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サブカル大蔵経80高橋秀実『ご先祖様はどちら様』(新潮文庫)

 〈私〉から〈天皇〉までたどり着く意外性。しかも、民の声を伝えることを通して、粘り強くタブーなく対象化していく。疑問をスルーせず、容赦なくツッコむが、著者も家族にツッコまれる展開。

 特別な手段を用いなくても社会の根源に連れてってくれる展開が圧巻。すぐそこにあるのに誰も行かないところ、あなたの目の前にある日本そのもの。違和感に妥協しない高橋秀実の異能は、モンゴル語専攻つながりで現代の司馬遼太郎だろうか。

知人の結婚披露宴というのは帰り際が難しい。p.12

 この、あるあるから、まさか天皇まで行くとは…。

ウチも遺跡だったのである。p.27

 わたしと日本の歴史が結びつく。

発掘するというのは壊したことになるんです。だって掘ってしまったら終わりでしょ。遺跡は土の中に置いていくのが1番安全なんです。今出してしまわない方が良い。後世ならもっと発掘技術が進んで正確な年代や詳しい色もできるかもしれない。そのためにそのままにしておく。後の人に残しておくんです。p.31

 学者の異常な心理も高橋秀実は聞き逃さず、すくいとる。

父母不詳と言うのはよくあることなんです。捨て子と言うわけではなくお産婆さんが男の子のいない家に養子を斡旋していたケースが多いです。p.50

 戸籍という不思議な闇。松本清張『砂の器』でも役場で不明な戸籍を調べる場面があった。

4代にわたる戸籍。4大遡っただけで直径傍系含めて79もの家系が広がった。私が戸籍を見せると母は奇声を上げて驚いた。これまで私の書いた本や記事を欠かさず読んでくれてるが、こんなに感心されたことはいまだかつてなかった。そしてお母さんのお母さんは7人兄弟の長女だしと名前を順次読み上げると、そうなのと聞き返した。なんか変である。親子関係が逆転してしまったようで、両親が幼児のように見えてきたのだ。p.54

 親子逆転のペーソス。この描写が単なるルポで終わらない著者の真骨頂。読者が自分自身のこととして、物語に参加できる。

私はテーブルの上に開いたままの九曜星を見つめた。ここで源氏に寝返って良いのだろうか。p.189

 源平は今でも続くことに驚く。

そちらは武田から迫害を受けて逃げた方ですか。こちらは武田の家臣と伝え聞いております。禄を喰んでいた方ですね。身分の違いと言うものを私は実感した。彼は支えた身分で、ウチは逃げた身分。ウチは戦って負けたのではなく戦わずして逃げたのである。p.205

 戦の評定も今でも続く。噂が名前を支配する。

もしかするとウチは皇室につながっているかもと母に報告すると、あ、そうと鼻であしらわれた。でも母の母の母の母の実家である市川家について説明し、市川から源氏の流れでそれをたどっていくと清和天皇につながっている平氏かもしれないけども、それも例えば桓武天皇でいずれにしてもこうして繋がれたと力説した。あっそう。母は繰り返した。p.228

 この、「あっそう」が前フリ^_^

昭和50(1975)年、昭和天皇は日本記者クラブの代表に「戦争そのものに対して責任を感じておられると言うことですか」と質問されると、こう答えていた。「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面あんまり研究もしてないので、よくわかりませんから、そういう問題についてお答えができかねます。」要するに、知らないと言うことである。p.230

 この辺の筆致のエグさは容赦無い。デビュー作のボクサー小説と天皇がともにフラットで繋がっていく。すごい。

「そりゃあ、あんた、天皇は普通の人間になりましたもん。」普通の人間になると?「御陵に行ったとしても、普通にお辞儀だけです」お互いに普通の人間なので普通の挨拶で良いのである。普通ですか…私はつぶやいた。p.245

 天皇万歳は、太平洋戦争の間だけだったのか?天皇と日本人。表面と実際。

とりわけ日本史が苦手でした。なんか嘘くさい。本当にそうなの?p.259

 この辺の考え方も鋭い。日本史学そのものを「検証」している。

しかし本書の取材、執筆を通じて、私は過去とはどこかにあるものではなく、つくり出すものだとしみじみ思い知りました。本当ににあるのは「過去」という実体ではなく、過去にする。若者言葉風に言えば過去るp.260

 ここまでたどり着く風刺の完成度の高さが受賞理由かもしれない。

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