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サブカル大蔵経890高橋英夫編『志賀直哉随筆集』(岩波文庫)

「家守」1917(大正6)年7月1日『白樺』

(「蜻蛉」「家守」とも、同誌に発表された「小品五つ」中の一篇)p.369

巻末の初出一覧でこう表記された短編「家守」に本書で出会えて良かったです。

2カ月前1917(大正6)年5月に同じ『白樺』で「城の崎にて」が発表されていました。

「城の崎にて」で、動物の死を見つめ、綴る作者が、本編では加害者となります。

自分は今、山の上の書斎に来ている。恐ろしいほどに心が空虚だ。p.23

 志賀直哉はどこまでも空虚なのか。

この心身の高揚と知覚の全開が、志賀直哉の場合あの独自な視力を生み、リアリズムと夢や幻視が相互に交換されうるような世界へと志賀直哉を導いている。p.397

 解説の高橋英夫氏の述べる通り、空虚と裏返しの高揚が訪れると、「独自な視力」が降臨するのでしょうか。もはやスタンド能力のような鬼気迫るものを感じます。

この後は掌編の内容に触れますので、ご注意ください。

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家守はキューキューと啼いた。それからぐっと力を入れると片方の眼が飛び出した。そして自然にそうなるのかまたは抵抗する気か口を大きく開けた。口の中は極く淡い桃色をしていた。箸は脳天から咽へ突きとおった。箸を上げるとその先に家守がだらりと下った。p.18

どうしたらこう書けるのかと思いました。残酷なことをしている自分をさらけ出すように書こうとしてあえて行動しているのでしょうか。

家守は何時の間にか生きていた。片眼は飛び出したまま、脳天は穴の開いたまま、自分が近寄ると弱々しい歩き方で逃げ始めた。自分は不意に厭な気持ちに襲われた。自分はもしこの家守がこのまま自然に元通りのからだに癒ってしまうだろうと考えられたら生返った事を喜べたかも知れない。しかしそうは考えられなかった。そして自分は気味悪さと同時にある怒りを感じた。p.19

家守が厭なのでも、自分のしたことが厭なのでもなく、その関係性と、時間の不可逆性が怒りを生じさせたのでしょうか。

実は私も子供の時、近所の人に殺されかけたネズミをかわいそうだと、雪の中に逃しました。でも、それはかえって凍え死なせるだけでした。そのことはずっと忘れられず、そして実は私はそれからも同じようなこと、偽善的な延命の繰り返しをしているだけなのではないかと思っています。

とうとう家守は見つからなかった。自分には夜になるとまたその片眼の脳天に穴の開いた家守が自分の部屋に這込んで来る事が想像された。自分はその想像を直ぐ打ち消した。が、それにしても家守が生きている事は自分にとって凶事のように思われた。p.20

志賀直哉は、私たちが今までしてきた残酷な行為の返礼をおのれの業として代わりに背負っているようにも思えました。

最初は家守に残酷なことをしたとは思っていない。まさか生き残ることがこれほど怖い事なのか。

 生と死の狭間と出会う事の根源性。

 本書では、犬や猫を飼う文章も掲載されています。

名を呼んだり、撫でたりしてやったが、淋しそうな眼つきで、あらぬ方をぼんやり見ていて、クマは一度も私の顔を見ようとはしなかった。よほど苦しかったらしい。p.45

 飼犬クマの最期。この距離感。

 遠いと近く、近いと隔絶した相手。

私は女車掌を押しのけてバスから飛び降りたが、p.81

 クマを探して、車から飛び降りる文豪。

「城の崎にて」これも事実ありのままの小説である。鼠の死、蜂の死、いもりの死、皆その時数日間に実際目撃した事だった。そしてそれから受けた感じは素直にかつ正直にかけたつもりである。いわゆる心境小説というものでも余裕から生まれた心境ではなかった。p.117

「創作余談」で語られた「城の崎にて」での動物たちの死との出会い。「素直」という言葉が印象的。

「城の崎にて」は教科書に入っているので、生徒や教師の人たちからもよく手紙でこの質問が来る。p.154

 志賀直哉にそんな手紙まで来てたとは。内容は葉っぱが一枚だけひらひらする描写について。

芥川君が、それじゃあ細君とは何時寝るんだ、といったという。芥川君は一人一人で会っていると音無しいが、側に三、四人いるとよくそういう調子でものをいうと聞いていた。そんな事を切り込むようにいわれては堪らないと私は思った。p.218

 芥川龍之介との関係。

その時、先生は笑って「よほど馬鹿な先祖だな」と言われた。グンデルトさんはちょっといやな顔した。p.290

 師匠・内村鑑三。

とにかく、私のいった事が心身共に弱っていた太宰君には何倍かになって響いたらしい。p.310

 太宰治との関係。

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