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ご飯の記憶

私はごはんを作るのが好き。

母親が料理上手だったので、ありがたいことに、中学ぐらいまで手作りのケーキでお祝いしてくれていたし、クリスマスもスープはお手製のコーンスープだったし、時節に合わせたごはん(おはぎとか、ひな祭りはちらしずしとか)を作ってくれていた。体調が悪い日も、機嫌が悪い日もパートでいじめられてつらかった日もずっと。あのころは当たり前だったけど、今思うとすごい。母は強い。

私は、ママっこだったので、母との会話はいつも、台所だった気がします。ご飯を作るのを手伝いながら話したこと。いっぱいある。部屋の導線が全部一度台所を通る家だったのもあるのかな。

平日は長距離通勤をしていた父とそろってご飯を食べることはあまりなかったけれど、休日は母の「ごはんやでー」の一声で、父も姉も祖母も私も、食卓について「いただきます」をする。それが普通で、それぞれ勝手になんてことをしたことはほとんどない。朝もごはんに合わせて起こされていた。
私の家は本当に「母のごはん」で結びついていたのだなぁ。と思う。

DJイベントのケータリングをして居た頃、すごく凝った料理とかイベントの雰囲気に合って変えている人もいるけど、私はそれが出来なくてコンプレックスに思っていたこともある。けれど、食べた人が「安心する」「実家に帰ったみたい」とか言ってくれる。それでいいのかなと思えるようになった。仕事終わりに遊びにきたイベントでちょっと、ほっとするごはんが食べられるっていうのもありなんじゃないかと考えて作っていた。

そうした背景のもと育った私にとってごはんはコミュニケーションツールなんだな。と気がついた。父も姉も、もちろん母も連絡を取ると最後に必ず「ちゃんとご飯食べや」と言う。おいしいとかしょっぱいとか話しながら、ごはんを食べるとほぐれていく気持ちを知っているから、大事な人とはごはんを食べたいと思う。

そんな母のご飯を作れるようになりたい。そう思いながらごはんのレシピを引き継いだ。母が病気になり亡くなった今、仕事人間であまり家にいなかった父が実家の台所に立ちご飯を作っている。
そして、私はそんな父に引き継いだレシピのご飯を冷凍で届ける。
形は違ったけれど「母のご飯」はまだコミュニケーションツールとして家族を繋いでいる。


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