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サブカル大蔵経865高田博行『ヒトラー演説』(中公新書)

1945年3月28日、ゲッベルス日記。「総統は、今は何も肯定的なことを示せないので、演説を断るだろう。しかし私は総統をせっついてみよう。生死をかけた戦いのために国民にスローガンを与えるように総統にせがむことが、国民としての私の義務である。」p.257

ゲッベルスは、ナチ党やヒトラーその人よりも〈ヒトラーの演説〉に全てを賭けた。

ヒトラーは、演説を聞く聴衆からエネルギーをもらい、化けた。無観客ではない。

聴衆がヒトラーを育てた。

一邦国に成り下がっていたバイエルン王国は反プロイセン的な雰囲気。p.6

南ドイツのミュンヘンと言う街の持つ独特な風土がなければ、ナチ党は台頭することができなかったであろう。ヒトラーの芝居がかった自己演出のスタイルは、大げさを好むこの街の雰囲気に合っていた。p.35

ミュンヘンは大阪みたいな街でしょうか。

となると、ナチ党は維新か?清廉を謳う。

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演説フレーズ「私には百万長者よりも何でもない労働者の方が好ましい。」p.29

 もともとは労働党。富裕者は高利貸し。そこからユダヤ憎悪にも繋がっていく。

ものの多面性を示すのは誤り。ドイツ人には客観的にものを言う習性があり、これは欠点だとヒトラーは説く。p.70

 反知性主義の元祖か。

演説の中盤から、ほとんどが語り手と受け手とを一体化させた1人称複数の「われわれは」「われわれの」。p.91

 そういう法話は怪しいのかも。

1925年11月6日初めてヒトラーと対面したゲッベルスは日記に「ウィット・皮肉・ユーモア・あてこすり・真面目・情熱。この男は王者になるための全てを持っている。」と評した。p.102

 ヒトラーのこの弁舌力はどこで育まれたのだろう。ヒトラーの〈ユーモア〉はどうやって身についたのだろう。

ヒトラーは何かを論理的に説明することなく、具体的なことを避けて曖昧なことを言う。入場料を払ってヒトラーの演説会場に来る聴衆が望んでいるのはまさに、漠然とした一般的な訴えを音楽や歌、旗などの道具立ての中で聞くことなのであった。p.104

 芸人としてのヒトラー。

演説指導したオペラ歌手のデフリーントがヒトラーの部屋に入ると、ヒトラーはシャツとパンツだけで仰向けになって、両足を高く上げて壁にもたせかけていた。「演説の前には、私はできる限りいつもこの姿勢をするんだ。記憶力が高まる。」とヒトラーは説明したという。p.129

 芸人の楽屋。プロ意識。

演説文を作成する時間は一日から四日の間。いつも時間がないが、時間があると細かいことにまで拘ってしまうので、それくらいがちょうどいい。p.132

 時間がない方がいい。完璧よりもいい。

聴衆の喝采の後の少休止時の基本構成は、腕組み→原稿触り→髪触り。p.147

 ヒトラー・ルーティン

ヒトラーのジェスチャーで最も印象的なのは指差し。敵対者を糾弾する時、味方である同胞を擁護する時。p.149

 指の動き。舞踊的。呪術的。

「われわれは、はかない存在であるが、しかしドイツは存在し続けるであろう。われわれは死ぬであろうが、しかしドイツは永遠に生き続けねばならない。」1936年3月12日選挙遊説。p.282

 ヒトラーは本当にドイツを愛していたのだろうか。

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