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サブカル大蔵経819諏訪勝則『古田織部』(中公新書)

『へうげもの』の補完か、種明かしか。

山田芳裕は山田風太郎になったというか。

ひとつの想像を書く為に、百の史料を読み込むような。

それが実証されていたような嬉しさ。

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作品で描かれし「調略の才」はホントだったんですね。

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織部が茶の湯を伝授した弟子たちにはそうそうたる人物が名を連ねている。徳川秀忠・黒田官兵衛・伊達政宗・毛利秀元・大野治房・小堀遠州・本阿弥光悦。p.3

 毛利・治房以外は徳川方のようでいて、官兵衛、政宗、そして秀忠も…反家康か?織部が家康に一番警戒されたのはここか?

信盛の長男佐久間不完斎曰く、織部は茶の湯が嫌いだったが、義兄中川清秀を見習って茶の湯に親しむべきと周囲からさとされ始めたのだと言う。p.35

 佐久間信盛の息子!武士を捨てた者が、茶人・御伽衆・僧侶として復活する戦国のRPGシステムは見落としたくない。

織部と利休の2人はこの小田原合戦中に連れ立って熱海の湯に入ったことが知られる。p.101

 小田原合戦、家康と秀吉は連れション。利休と織部は温泉。しかも熱海かぁ。

秀吉の御伽衆である織部は、家康が催した会にも参加し始めた。織部と家康はともに伏見屋敷があった。p.115

 伏見のうぎゃあ。は家康邸の近くか…。

本願寺教如も織部の茶会には度々登場する人物である。p.171

 ここなら会える、という茶室は、今ならLINEグループか、zoomオンラインか。

有楽は枕を取り出し床の脇に置かせて横になった有楽が「織部の茶は難しい。京では様々な気遣いをしているようだが、ここ大阪ではゆっくりとされたい」と言って織部に枕を差し出し、共に横になってお茶を飲んだ。p.173

 有楽斎のキャラは現在の『望郷太郎』に受け継がれている。かな?

大阪の陣で、織部は弟子の佐竹の陣を見舞っている。この時鉄砲の弾が当たり負傷している。鉄砲の弾が左目の上に当たったが軽症であったため織部は驚くこともなく痛がる様子もなかったとされる。家康からは薬が遣わされ、政宗からは見舞いの書状があるp.192

 これも実話なれど、その薬を与えし家康の所業と絵を描く山田芳裕の才気。

大阪の陣終結1ヵ月後、織部親子は切腹を命じられている。織部の家財は没収され名物は徳川家に。京都堀川邸は、藤堂高虎に与えられた。p.194

 高虎が所望したのだろうか。

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