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サブカル大蔵経985菊地章太『葬儀と日本人』(ちくま新書)

今日は葬儀でした。
火葬場から帰ってきた遺族が「ここは、塩ないんだね」と話す声が聞こえてきます。
葬儀にまつわる風習は迷信として切り捨てていいのか。その背景と歴史。

ブッダは出家者の葬儀への関与を是認しなかった。出家者は修行に専念すべきであって、冠婚葬祭などの俗事にわずらわされるいとまはない。それは在家信者にまかせるべきだと説いたのである。さりとて葬儀そのものを否定したわけではない。そのことは、先程のブッダの言葉に続いて遺体の葬法がこまごまと述べられていることからもわかる。ただ、出家者が生活のたつきとして葬儀を請け負うことはしなかった。p.24

〈葬式仏教〉というテーマで10年ほど前に沢山の本が出版されました。それを最近集中的に読み直したのですが、それぞれの立場で識者の方が見解を述べられています。釈尊の葬儀という事象についも、読む本によって真逆の説明だったりして、興味深いです。

禅宗によって構築された規範が取り入れられ、葬儀の作法書が完成した。現在の仏式葬儀の直接の源流はここにある。今日、私たちは葬式を仏教儀式として理解している。しかしその根幹にあるのは儒教の儀式に他ならない。p.12-13

江戸時代以降、寺檀制度の確立に伴い一般の方も仏式で葬儀を行うようになり、その時に禅宗のやり方が踏襲された。その禅宗の規範には儒教の作法が取り入れられていた。仏教と儒教と混合したその遺産が目の目にある位牌なのかもしれません。

位牌につまずいている。p.7

軽くて重い位牌という存在。

位牌を単なる木札と切り捨てていいのだろうか。〈私が位牌になる〉ヒトガタとしての位牌。その背景の歴史と人々の想い。

位牌になるために生きている。東アジアではそれも言えそうである。p.18

本書は、その位牌を遡る旅へ誘います。

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死体から遊離したばかりの霊魂は荒魂として恐れられたが、その荒魂の依代となる木を墓に立てた。これが野位牌の原型であると五来は考える。p.28

なぜ火葬場に位牌を持っていくのか。本書で〈野位牌〉と言う言葉を知りました。棺に入れて燃やす用と、四十九日まで置いておく用と、白木の位牌を二つ書いていたのですが、最近は、半紙に名号と俗名法名を書いたものを棺に入れてもらっています。

位牌持ちがなにより重い役目とされているのは、そこに亡き人の霊が依りついていると信じられているからだろう。p.28

〈葬列〉こそ葬儀のメインイベントだったのかも。その中での旗としての位牌。魂の依代。折口信夫曰く、山車の旗が神の目印だと。(p.53)

やがて坐禅と葬儀の比重が逆転する。これは応仁の乱の前後とされる。やはり社会の転換期であった。p.124

禅宗から始まる位牌の歴史。曹洞宗の語録、初期はは坐禅、徐々に葬儀に関わる。

武家などの俗人で参禅した者には「居士」を個人を用いる。一般の武家には「信士」「信女」を用いる。山伏には「大徳」、行者には「浄人」を用いる。p.161

臨済宗の位牌文字便覧。居士とかは真宗では使わない文字ですが、たまに昔の方のお名前に付随している場合があります。もともと武士につけられていたんですね。

散骨も樹木葬も新しいものではない。今あるほどのものはどれも昔からあった。むしろ長い伝統でさえもあった。石のお墓が墓地にずらりと並んでいる風景の方が、ごく浅い歴史しか持っていない。p.215

繰り返される葬儀のかたち。新しいと思われた樹木葬や散骨こそ伝統的なのか。風葬や鳥葬、海洋葬の歴史もある。海と山のある日本の特徴でしょうか。今は、土地の狭い里の視点しかなくなっているのかも。

日本人でブータンにゆかりのある人がいた。遺族が十三回忌の法要を依頼した。するとブータンの僧侶からこんな答えが返ってきた。「あの人は、そんなに悪い人とは思えなかったが、何か重大な悪業でも犯していたのか」p.80

本書で印象深いエピソードです。滅罪のための法事という位置づけも、なんとなく真っ当なような。葬儀も法事も、僧侶と遺族と仏教とどこまで絡み合っているのか、それぞれの思い込みは、五来重言うところの〈正しい誤解〉に繋がるのだろうか。

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