれた。おそらく天皇はまともな人間なら誰でも持っている責任感を持ち合わせていないだけなのだと彼は考えた。天皇は少なくとも次のように言うことができなかったのだろうか。私のためにご苦労かけてすまなかった。p.95

 ホントにこんな会話したのか…

彼は責任の一部は、天皇の戦争責任をまともに取り扱わなかった報道機関にあると考えた。いまや世の中の流れは軍国主義者や大財閥に戦争の責任を負わせ天皇をその犠牲者、かわいそうなロボット、あるいは真の平和主義者にする方向へと向かっていた。こうした事態は報道機関は戦前に軍部に追従していたため、おそらく自らの責任逃れのために取っている戦術なんだと彼は推測した。渡辺は天皇の行為が国民全体に与える心理的な影響についても考えをめぐらした。もし国民全体が天皇に従うならば国民は最終的にはたった1つの指導準則だけを持つことになってしまうだろう。つまり天皇さえも責任を取らずに済ませてしまったのだから、私たちが何をしようと責任を取る必要はない、と言うことである。p.96

 これが今の日本につながるスタート

幣原、吉田、松本は親英家とかオールドリベラルと言われたからといって親米家であるとかアメリカに関して造詣が深いと言うわけではない。p.109

 外交官首脳とイギリスとアメリカ

マッカーサー草案と言う基本モデルを受けることによって、天皇制の全面的廃止を謳うような急進的な修正案を抑えることができるだろうと言うことだった。p.120

 天皇を守るための憲法改正

GHQ草案の当初の訳文ではピープルを人民としていたが松本と佐藤は国民という用語を採用した。民政局のアドバイザーたちは国民と言う言葉の持つ保守的意味合いに注意を流したがホイットニーとケーディス大佐はその区別はあまり重要とみなさず翻訳をそのまま生かすことを許した。p.145

 国民でなく、人民だったら…

東京でA級裁判が終わる頃、世界は変わっていた。勝った連合国の連合は冷戦によって崩れ、東京の裁判官席に代表出していた国々は内戦やアジアのあちこちでの植民地戦争に明け暮れていた。p.244

 裁判中に世界は動いていった。

絶大な影響力を誇った右翼の児玉と笹川良一の2人のほかに後に首相になった岸信介もいた。岸は明敏かつ悪辣な官僚で満州国で経済界の帝王として君臨し、何千何万と言う中国人を強制労働させ奴隷のようにこき使ったことなど多くの行為の責任を問われていた。p.245

 岸と満洲。

しばらくすると、勝者の欺瞞は日本のネオナショナリズム思想の主たる骨組みとなり、パルの反対意見は東京裁判史観を批判する者たちの手垢にまみれたバイブルとなった。p.272

 互いに自分に引き寄せる

負けた時、死者になんと言えばいいのか?心を占める問題はそれだった。戦いに敗れると世界が変わるからである。天皇の軍隊が犯した侵略や残虐行為に責任を負うのは誰かと問いただしていた時、日本人にはこの「敗北」の責任は誰が負うのかと言うことの方が差し迫った問題だった。勝者が、日本が他の国や他の民族に対して犯した罪を見つめている時、日本人は死んでしまった同胞に対する哀惜の念と罪悪感に打ちのめされていた。中略 勝者にすれば、日本には英霊などいなかった。東京裁判も1928年以降すべての軍事行動を侵略行為とその結果としての殺人として行ってきた国が、そして、捕虜に対する虐待も民間人に対する残虐行為もほとんど国民性の表出とも思える位あちこちで行ってきた国が、そんなことを考えるだけでも浅ましい、とはっきり言っていた。p.289

 この辺が昔から謎。英霊とは、誰が使い出したのか?

この国のこのような自責の伝統において最もカリスマ的存在の代表が親鸞である。親鸞こそ、自己憎悪と法悦的な回心の先達であり、日本で最も大衆的な仏教宗派である浄土真宗の開祖だった。田辺の邪悪な自己に対する糾弾は実際のところこの先達からの盗用のようにも思われる。p.303

 ここにきて親鸞。自己憎悪と法悦。

戦争犯罪人の1人陸軍大佐の辻正信は巣鴨に入りもしないで悪者から有名人に変身わ遂げさらには商業的成功まで手にした。辻は狂信的なイデオローグで病的なまでに粗暴な参謀将校だった。シンガポールとフィリピンの両方の虐殺事件(パターン死の行進を含む)に重大な責任を負っていたが、他の残虐行為にも関与し、アメリカ人捕虜を処刑してその肉を食うと言う行為にまで及んでいた。日本で最も悪名高い戦争犯罪人の1人とされていた。p.323

 辻政信の自伝は、怪しかった。

以前は敵対していた日本人とアメリカ人、戦争犯罪とそれを裁く者たちが今では多かれ少なかれ同じ穴のムジナになっていることを露呈させたからだ。p.324

 戦争と世界

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