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【書籍紹介/海外文学】『外套』――世界三大虚無文学(ショートバージョン)

こんにちは。
思いのほかショートバージョンが気楽で取り組みやすくて、なるほど、こういう感じでnoteを続けていけばいいのかと一人勝手に了解しています。
そのうちきちんとした分量の記事を書くつもりではいますが、しばらくはこの形で行こうと思います。

というわけで、今回もショートバージョンです。

『外套』 ニコライ・ワシーリエヴィチ・ゴーゴリ

いわずと知れたロシア文学の傑作短編です。
有難いことに青空文庫に入っているのでタダで読めますよ。

以前noteでメルヴィルの『バートルビー』を紹介しましたが、似た系統の作品を探していて、ゴーゴリにたどり着きました。
実際アガンベンもバートルビーに関する論文の冒頭に『外套』の主人公を登場させています。

バートルビーは、筆生であることで、ある文学の星座に場を占めている。その星座の端に位置する極星はアカーキー・アカーキエヴィチであり(「この筆生の仕事においては、世界は彼にとっていわば完全に閉じていた[……]。いくつかの文字が気に入っていて、それらに出くわすと彼は有頂天になった」)、星座の中央にはブーヴァールとぺキュシェという双子星があり(「二人のそれぞれに、密かにいい考えが養われた[……]、筆生だ」)、反対の端にはジーモン・タンナー(彼が要求する唯一の身元は「私は筆生である」だ)と、どのようなカリグラフィであろうと易々と複製を作ることのできるムイシュキン公爵の白光が輝いている。少し離れたところには、小さな小さな惑星群のように、カフカの審判の、名のない書記たちがいる。

アガンベン『バートルビー 偶然性について』p.9



外界との接続が断絶してしまっている個人を描く作品として、メルヴィルの『バートルビー』、ゴーゴリの『外套』、カフカの『変身』を世界三大虚無文学と勝手に呼んでいますが、
この3作品は、現実世界における社会的規範や上昇志向、慈善や良心といったアプリオリに正しいとされているものに対する、抵抗・抗議……とはまた異なる試み、すなわちオルタナティヴの試みだと思うのです。

一方で、若干の違いもあります。
『バートルビー』はあらゆる積極性を失った自我を持たない人物として描写され、自我が無いゆえに周囲の人々とのコミュニケーションも完全に断絶されていますが、
『外套』の主人公アカーキィはそこまで虚無虚無しくはありません。
ひとつは、『外套』はアカーキィの一人称で書かれているのが大きいかも。

バートルビーと同じく書写人の仕事をしていますが、アカーキィは書写オタクみたいな人間で、文字を書き写すことに至高の喜びを感じるタイプ。
つまりバートルビーとは違い、そこに好意や趣向がはっきり表れています。
書写以外興味なかった彼ですが、たまたまボロボロの外套を新調することになり、成り行きでかなりの給金を注ぎ込むことになってしまいました。
ただ仕上がった外套は素晴らしく仕立てが良くて、アカーキィのぱっとしない日常が突然華やかに変化します。そして彼は次第に外套に執着するようになっていくのです。

しかし結局、外套を追いはぎに強奪され、破局が訪れます。
アカーキィは死して尚、理不尽な世の中にリベンジしようとするのですが、社会は彼を無視して前進を続け、彼の存在は都市伝説に消えていくのです。

前進すること、意思を発揮すること、改善すること、ポジティブでいること……現代社会から押し付けられるこういったマインドセットが、アカーキィの両目を通すことで息苦しく、残酷で、滑稽で、馬鹿馬鹿しく思えてくる。
社会規範を相対化するような素晴らしい構成に、ロシアの荒涼とした雰囲気が合わさって、余韻の長く残る読後感でした。

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