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サブカル大蔵経543ゴンチャロフ/井上満訳『日本渡航記』(岩波文庫)

1853年の話。
ゴローニンは1811年。あれから42年後。

もし、ペリーのアメリカではなく、彼らのロシアが最初の開国相手だったら、歴史はどうなっていたのだろうか?ロシアが日本を統治して、北海道はサハリンみたいな感じで、ヨーロッパっぽい感じでしょうか。

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こんなこと言ったらきっと日本人の気に入らなくて檻に入れられるかもしれない。彼らは自ら神の子孫だと主張している。だが神の次には、支那系でさえないなら、北方の千島系とする方には彼らは賛成である。だが支那人と別れてきたばかりで、その面影がまだ記憶に新たな現在、そして支那人に類似した今1つの民族を自分が見ている現在では、私はなおさらこの意見を主張するつもりだ。p.76

 日本人の由来を考察するロシア。ゴローニンもゴンチャロフも非常に理知的な印象です。

ケンペルは日本人の祖先はところもあろうにバビロンの建塔から来たのだと言っている!p.76

 日猶同族説?

唯一の頼みとしてきた鎖国排外制度が何の足しにもならずにただ自分の成長止めるに過ぎなかったと言うことを彼らは覚っている。その制度は小学生のいたずらのように先生の姿が見えると一瞬にして消えてなくなったのである。彼らは孤立無援だ。涙を流して、先生悪うございました!と言って子供らしく大人の指導を仰ぐより他に仕方がないのである。p.112

 日本の鎖国政策は同時代の国際社会にはこう見られていた。小学生のいたずら!

ではその大人には誰がなるのか。あちらには狡猾で猛進的な工業家アメリカ人がいる。こちらには一握りのロシア人がいる。ロシアの銃剣は客人になっている間はまだ平和で感情を害しないが、既にもう日本の日光に輝き、日本の陸地では進め!の号令が降ったのだ。ニッポン、ヨウジンセヨ!我々でなければアメリカ人が、またアメリカ人でなければ誰かその後に続くものが、いずれ近いうちに日本の血管に健康な液汁を注ぐ運命にあるのだ。日本は自殺的に自分の血液と一緒にこの液汁を放出して、弱く痩せ細り、哀れな幼児の暗黒状態に陥っているのだ。p.112

 ロシアにアメリカが来ることを心配されている日本の行く末。

彼ら支那人は仏教徒の狂信にさえ感染しなかったのである。支那人の実際的工業的精神はカトリック教よりも新教の精神の方がぴったりするようである。p.248

 中国では、仏教は根付かなかった。

幼稚で未開なくせに狡猾な日本人は相手のことで、確かな結論を下せなかったからである。私はこれまでに出した手紙のうちに日本人のやり口のことを書いておいた。実際ここではいかに人情の機微に通じ世故にたけていても、日本人の世界観や道徳や習慣を理解する鍵がなくては普通の理性や論理の法則では活動できないのである。p.271

 日本人の狡猾さは国際的お墨付きか。今日本人がロシアに対して抱いているイメージそのまんま。ロシアは日本に狡猾を学んだのか?

この川路を私たちは皆好いていた。川路は非常に聡明であった。その一語一語が眼差しの一つ一つがそして身振りまでもが、全て常識と、ウイットと、炯敏と、練達を示していた。明知はどこ行っても同じである。民族服装言語宗教が違い、人生観までも違っていても、聡明な人々の間には共通の特徴がある。バカにはバカの共通点があるのと同じである。私の気に入ったのは、川路に話しかけると立派な扇子をついて、じっと見つめて聞く態度である。p.324

 川路聖謨伝説。薩長<幕府有能説。

しかし琉球人は日本への貢税をやめたくて、自分では支那の属国だと言っている。こんなこと言うのは日本人に吹き込まれたらしい。あるいは日本人とアメリカやその他のヨーロッパ人との間に紛議が起こるかもしれないと言うことをアメリカ人に聞かされて、その両方とも敵に回したくないので、前もって日本と手を切ろうとしているのかもしれない。p.360

 沖縄の立ち回り、国際的だなぁ…。これは、北海道も見習わないと。

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