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サブカル大蔵経207 内藤正典/中田考『イスラムが効く!』(ミシマ社)

イスラームと仏教、組めないかな?

肩書きで人を見ない、肩書と言うものにとらわれないものが生きているのがイスラーム世界なのです。p.22

 鎌田東二『翁童論』の中に、子供と老人が人間で、その間の大人は肩書きを生きているだけで人間ではない、といったことが論じられていたことを思いだす。イスラムの教えは、遠いようで、実は日本人そのものの奥底を回復させる何かに繋がっているかもしれません。

イン・シャー・アッラー。本来のイスラムの意味は、神が望みたもうならば、なんですよね。明日の9時に自分がここに来られるかどうかなんてわからない。p.30

 この理由はズルいなぁ、と思う私こそ何かに縛られているのかもしれない。明治以降鉄道が開通し、御前列車の時刻を厳守させるために、日本の時間感覚とシステムは変わった、かも知れないからだ。イスラムも一日に三回お祈りタイム厳守だけど、とにかく、神様>人なんだろうなぁ。古風でラジカルなのでしょうか。

法理学的には法を人間が作ると言うのは非常に新しくて特殊な考え方です。法と言うのはもともとあるもので、それを発見するというのが本来の立場。法はあるものであって、作るものではない。権力者が押し付けることもあるし、そもそも人が作った方なんていうの非常にいい加減なものでしかないかもしれない。p.61

 私も昔から法律を絶対視することや、やたらと法を判断の材料にすることに疑問を抱いています。人が作る法を絶対視しないスタンスは、すごくうなづけた。同時に危うさも感じた。

ムスリムはうつ病になりにくい。深刻なストレスというものをかわす術を持っている。物事の結果責任が自分に返ってこないようにできているので。仕事のストレスというか仕事をしませんからね(笑)p.88

 日本人の対極なのか?ストレスを感じない人の周りはストレスを我慢していないのだろうか。

日本でなぜいじめられた時に相手を殺さずに自分が死のうと思うのかと疑問です。ムスリムだったら、本人かあるいは家族が相手を殺してしまうのでああいうことは起きません。p.89

 自殺より、他殺。

イスラーム教では、基本的に自殺と他殺を区別しません。命を殺してはいけないという教義があるのですね。p.94

 自殺を認めない。ジハードは自殺ではないのかも知れない。

命というのは神を讃えるために、神に仕えるためにあるものなので、それを奪うことは許されない。自分の命は自分のものではない、ということです。p.94

 自分だけの命でないから尊い。これは、私もお説教で話したことがあります。やっぱりイスラム、もっと勉強したくなってきました。

本当に貧しいというのは、そもそも盗むものがないことです。p.97

 盗みが発生している間は大丈夫なんだという考え。なるほど。分け与える考え。

ストレスってほとんどが目か耳からです。イスラームには坊主がいないので、だれも何も赦すとか懺悔とかない。p.98

 誰から言われたとか諭されたとかない。自分で引き受けて神と出会い解決して行くのかな。

だれも働けと言わない。p.100

 働くという概念。

イスラームの基本は商売です。100回失敗しても一回成功すれば良い。p.129

 イスタンブールでも吹っかけらました。

結婚・離婚も契約。離婚簡単だからすぐに結婚する。p.128

 すごいなぁ。なんか自由なのか不自由なのか分からなくなってきました。

神と被害者にしか許す権利はない。p.136

 第三者ではない。

悪いことしたら、次は善いことをする。p.166

 どちらかだけではない。リカバリー。

奥さんは怒鳴ったら謝らなければならないが、三回出てけ!と怒鳴ったら、人対人の罪ではなく、神対人の罪になってしまう。p.168

 この辺りの決まり事がまだ生きているのだろうか。人との問題から、相手が神になる。これは、おっかない。けど、仏教がここまで日本に根付いたのもこういうことでは?

西ヨーロッパの白人たちが自滅した。p.195

 どちらが優位ではなく、自滅の時代。世界が総イスラム化したらどうなるのかなあ。

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