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サブカル大蔵経657筆坂秀世/宮崎学『日本共産党vs.部落解放同盟』(にんげん社モナド新書)

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暴力対決では、一方的に共産党がやられているだけ。解放同盟は、そういう点ではゲバルトは強かったですね。私は、強いか弱いかでしか見ないから(笑)解放同盟は圧倒的に強かった。(宮崎)p.110

組織の理想と暴力。これだけ生々しい〈暴力〉という言葉が乱れ撃ちの本も珍しい。

学生運動や差別問題のことが未だによくわからない私にとって、この二人の当時のタイミングでのマッチメイクに感謝。

この問題は現在にも受け継がれています。運動の本質にもつながる視点と提言。真宗や運動畑の人と読んでみたいです。

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それは独占資本に丸めこまれるものだ、騙されるな、と共産党が反対した/が、解放同盟中央が、共産党の批判を聞き入れず、同和対策事業特別措置法にもとづく同和対策事業受け入れ、推進するようになると、/同盟は利権屋になったと言って対決するようになる。(宮崎)p.8

 最初は手を携えていた両陣営。危機を感じた体制側に楔を打たれたのでしょうか。

おたがいに、相手を「利権暴力集団」「差別者集団」となじりあいながら、自らを省みることが少なかったせいか、今となっては、共産党は「部落差別は解消した」と言って差別は存在しないと言う鈍感な態度をとるにいたっているし、解放同盟の方では、解放同盟から遊離した私的利権がはびこっていることはあきらかな状況なのである。(宮崎)p.11

 体制側に向けられず、昨日の仲間に放たれる互いの毒舌が刺さりまくる。共産党の差別に対する解放同盟と違うスタンスはこの影響もあるのか…。

当時、仮に日本が社会主義社会になったとして、部落差別が国民意識からなくなるかといえば、なくならないですよ。そんなかんたんに差別意識が払拭されるものではありません。(筆坂)/左派が権力を奪取したところの方がむしろ差別の解決から遠ざかっている。社会主義権力の方が差別が厳しくなっているわけです。(宮崎)p.64.65

 組織体制ゆえの差別。左派の差別体質。

民主教育と愛国教育は同じですよ。つまり、そもそも、教育でもって子どもたちをマインドコントロールしようと言う発想自体、どこかいびつなんじゃないのか、ということです。(宮崎)たしかに、民主教育と愛国教育が一緒だというのは、いい得て妙やな。(筆坂)一緒でしょう。君が代をインターナショナルに変えただけの話じゃないですか。(宮崎)p.103

 原武史『滝山コミューン1974』を思い出しました。

それから部落解放運動と学生運動との大きな違いは、一般大衆の中にある部落への差別意識です。/「まぁ部落に比べたら、共産党の方がええやろ」と言う意識が、働いたと思います。(筆坂)「部落は怖い」というのもあるし、共産党が「解同の暴力に屈せず…」とやっていると、そうかなということになる。/暴力と利権の解放同盟と正義と公正の共産党、という図式がすっと入っていくことになる。(宮崎)p.116

 共産党にとって解放同盟の価値とは。

僕は党中央にいたからよくわかる。どっちに行くかわからないエネルギーは怖いんですよ。/コントロールができないエネルギーは怖いんです。やっぱりそこは、党の歴史が長くなってくると、官僚主義がはびこるんですね。(筆坂)p.120

 大きな組織、長い組織。

「糾弾」というのは、法にもとづく行為ではありません。やむにやまれぬ直接行為であって、権利が侵害されたときに、法律上の手続によらないで、自らの実力で権利を守り実現する行為です。/「糾弾」というものをどう考えられますか。(司会)p.155

 「法の枠に縛られる共産党」(宮崎)。「糾弾という傾向に陥っていく解放同盟」(筆坂)。司会の設問も機敏を持ち、二人の回答も的確な言葉で矛盾をついている。

解放同盟執行部、とくに朝田善之助が言っていた「部落民以外は全て差別者だ」というとらえかたは、どうしてもセクト主義、分裂主義につながるものだったのではないかと思いますね。そのへんが、共産党だけでなく、いろいろな人たちを解放同盟から離れさせる原因になったんじゃないでしょうか。(筆坂)p.168

 いろいろな人たちが離れていく原因。

(共産党は)差別はなくなったのに、解放同盟が「口実」として差別をつくりだしている。だから部落問題がまだ終結するに至っていないと言うのである。(第5章)p.170

 部落問題の終結の見えなさ、運動のあり方に対していろんな意見があって健全だと思います。

米騒動は、たとえば神戸の米騒動をくわしく調べてみましたが、先頭に立っているのはヤクザと部落民です。山口組の組員なんかもおおいに闘っている。社会主義者はゼロです。(宮崎)

 宮崎学ならではの視点。伊藤野枝が社会主義者を批判したところと重なりました。本書では、京都の米騒動は、東七条の部落から始まったと紹介。

それはね、社会の中に現実に差別がある以上、それを解決するには、部落に特権を与えなければならないのは差別をなくすためのコストであると考えればいいんじゃないかと思うんです。つまり、差別をお前らがずっとしてきたんだから、その分は払えと言う話であって、差別をしなければ利権は生まれないんだと言うことじゃないかと思うんです。(宮崎)p.207

 差別されてきた方の補償と特権の問題。

共産党も差別をつくってきた。それは主義についてである。/共産党にいわせれば私は「転落者」だからだ。(筆坂)p.247

 筆坂さん、転向でなく転落か…。

部落解放同盟も、日本共産党も、いずれは組織や存在意義を消滅していくことになるのであろう。存在意義がなくなった組織や運動体が消滅することは、理の当然である。だが、だからといって差別がなくなるわけではない。どうやれば差別から解放されるのか。(筆坂)p.249

 組織維持よりも差別を無くす方が大事。維持することだけが目的となった場合、組織はどうなるのか。消滅もあり得ることを前提とした組織論。

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